わるいこは 七日目

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ホラー
※友人とのプロット交換作品です

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 好天は一日しか続かなかった。昨日の晴れがウソのように、今日は朝から雨が降っている。相変わらずの庭木もかすむような土砂降りで、窓の外は昼夜の区別もつかぬほど暗い。一度、晴れの日の解放感を味わった分、刀たちの落ち込みようは目に見えて顕著で、審神者は朝食の席で早々に今日一日の臨時休業を決めた。
 その後、いつもの癖でついつい審神者は執務室へと足を運んだ。臨時休業と言った手前、自分も休むべきなのだが、どうしても脳裏にほっとした表情を浮かべた刀剣たちの顔がちらついていた。
 このまま雨が続けば、今に業務が立ち行かなくなることは、想像に難くなかった。もちろん、雨が苦手とは言え、今は肉の体を持つのだから、無理を言って出陣させることはできるだろう。ただ、その結果何が起こるのか、それが審神者にはわからない。
 審神者が本丸御殿に入り、刀剣の主として振る舞うようになってから、もう四年の歳月がたつ。期間で言えばほとんど中堅と言って良く、修行に行った刀こそ一口しかいないが、本丸にいる刀は大太刀から短刀まで、白兵戦の最難といわれる厚樫山の戦場を無傷で渡り歩ける程度には強い。けれどもその本丸運営の中で、審神者は刀剣に無理をさせたことが一度もなかった。刀装が剥がれれば撤退を指示し、傷を負うことがあれば戦線を下げて鍛練に努めた。戦術を練り直し、より適した刀装の研究をした。そうして遣り繰りしてきた本丸で、今更、無理が通るのか。
 刀剣たちを信じていないわけではない、しかし慣れないことを急に進めては、ケガのもとになるのではないか。常ならば問題ない戦場で、万一、折れてしまったら。
 山姥切なら、と審神者は助けを求めるように窓の外を見た。彼ならどう考えるだろうか。審神者の一日目からを一日も欠かさず見てきた山姥切に力強く肯定してもらえたなら、何もかもうまく行くような気がする。そんな他力本願な思考が見せた幻覚か、煙る視界の向こうに白い影を見た気がした。

 キィ……キィ……と、幽かな音がする。何の音だろう、とぼんやりとした頭で審神者は考えた。高いけれどもどこか柔らかさを含んだ音は、金属の出す硬質的なものではなく、木がきしむ時の音に似ている。規則的で、振り子のように強弱がある音に、つい眠気を誘われて、再び意識を手放しかけた瞬間に、ハッと今まで眠っていたことに気がついた。
「やばいっ、寝てた!」
 どれくらい眠っていたのかと、慌てて体を起こして時計を探す。しかし、頭からなにかを被せられているのか、あたりを被う白い紗に驚いて両手を振り回せば、パサリと音がして、視界が開けた。一体なんなのだと視線を落とせば膝の上に布が落ちている。どうやら、風邪を引かないように、誰かがかけてくれたらしい。指先に感じる湿っぽさに、一瞬、山姥切が帰ってきたのかと思ったが、汚れたところのない布はただのシーツのように見えた。それはそうかと、勝手に落ち込んだ心を叱咤して、審神者はため息をついた。
「はぁ、仕事しよ……」
 とりあえず手を動かせば気持ちも落ち着くだろうと、書きかけの備品申請書を机上の書類入れから引っ張り出す。休業といえど、書類の一枚、仕上げるぐらいならば問題ないだろう。内容もそれほど頭を使うものではない。鍛刀用の金槌が一つ古くなってきたので、取り換える必要があるというものだ。本丸維持のための日用品は各本丸毎に支払われる経費から賄うのだが、鍛刀用の槌や刀装作成用の榊などは呪術的な事柄が絡むため、都度政府に補充申請をする必要がある。どちらも日々の資材配給量を決める日課任務に関わる重要な道具なので、面倒だがこうして定期的に申請書を作成しなければならないのだった。
「えー、申請理由、っと」
「あーるじ!」
 細筆を紙の上に置く前に、バタバタと入側を騒がしく駆け抜けてくる音がして、次いですぐに、ひょい、と障子の端から鯰尾藤四郎が顔を出した。慣性の法則に従って、黒いポニーテールがぶらんと揺れる。一期一振の『室内は走らない』という教育は、弟たちにまったく浸透していないらしい。
「洗濯ひも、知りま……あった!」
 審神者の脳内に一期が水色の頭を抱える姿が浮かんだが、当の本人はまるで知った風ではなく、執務室の天井を見て、ぱっと顔を輝かせる。なんだとつられて審神者も顔を上げると、寒いからと閉めていたはずの続きの間の襖が開け放たれており、鴨居の隙間から白いひもが真っすぐに垂れていた。
「え……、なんで」
 朝、執務室に審神者が来た時には確実に襖は閉められていたし、ひもだってかかってはいなかった。そもそも、こんなところにわざわざ誰かがひもをかけるとも、それを忘れるとも思えない。よしんば何か理由があってかけたとしても、審神者の眠っていた場所とは目と鼻の先だ。そんなところで何か作業をしていたら、起きずにいられるだろうか、と思ったところで、目を覚ました時にかぶせられていた布を思い出した。襖を開け、ひもをかけた人物と、眠る審神者へ布をかけた人物が同じだとして、一体、何のために。
「よかった! 歌仙さんにどやされるとこだった! ありがとうございます」
 一息に執務室へと踏み込んできた鯰尾が、ピョンとひもへと飛びついた。どこに結びつけられていた訳でもないひもは、何の引っかかりもなくスルスルと落ちてきて、鯰尾の手のひらへと納まった。うわ、ぬれてる、と何が面白いのか、ケラケラと鯰尾が笑う。
「あー、畳までぬれてるじゃないですか。ダメですよ、敷居のところって傷みやすいんですから」
 言うが早いか、腰にはさんでいた雑巾を取り出して、さっと床をふいてしまう。さすがは脇差の機動力だった。
「主、暇だったら手伝ってくれませんか? 昨日、歌仙さんが張り切っちゃって、まだたためていない洗濯ものがたまってるんです。俺はこれから残りの洗濯ものを干さなきゃいけないし、ね? ね!」
 ぐいぐいと迫ってくる鯰尾に、圧されるようにして審神者はうなずいた。やったあと声を上げた鯰尾は、ペコリとお辞儀をひとつして、絶対来てくださいねと言いながらバタバタと去っていった。

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2022/05/30

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