あの日にふれたくて3 真っ白い壁に四方を囲まれた部屋。窓もない無機質な白の中にディックは立っていた。 白一色の空間は狭いようで広いようで、押しつぶされそうな感覚になる。 部屋の隅でひとりの少女が泣いていた。声もなく、膝を抱えて顔を俯けただ肩を震わせている。 5才くらいだろうか。 ディックは自分がなぜこんな空間にいるのか考えるより先に、泣いている少女に駆け寄っていた。 「君、どうしたの? どこか痛むのか?」 女の子が顔を上げた。東洋人だ。大きなどんぐり目も少しクセのある髪も黒。涙に濡れた瞳がディックを映している。 その顔に見覚えがあった。 「祐未……?」 年齢は違うが面影がある。少女が目を伏せた。否定も肯定もしなかったが、おそらくこの子は祐未だ。 まだ泣き止みそうにないので、ディックは少女の横に座って彼女の顔を覗き込む。 「なぜ泣いてるの?」 祐未は答えず、ただ涙を流していた。稀に口を開くが、涙のせいで上手くしゃべれないらしい。 「大丈夫、ゆっくりでいいから」 黒髪を軽く撫でると、多少落ち着いたらしかった。 おそらく、これは夢だ。 敵のエスパーに攻撃され、眠らされたことを覚えている。 加えてこの非現実的な状況。 夢であると断ずるになんら問題はなく、本来自分の見ている夢が別のものであることも、彼は理解していた。これは祐未の見ている夢だ。敵の能力によるものなのか、ディックもこの夢を"覗いている"状態にある。 これが少女の過去なのか、それとも心象風景なのかは判断できない。 それでも、5才の幼子がたったひとり、白い壁に囲まれ泣いている夢がどれほど辛い夢かというのは理解できた。 ひとりでただ泣き続ける夢。 ディックが偶然紛れ込まなければ、きっと彼女は本当にただひとり泣き続けていたのだろう。 「祐未、大丈夫。僕もいるから、なにかあるなら話してくれ」 少女の頭を撫でながらゆっくり語りかける。本来16歳の彼女にこんなマネはできない。こうしていると本当に妹ができたようだ。 ようやく涙を止めた少女が顔をあげて笑った。 「ディック」 少し舌足らずな幼い声。年相応の笑顔で笑い、祐未が言う。 「ありがとう」 「いいよ。もう大丈夫なの?」 「まだ悲しいけど、ディックがいるから泣かなくても大丈夫」 眩暈がするような言葉だった。ディックは一瞬心臓を握りつぶされたような錯覚に陥るも、すぐ平静さを取り戻す。笑顔を崩さず祐未の頭を撫でた。 「そう? 泣きたいなら泣いてもいいんだぞ。なにが悲しかったの?」 「いっぱいあるけど、1番はディックと喧嘩したのが悲しくて泣いてたの」 祐未が絶対に言わないであろう言葉を、やけに直球で投げてくる。思わず頭を抱えそうになったディックは鋼鉄の精神でなんとか笑顔を保っていた。 「そっか。ごめんね。あの時はいきなり怒ったりして」 「ううん。あたしも、へんなこといってごめんね。本当はね、ディックの言ってることちゃんとわかったの。だけどなんて言ったらいいかわかんなくて、どうしていいかもわかんなくて、あんなこといっちゃったの。ごめんなさい」 次々と拙い言葉使いで紡がれる謝罪。祐未の夢だと確信した矢先だが、本当は自分の願望が作り出したのではないかと疑わしくなるほど望んでいた言葉が出てくる。素直でこちらを信頼してくれている。思ったことを口にしてくれる小さな家族。 思わず黒髪を優しく撫でてから呟いた。 「夢じゃなくてもそうやって素直になってくれればいいのに」 思わず口を突いて出た言葉は彼女に罪悪感を与えたらしい。途端祐未が沈んだ表情になり、ディックから顔を逸らす。 「ごめんなさい」 「あ、いや、気にしないでくれ、ちょっと言ってみただけだよ! 冗談さ」 いつもの祐未なら笑って皮肉を返してくる。つい同じ感覚で喋ったことを後悔した。不思議だ。目の前の少女は祐未であって祐未ではない。 彼女にもこんな時期があったのだろうか。 慌てるディックに対して、祐未が目を伏せたままポツリと言葉をこぼす。 「みんな優しいから、もう泣いても大丈夫って本当はわかってるの」 思わぬ言葉にディックの身体が硬直した。絶対に聞けない言葉だと思っていたからだ。それを言うなら泣いている祐未というのがすでに絶対にないと思っていた事柄ではあるのだが。 小さな祐未が尚も言葉を続ける。 「でも辛いと思うと本当に辛くなっちゃうから、あたしはここにいなきゃいけないの。ごめんなさい」 「……どういうこと?」 話が見えない。ディックが首を傾げると、少女の指が白い床を撫でた。所在なげにくるくると円を描いている。 [しおりを挟む] 目次 戻る |