波打つ鼓動を押さえ込むように目を瞑る。ゆっくりと目を開ければ、その光景は現実を帯びた。

二つあるものの一つはきみに


だだっ広い部屋には切れかけの灯りだけがそれを照らしていた。中心に乱雑に置かれた天井まで続いているであろう水槽が僅かに空気をこぼしている。その中に浮遊するそれは、近付けば近づくほど不気味だった。

「……人、か」

魔女が取り戻したい心臓とは人のことなのか。そんな記述はどこにもなかった。現国王が知らない訳がないはずなのに、そのようなことは一言も言っていない。隠している様子もない。だとすると、魔女が隠していたとしか考えようがないのだが、何百年も前から幽閉されているにも関わらず、誰も何も心臓について聞かなかったのか。すぐにでも、ここ、シュメルツェン街を処分したいのに、だ。

「心臓には契約の印もあるな」

ケーフィヒと呼ばれる契約の印が赤く刻まれているとこを見ると、目を覚ますことはないだろう。水泡だけが控えめに音を出し、少年を生かし続けている。これが自らの心臓を魔女の心臓にすることで不老不死を望んだ愚か者の末路。生きてはいるが意識はない。死ぬことが出来ない辛さは誰も教えてはくれないが、さぞかし、哀れで苦しいことこの上ない。魔女狩りを発足したのも不老不死を夢見た人が魔女と契約をするのを止める為だったと言われているが、本当のところは、前国王の第二王子だったアヒムが魔女と契約し、べーテン城を没落させようとしていた反逆者だと聞いている。

連れて帰るのは難しいな。この装置ごと運ぶには人員も必要だ。胸ポケットから取り出した小型通信機を耳にはめようとして、やめる。処分区域に指定されている以上、現状を伝えなければならない。魔女の力がここまで影響しているのは明らかだ。

「……一度、魔女に会うべきか」

冷たい水槽に触れる。少年は目を開けない。指先に絡みついた見覚えのある物に目を見張った時、切れかけだった灯りが消えた。

真っ暗闇になった部屋の中には、ぼんやりと少年だけが浮かび上がってーー唐突に、目が合う。宝石のアメジストのように紫色した双眸がわたしを見つめていた。

「……ら、……て」

ゆっくりと、でも、激しくもがき始めた少年の声が水音と共に聞こえてくる。力一杯水槽をこちらから叩いてみても、自らの首を絞めるかのようにもがき続けているままだ。水泡を吐き出し、アメジストのような紫色した双眸の中にわたしが映り込んでいる。

少年の動きが次第に鈍くなってくる。魔女の力が作動して水槽が開けられないとしても、不老不死になっているであろう少年が死ぬことはないはずだが、とてつもない不安が頭を過る。

「……て、たす……て」

コートから貴重品と共に抜いておいた拳銃を取り出し、水槽の明かりを頼りに弾の数を確認する。スライドを引き、少年に当たらない場所を狙い、撃ち込む。耳を劈くような銃音にも関わらず、僅かに亀裂が入っただけだったが、そこから水が勢いよく溢れ出す。これで、前女の力の影響が少なくなっていることが確認出来た。

「う……あ、ぐ……っ」

足先が水に触れる。半分くらい水が抜けたところで、再び弾丸を撃ち込めば、砕け散ったガラスと共に少年が落ちてくる。散りばめられたガラスの上に落ちる前に少年を引き上げれば、呻き声を上げ、そのまま気を失ってしまった。

水分を吸いきった黒のワンピース。指に絡みついている物はベーテン城のエンブレムが刺繍されたタイだった。

「……わたしだ。すぐに救護班を寄越してほしい」

小型通信機に繋ぐや否や伝えれば、応答した男は直属の部下だった。「ダンツィ少佐。どうなさりましたか」「事情は帰ってから話す。すぐに救護班と、クルトを呼んでくれ」「クルト諜報員ですか……承知致しました。すぐに手配致します」「ああ、頼む。それと、第一王子の補佐として今出ているようだが、アルデンホフ中尉には知らせるな」少しの間をおいて意味を理解したらしく、了承の言葉を聞いた後わたしはすぐに通信を切った。

少年の指に絡みついているタイを抜き取る。仕事が出来る部下の計らいで予想していた時間よりも早く救護班が来たが、少年はその間意識を取り戻すことがないまま城へと運ばれた。


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