憎しみと交わる夜に
男の寝室に向かう前に、ゆっくり、湯浴みをする。
何度もシミュレーションを繰り返した暗殺の行程。
どうにかしてあの心綱を紛らわせねば、一太刀とも浴びせられはしないだろう。
その場から離脱され、雷を打ち込まれれば、そこで計画は全て終わりだ。
何としても、殺す。
そのためならば、この身体はどんな辱めを受けたって良い。
湯浴みを終えて上がると、侍女たちが心配そうに、タオルを渡してくれる。
甘いムスクを身に纏い、肌を磨き、髪を美しく結い上げる。
燃えるような赤毛。
鏡にうつる自分の顔。
「ガーネット」
記憶の向こう。
鏡を見るたびに、姉の声を思い出す。
今では、双子のように瓜二つ。
ーーエネル!
許せない、
あいつだけは絶対に許さない。
姉は天使のように優しかった。いつも、自分より他人を優先するような人だった。なぜだ。
なぜ、殺したんだ!
侍女として申し分ない働きをしていたと、ホワイトベレーからは告げられた。
姉の遺骨と、神の恩情と渡された信じられない額のお金。
神により姉は殺された。それだけしか教えてもらえなかった。
「待ってて、姉さん」
心の奥で呟く。
懐に短刀を忍ばせ、赤い口紅を最後につける。
皮肉だな。
今日の私は、人生で一番、美しいだろう。
*
神の寝室。高い天井に、薄っすらと焚かれた香の甘い匂い。
だらっと寝転がる背中。
がっしりとした筋肉。たくましい胸板。この、身体に、抱かれるのだ。
心臓が早鐘を打つ。
少なくとも、今だけは殺意が漏れないようにしておかなくては。
怖くて仕方がない、というように、身体を縮こめて、初々しいステップで、足を進める。
「エネルさま、参りました」
声を震わせて、弱々しく語りかける。
一枚の白い布で包んだ身体。
片手だけあげて、近寄るように人差し指を曲げる神。
緊張。
神経を尖らせて、次に相手がどう動くのか、気配を読む。
慎重に、一歩踏み出す。
消える。
速い、後ろに現れる。
瞬時に交わしかけるのを抑えて、ベッドに押さえつけられるのを、力なく受け止める。
綿雲のように柔らかいベッドに、身体が沈み込む。
顔が向き合う。
神の目が、一瞬、怯えたかのように見開く。
どうして?
考えてる暇はなく、貪るように唇を塞がれる。
にゅるりと侵入する舌。
口内を犯すように伸びてくるのを、誘うように受け止める。
唇に噛み付いて、頬に手を触れる。
男の手が肩にかかる。
集中しろ。
こいつは何を考えてる?
隙はいつできる?
肩で結んだ布のリボンの結び目が解かれる。
銀の糸を引いて、唇が離れる。
暗い炎を灯した男の瞳が、獣じみた光を帯びる。
憎しみのような、胸を透明なガラスで突き刺すような感情。
苦い味が口内に広がる。
姉とこの男の間に、いったい何が…?
「ルビー」
確かに、エネルがそう囁いた。
頭が真っ白になる。
気が付いた時には、男の胸に短刀を突き立てていた。
彼の胸を掠める刃。
だが、届かない。
初手は外したが男が逃げ出す気配はない。ひとまず安心だ。
命と引き換えでいい。
こいつの命を!
「エネル!!」
男が電撃を繰り出す。
ほんの数ミリで避けて、力の限り床を蹴り、真っ直ぐに男を目掛けて突進する。
「姉さんの仇!!」
消える。
社を壊す気はないらしく、大きな電撃がくる気配がない。
あるいは馬鹿にされているのか。
どちらにせよ好都合だ。
金の棍棒で近距離戦を仕掛けられる。
額を掠める。
仰け反って避けて、男に足蹴りを食らわせるが、武装色を纏っていても、筋力のせいか、ビクともしない。
むしろこちらの足が痛い。
「ほお、この私に蹴りをいれるか」
飄々と、まるっきり余裕な様子でいるのが腹立たしい。注意力が乱れる。
背中を男の雷撃による蹴りが擦る。
一瞬の痺れが、次の手を遅らせる。
防戦にもつれ込む。
細く肌を切るような電撃を間一髪で避けつつ、短刀で闇から現れる男の重い棍棒による打撃をいなす。
攻撃の間、相手の力の流れを利用して懐に潜り込む。
ピンチはチャンスとはよく言ったもの。
一番、無防備になるのは、攻撃の瞬間。
「届けええええ!!」
体力的にも、絶対に敵わない。
一撃必殺を狙う。
心臓に、短刀を突き立てる。
だが、幻のように男が消える。
ほんの少しだけ、見てしまった勝利の幻のせいで。
「っぐ!」
短刀が叩き落されで宙を舞う。
棍棒で思い切り腹を蹴り上げられ、壁に吹き飛ばされる。
武装色で防御はしたが、壁が砕け、衝撃が全身を貫く。
頭が揺れる。身体が痺れる。
息が、乱れる。
「…実に、不届き」
からん、からん。
落ちる短刀。
負けを告げる乾いた金属の音。
うつ伏せに倒れた上体を起こす。
男が迫っている。
キッと、わざわざゆっくりと歩いてくる神を睨みつける。
「なぜ、殺さない」
愉快げに笑う男の顔。
胸元に、小さく赤い血の玉が浮かんでいる。
それを指で拭うと、ペロリと舐める。
「俺に傷をつけたのは前代未聞でな。少々、お前に興味がわいた」
どんな暴力を振るわれるか、身を硬くする。
見聞色の覇気。
だが、神に殺意はない。
思うように身体が動かない。
逃げられない。
しゃがんだ男の手が伸びる。
喉を掴まれて、顔を近づけさせられる。
「ガーネットか。ヤハハ、ちょうど良い。ここのところ、退屈しきっていたところだ」
結いあげた髪が落ちる。
黒い下着のキワを撫ぜるように触る指から、パチ、と電気が走る。
身体が跳ね上がる。嬌声が飛び出す。
「せいぜい、俺を楽しませろ」
しおりを挟む
[*前] | [♯次]