Glass4 迷い猫の遊び場


 時間……、日々は止まることなく流れてゆく。
そんな機関の一部でしかない我々生物は、何を見、何を得、何を犠牲に生きていくのだろう。

 「ミルクをください」
カウンター席の真ん中を陣取って、そう言う頭に白い三角耳をピコピコと動かす者。
「はい、ただいま」
にこりと笑って備え付けられた冷蔵庫から冷たく冷えたミルクを取り出し、グラスに注ぐ。
「あなたはどこから来たんですか?」
レイルはそのお客さんに問う。
「ずっと向こう。車がいっぱいあって、人もいっぱいいる通りの方だよ」
「そうですか。此処までは何で?
「歩いて来たよ。僕、歩くの好きなんだー」
お待たせいたしましたとグラスに注がれたミルクをカウンターへと置いた。
「でも足がくたびれてますよね。結構な距離をお歩きになったのでは?」
「そんなに長くないよ?」
両手でグラスを持ち上げて中に入ったミルクをコクコクと飲んでゆくその者。
実にいい飲みっぷりである。
「……満足しましたか?」
「?」
不思議そうに耳を揺らし、首を傾けた白い三角耳のついた少し不健康そうにも見える体系の青年。
「もう その青年(かれ)に返してあげてくれませんか?」
「何言ってるの? お店のお兄さん」
口元に手を当て少し考える。どうしたものかと。目の前のちいさな子猫はきっと話せばわかってくれるそんな気がしてはいるのだが、そうでなかった場合を考えてしまうと、今来店しているお客様に迷惑がかかると頭を悩ませていた。
「あなたは、本当は その青年(かれ)も人間もお嫌いでしょう?」
「……」
「責めてはいませんよ。でも、あなたがここに居るのはきっといけない事です。認めたくはないと思いますが、それはあなたにもその青年にもよくない事なのです。来るなとは言いません。ただ、 その青年かれを解放してあげてくださいませんか?」
「……やだ……」
ぽつりと青年は言う。
「僕は此処にいる。ちゃんとお金だって持ってる。飲みたい物飲みに来て何がいけないの? みんな僕を嫌ってあっち行けって暴力を振るう、構われたくないのに構って来る。それなのに、それなのに……!!!」
青年に不穏な空気が流れ始める。お客様には気づかれてはいない。
「あなたは何も悪くはないのです。ただ、勝手な思いの人間がいるから。中にはあなたのような者の気持ちの問題で結果が凄惨なものになってしまうこともあるんですよ。
ただ、あなたは違う。普通に歩いてた。飛び出しをしたわけではなく普通の日常の中どうすることも出来ずあなたは―――」
「それ以上言うな! 聞きたくないっ。聞きたくない聞きたくないっ!!」
「私にはあなたの存在もちゃんとわかります。だからいつまでもそこに居てはいけない。あなたは気づいているんでしょう?」
「……だって、人間じゃにゃきゃ誰も気づいてくれにゃい。おにゃかもペコペコででもどこに行っても何も食べられにゃくて……だから」
ぽろぽろと透明な液体を目から零れ落して、彼は続ける。思いついたのは人間に憑りついて、食べ物をさがしに行く事。自分じゃもうどうにもならないってわかってたから。

 みんな奇異の眼で僕を見てた。
素知らぬ顔で目の前を通り過ぎて行った。
ただこんなにいっぱいいる人間はただ、僕を見てひそひそと負の音を放った。
可哀想とか、嫌なものを見たとか。
(好きでこうなったんじゃない、いきなりやって来た大きな塊の所為なのに……)
痛い……。つらい……つらい……。
体が軽くなって、少し動けるようになっていつものようにご飯を食べに足を進ませるけど、そこに何もなかった。普段と違う感覚。感覚というものは存在していないと気づいた。
痛いし、つらいし、お腹はペコペコだけどその場所についても、目の前に食べ物があってもそれを食べる事が出来なかった……。
「あなたが悪いわけではないと分かっています。あなたは奪われてしまった。大丈夫です、私にはあなたが視えますから。だからその人間を解放してください。あなたの居場所はここです。気が済んだら好きな所に行って構いません。あなたが行きたい場所を見つけるまでは、このBar. let downに居て構いません」
でも、と青年は狼狽える。
「ちゃんとご飯も食べられます。約束します」
紅い瞳を微かに細め、彼に触れる。
瞳にすーっと透明な道が伸びていく。
「本当に? 本当に僕ご飯食べられる?」
「はい」
綺麗に微笑む彼に、青年は力なくカウンターへと突っ伏した。痛そうな音が微かに響き、レイルは気まずげに目を一瞬瞑った。
目の前には真っ白な猫。目を不安げに揺らしながらこちらを見上げていた。
「大丈夫です。少し待っていただけますか?」
(確か冷蔵庫に鶏肉があったと思うので、素焼きにしましょうか)
手際よく小さな肉の塊を、更に一口より小さく切り、薄くオリーブオイルを引いてきつね色の焦げ目がつくまでフライパンで焼いた。
それを更にほぐし、荒熱、熱を取る。
 「ん……」
小さな皿に素焼きの鶏肉を乗せるとそれを、床へと置いてやる。
「あれ、此処何処?」
不安げな顔をした真っ白な猫は、恐る恐る差し出された鶏肉に首を伸ばし、匂いを嗅いでいた。
「あ、よかった。目を覚まされたのですね」
目を覚ました青年に冷やしたタオルを差し出す。彼自身は何がどうなっているのか理解していない様子だった。
「額、冷やしてください。先程凄い勢いで突っ伏されたので……。それと、何かお作りしたいのですが、ご要望はありますか? ここはBar.let down。しがないbarでございます」
「……え、此処お酒飲むとこ!?」
ガタッと音を立てて立ち上がる青年を宥める。
急に立ち上がったことによる頭部への痛みに顔を顰めて、ふらつく。手は椅子について何とかしのいでいるよう。
「お、俺、お金ないんだ! すみません。も、もしかして俺……」
「大丈夫ですよ。お代はいただきませんから。貴方は被害者なのですから」
「……? 被害、者?」
「さぁ、兎に角顔色が悪いですよ。何か作りますから。リクエストしてください。ある物ででしたらお作りします」
「……じゃあ――」
青年は気まずげに注文をしてくれた。それを作りながら、床の方に目を配る。
ゆっくりと、それでも誰にも捕られまいと手をひっかけて用意した素焼きを頬張る白猫の姿に、微かに微笑んだ。
 湯掻いているパスタを確認しつつ、ミキシンググラスに氷とウイスキー40ml、チェリー・ブランデー15mlを入れステアする。ミキシンググラスにストレーナーを被せカクテルグラスへと静かに注いだ。
オレンジのような山吹のようなそんな色合いの32度のショートカクテルと共に、カウンターの席の真ん中に座る青年へと運ぶ。
「お待たせいたしました。ボロネーゼ風とハンターになります」
「すっご……美味そう……」
出された食事に目を丸くして喉を鳴らす青年に、どうぞと勧める。
「あ、あのこれは?」
指さすカクテルにレイルは私からの気持ちですと。
不思議そうな顔をする青年は、ボロネーゼ風と言ったパスタを口に運ぶ。そして、こちらを気にしつつ、カクテルにも手を伸ばしてくれた。

 今日もまた、たくさんの悩みや幸せを抱えた生き物たちがやって来る。
「少しでも心の拠り所になれば、私は嬉しいのだが……」
 「あの、本当にお代……」
「ええ、結構です。ご迷惑をおかけしてしまいましたから」
「え、いや、俺の方が迷惑をかけたっていうか……、あの……」
「ハンターの意味をご存じですか?」
「ハンター? 狩人ですか?」
「ふふっ、英語ではなくカクテルの方です。質問の仕方が悪かったですね。先程お出しさせていただいたカクテルの名称です」
「カクテルに意味なんてあるんですか?」
「あるんですよ、面白いことに。花言葉や星言葉と呼ばれるもののように……」
「星……、花は聞いたことありますけど。星にもあるんですか。なんか俺知らない事ばかりだな」
そう苦く笑う青年に、白い耳の少年がその服の裾を掴む。
「ん?」
「……どうかされましたか?」
「いや、誰かに引っ張られたような気がしたんですけど……」
――ごめんなさい。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……。
僕が、僕が勝手にお兄さんに、
 その瞳に焔のような輝きが一瞬揺れる。それは人間が気付くことはそうない事象。
「お兄さんに憑りついたから……」
「へ?」
「え?」
「うわあああああああっ!?」
「うにゃああああああっ!?」
ビクビクと震える体に合わせて頭の白い三角も震える。
そんな様子を茫然とした様子で見つめている青年。
「本日は、この子が貴方に迷惑をかけてしまったので、もてなさせていただきました」
「そ、そうですか。いや、その耳……」
指をさす頭の三角に、本物ですと答えたのだった。
「嘘をついても仕方ないですからね。害はもう、ない。ですよね?」
「は、はい! ごめんなさいっ」
ぺこりと頭を下げる少年に、青年は複雑そうな顔をする。頭の耳もそうだが、何故謝られているのか、結局何故奢ってもらったのかもよくわからなかったからだ。
「じゃあ、ごちそうさまでした。ま、マスター?」
「はい。またのご来店をお待ちしてます」
「う……はい。仕事見つけてまた来れるよう頑張ります……」

どこか、青年の面影を映した白い耳を頭に生やした少年は、泣きそうな顔をしながらその青年を見送った。また青年がやって来るのを願ってか……。それとも罪悪の心からか……。


"予期せぬ出来事"に許しをどうか……。





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