Glass5 シンデレラの天罰


 ドアに吊るされたベルが鳴る。
振り返ればそこには二つの影。どうやら二人のお客様のようだ。その一人には見覚えがあった。あの日来た彼女だ。もう一人の方に見覚えはない。
「いらっしゃいませ」
声をかけ、二人の姿にタオルを取り出す。
「雨に降られてしまったようですね。お風邪を召しますのでよろしければお使いください」
「……有難う」
相変わらず声のトーンが小さなその彼女。黙したまま俯くもう一人の少女に彼女がもう一つのタオルでやさしく体や洋服を拭っていく。
席へ促す彼女に、隣の少女もゆっくりとそれについて歩いた。
彼女のいつもの席。カウンターの一番右端……ではなく、右から二番目の席の前へ。連れの少女をいつもの右端の席へと促したのだった。

 「大丈夫よ、あの子達はきっと酷い目に遭うわ」
ぎゅっと少女の手を握って言う彼女の不穏な言葉にレイルは眉を僅かながらに顰めた。
彼女は初めてこの店に来た時と同じ紺色のドレス。姫袖のブラウスという服装だ。隣の少女は彼女とはまた違い、星座を模したふんわりとスプレーをかけた様な、桃色を薄くした靄が描かれたこれまた深い青色のワンピースのような服装だ。見た目は彼女に劣らず似たようなものに思える。
その辺りはよくわからないが……。
「不穏な言葉ですね。何かあったのですか?」
「……」
「そうね、あったわ。あー……とりあえず――」
「サンドリヨン、ですか?」
いつもの注文かと訊ねれば、彼女は青い瞳を真っすぐに向けて言った。
「彼女にはラスティ・ネイルを、私には……カンパリソーダとお花ありますか?」
彼女のか細い声が、嫌に冷たく聞こえた。
「花……ですか?」
「ええ、水仙とクロユリ、飾りにレモンか何かで月を付けてくださると嬉しいのですけど」
彼女の大きな青い瞳が恐ろしく思えた。思わず興奮しそうになる心を落ち着かせる。
(この方、誰かに呪いでもかけるつもりですか)
「見立てたものなら作れるかもしれません、アンコとクッキーなんですけど……」
空気の抜けるような音と共にふふっと小さく笑った彼女が、それでお願いというように頷いた。
 カウンターで注文された二つのカクテルを作り始めた。
スコッチ・ウィスキー45ml、ドランブイ15mlを氷を入れたコリンズグラスへと注ぎ入れ、ステア。カラランッとグラスと氷とがぶつかる甲高い音が響く。
「お待たせしました。ラスティ・ネイルです」
「あ……、あり、がとうございます……」
妙に低い声に、察しがついたような、靄がまだ晴れ切っていないようなそんな胸の内。
(ラスティ・ネイル……苦痛を和らげる。彼女はこの子を思ってに対し、ドライな関係……)
同じようにコリンズグラスにカンパリ45ml、炭酸水適量を注ぎステア。綺麗な紅の薄まった橙色に似たカクテルを作る。飾りにレモンの皮を丸く切り抜き、更に片方を波打つように切り込みを入れる。完全に切らないよう気を付け、それを反対に折り月に白雲が掛かったかのように見せ、もう片方にグラスへ掛ける為の切り込みを入れた。
次に焼いておいた花型のクッキーに白と黄色のアイシングで水仙のように見せる。絵心はまぁ、さておき、だ。
最後にアンコをペースト状にこしてそれらをまとめて百合の形に見立てた。出来上がった水仙とクロユリを小さな小皿に乗せ、彼女の前へと出した。
「お待たせしました。カンパリソーダと水仙月とクロユリでございます。何分こういうのは初めてなので……、ご満足いただけるかどうか」
「有難う、わがままを聞いてくださって」
そう言って目を細めた彼女は、以前会った彼女を重ねる。だがそれはすぐに消えてしまった。
ふぅっと小さく息をカンパリソーダ―の月へとかけ目を閉じる。何かを唱えているのか、グラスの中のカンパリソーダに波紋が微かに現れる。
「……」
そんな彼女を見つめていると、ラスティ・ネイルを飲んでいた方の彼女がちらりとこちらを見た。ほんの少し気まずそうなそんな空気を纏って……。
「何か、ご注文されますか?」
彼女の方に向き直り、そう腰を少しかがめて訊ねると、
「あ、の……」
言いづらそうな雰囲気で、小さく言った。その注文に少し笑って、注文を受けた。
「お腹は誰でも空くものです。少しお時間を頂きますが、よろしいですか?」
彼女は何度も小さく頷いたのだった。

 「これであの子達はきっと酷い目に遭うわ。あなたの心の痛みを今すぐに取り除く術は私にはないけど、きっとあの子達は後悔するわ。ただ、あなたにした事でそうなったとは思わないでしょうけどね」
「え、あの………」
「これは私が好きでやったの。だから貴方が気にする必要はないわ。お礼が欲しいなんて言わないし、それによって貴方が心を痛める必要もないの」
彼女は深い青色のワンピースの上で彼女の手を取ってそう言って微笑んだ。
「……」
「それにあの子達より、貴方の方が綺麗で可愛いわ。あー……可愛いは複雑かしら?」
小首をかしげて宙を仰ぎ見るサンドリヨンの彼女。それに対してそんな事ないとばかりに首を横に振る深い青色の星座の少女。
店内は、緩い光の中、時間を溶かしてゆく。
今日も人々は疲れを癒しに、忘れたい事を忘れる為に……。様々な胸の内を秘めてやって来る。
「お待たせしました。特製ハンバーグとライス大盛です」
ことりと小さな音がテーブルを叩いた。
目の前のハンバーグに目をキラキラさせて喜ぶ少女に、ふっと心が温かくなるのを感じた。
「冷めない内にどうぞ。あ、でもお熱いのでお気をつけてお召し上がりください」
「……い、戴きます」
フォークとナイフで丸々と膨らんだ肉厚なハンバーグを、割り開く。
中から薄っすらと黄を帯びた脂の、透き通った肉汁が溢れ出た。
それを少々大きめに切り口へと運ぶ。熱そうに口が踊りはしたが、肉の旨味と蕩けるような食感に、手を止めたくなくなるほどだった。
隣に座る彼女が頬杖をついてこちらを見ていた。
「何か、食べないの?」
「貴方が美味しそうに食べてるの見てるだけで、ホッとするんだけど。――そうね、それじゃあ、私にもそれ、一口頂戴?」
ずいっと顔を近づける彼女に、カウンター越しにお酒を作っていたレイルが驚く。勿論気づかれないようにだ。
(おやおや、意外と大胆なのですね)
ハンバーグを頬張っていた彼女の方は、どうしたらいいのかわからないというように、手を止めている。えっと……と小さな呟きが聞こえてきそうな程、動揺をしているようだ。
そして――。
自分が食べる一口より更に一回り小さく切った、欠片をフォークに刺して、服を汚さない様にと手で受け皿をして、彼女の口元に差し出したのだった。
「んー……、本当に美味しい」
幸せそうに口元に手をあてて、そう小さく感想を述べる彼女は、初めてこの店にやって来た時と同じく儚げな雰囲気を纏い始めていた事に気づいた。先程までの禍々しいとまではいかないが、あの冷たい空気をもう今は感じることはなかった。


 ――雨降る街。行き交う人々は皆他人の筈なのに……。
こそこそひそひそと、後ろ指さす。
あれ見て、と。人を貶して楽しむ下衆な人間。人間を装った悪意の仮面。

。・あれ、噂の盗作ブランドの服じゃない? ・゜

。・普通に着て装わないでほしいわ ・゜

「――ねえ、そんな偽物着てここに来ないでくれる?」
透明な液体が降りかかる。それでも何も言わない薄青のグラデーションの入った毛先のミディアムボブの少女。濡れた星座を模した深い青のワンピースのような服が色濃くシミとなって佇む。
一緒にいた人は慌てていたが、お構いなしにその者は罵声を少女に浴びせる。
「ちょ、いくら何でも弁償だよ、大丈夫……、あの、私の連れがごめ――」
「待たせてごめんなさい」
その場に透った、けれども控えめな小さな声が空気を引き裂いた。
 くるくるとした毛先の黒髪に大きな青い瞳の少女が、その間に入った。
「私の連れです。何かご迷惑をおかけしましたか? 傘をさしているのにお洋服が変に濡れているわ……。車にでも水をかけられたの?」
「す、すみません。私の連れが……」
「さっき自転車にぶつかりそうになって、私が持ってた水が掛かってしまったんです。でも、水だし、変なシミにはならないわよね。私たちもう行くから」
そう言って、難癖をつけた少女たちは歩いて行ってしまう。
そんな後ろ姿をほんの少しだけ振り返って見つめる。その大きな青い瞳が微かに弧を引いて歪む。
「      」
口元が動く。しとしとと降っている雨の中その声を聞きとる事が出来なかった。
「あなた、何故何も言わなかったの?」
「……」
「……気にしちゃ駄目よ。私はあなたの味方になりたいわ。だから、話してみて?」














 何故、この世界を作った神様とやらは、善と悪、男と女、天使と悪魔、神と魔王。上と下を存在させたのだろうか。いつか起こりうる争いのタネにしかならないそれらを……。








 「私も何か食べようかしら」
カウンターには彼女らの他に、会社帰りの男。テーブル席にちらほらとお客様がいる。
「ご注文がお決まりでしたら、どうぞ」
「そうね、私も何か、フォークで食べるものがいいわ。んー……ねぇ、甘いのは大丈夫かしら?」
口元に手をあて悩む雨の日のシンデレラが、隣でハンバーグを食べる少女に問う。その答えに彼女は言う。
「レアチーズケーキはあるかしら?」
「申し訳ございません。本日の材料では難しい注文です。甘さ控えめのケーキをご所望でしたら、昨日作り置きしたラズベリーとスイートチョコのタルトがございますが。甘さもスイートチョコを使っていますので、控えめですし、いかがいたしましょうか」
彼女はそれでと了承をする。
 夜という時間をゆっくりと巡り、何ともない日常という時間が過ぎてゆく。
「マスター、さっき言ってたケーキ私達も食べたいです」
「俺らも食べたいッス、ね? 先輩!」
「いや、僕はいいよ。甘いの駄目だし。結局はチョコだろ」
「私も同じのを頂いてもいいですか?」
次々に上がる注文。
「マスターの今日のパスタお願いしたいです。苦手なのアンチョビなので、それが入ってなかったら何でも食べられます!」
「はい、ただいま。少々お時間を頂きます。お待ちください」




















 それからという物、あの少女の楽という娯楽の際は、不思議なほど雨天に見舞われて行ったという。
「いつからあんた雨女になったの? 今日の秀人のライブすっごい楽しみだったのに! 中止だってさ」
そして人が段々と離れて行ったとかなかったとか。









 「いらっしゃいませ、ああ。あなたですか。今日はあの子とはご一緒じゃないのですね」
「あ、はい……。なんか、雨の日じゃないと都合が付かないって言われてて」
(やはり……)
「そうですか。今日も素敵なお洋服ですね。それもお母さまの手作りですか?」
「おかしいですよね、俺みたいな男がこんな格好とか。でも、着てみたいなって思い始めたらどうにもならなくて……」
「いいえ、人間(ひと)は選ぶ権利があるんです。いや、生物全てに本来なら選ぶ権利はあるのですよ。ただ生まれてしまった偏見と奇異に振り回されてしまう世界になってしまった、それだけです」
カウンター、右端から二番目の席に座る少女、いや、彼にいつものとばかりに出す品。
「有難うございます。本当マスターのハンバーグすっごい美味しくてまた食べられて嬉しいです」
「そう言って頂けてこちらも嬉しいです」
紅い瞳は微かに細くなり、やがてそれは閉じた。



――本日も、何かを抱えたモノたちがやって来る。
Bar. let downは今日も変わりなく営業を続けている……。


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