Glass6 瘴気にあてられた心?


 賑やかなテーブルがいくつかある夜。
それは起こった。珍しくカウンター席が埋まった日でもあった。
カウンターには三人連れの客。詳しくは、テーブル二席とカウンターに三人の十一人での来客。友達の集まりらしいそのグループで、カウンター席に座った一人の男の言葉がきっかけ。
何よりこのお客様は、何度かこの店に通ってくれている。
「どうせ、僕なんて彼女なんかずっと出来ないんだよ」
「またお前の彼女出来ない病かよ」
ケラケラといつものことのように笑いながら、話に耳を傾ける友人達。
「そうだ。僕、このバーのマスターが好きなんです!」
「……」
妙に重い空気が数秒停滞して、その空気は何事もなかったかのように肺を通った。
「お前、飲みすぎ」
バンバンッとカウンターテーブルを平手で叩きつけながら、目に涙を浮かべて笑うもの、お腹を抱えて笑い出す者。冗談だろという奇異の眼で見つめる者と多種多様の反応。
「冗談なんかじゃない! 僕は本気だっ!」
そう言って、注文を待ちながらそんな話に耳を傾けていた私の手を彼は取り、握りしめた。
「え?」
冗談でしょうと、困りに困った。そんな感情を持たれる事は殆どなかったので、どうしたらいいのか解らない事も確かだが、何より人間に好意を持たれたのは殆ど初めてだ。こういった所謂好きだとか嫌いだとかの感情では。
「このバーに来て思ったんです。本当に綺麗な方が経営してるんだなとか、店の雰囲気とかも凄く良くて、お客さんにも凄く気を配ってて、この世の中の誰よりも素敵だと思ってたんです」
(この世の誰よりも……。あー……私人間ではないんですけど……。まぁ実質この世≠ノは居ますけど)
「お褒め頂き有難うございます。そのように思われているのを知る事が出来て嬉しく思います」
「……」
「?」
どうしたのだろうかと、赤い瞳を細めると、目の前の彼は言葉を更に紡ぎ始めた。
「それに、マスターのその瞳も凄く魅力的で。カラコンでもすっごい似合ってて、僕は本当に恋をしたんだって心から思えるんです。――マスター僕と付き合ってくださいっ!」
時折目を伏せたりしながら紡がれた言葉の後、まっすぐにこちらを見つめてそう真剣に紡いだその言葉に、答えることは出来ない。軽く首を横に振って、宥めるように握りしめられた手をゆっくりと解く。そしてその手を包み込む。
「お客様と恋心のままお付き合いすることは出来ません。ですが、マスターとお客様の関係と少しだけ込み入った、友人のようなお付き合いでしたら、今後このBar.let downでさせて頂けたらと思います。それではいけませんか?」
「あーもう! お前! マスターを困らせるなよな」
思わず固まっていた者たちが次々と声を上げる。そんな中ひと際聞き捨てならない言葉が何処からか飛んでくる。基本人間は生まれてくれば、二つの内の一つになるのは決まっている事。だがそれを選べないが故に苦しむものも少なからず居るのだという事を、理解していない者の酷く痛烈な物だった。
この雑踏にも近いざわざわとした人の小さな、大きな声の中、それは驚くくらいはっきりとこの場所に届いた。
「気持ち悪い、それで結ばれた後どうするの?=v
「ほら、お前も冗談でしたって言うなら今だぞ」
そう[そそのか]彼の友人たち。告白をしてきた彼は頑なにそれを拒否する。
「僕は、本気だ。女なんかもうたくさんだ……。だから男に走るって訳じゃない。もう女となんかとくっついてもいい事なんかないって、分かったんだ。確かに彼女って呼べるような女は出来たことはない。周りの奴ら見てると、いいなって思ったりもあった。だけど、結局それ見てたらさ、彼女が欲しい僕と、周りから見た実際の女なんてって思う僕が出てきたんだよ」
「……どういう事? 彼女出来ないって言ったのお前じゃん」
「言ったよ、僕が男だから恋人欲しいって……。そっか、僕の言葉が悪かったんだ。ごめん、僕、彼女欲しくない。恋人が欲しいんだ」
まるで周りに花でも咲いたかのように、目をキラキラさせて、今までの事が嘘のようにその周りだけが明るく輝いて見えた。所謂オーラというものだと言えば伝わりやすいだろうか。
(女性が苦手という事ですかね? その所為で男性に走ってるわけではないとも言ってましたが……)
パチンッと指を小さく鳴らす。レイルの胸部に女性のそれが現れる。
(っ 重いですね。平均的な大きさの筈ですか……)
 とりあえず試してみたかった。本当に女性が嫌い、苦手であれば、今この時の自分を否定するだろうというその考えに。もしこれで受け入れるのなら、女性が嫌い、苦手というのとはまたどこか違う何かが原因でそう思い込んでいるという事になる。
「マスター、僕と本当に付き合ってもらえないでしょうか……」
「……。そうですね、私が女性でもそう思うのですか?」
「え? いや、マスターは男性の方ですよね?」
恐る恐ると男性は問ってきた。それに言葉は添えるだけで、手振りで彼の手を取るとそっと自分の胸部へと導いた。男性の手が胸部に触れる。それなりの膨らみに弾力のある、ごく平均的だと思われる大きさの胸に男性は顔を徐々に赤らめていった。
 明らかな動揺の色を見せた。
「こんな私でもよろしいのですか?」
微かに首を傾け、瞳を細めた。何とも艶やかさを見せる表情。答えは、どちらだ?
未だ動揺で手を動かせずにいる彼は、微かに身震いをすると、レイルの目を見て震える唇で紡いだ。
「ぼ、僕はマスターなら女でも構いません。……僕はマスターだから、好きなんです」
「私と居てもいい事なんてありませんよ?」
「マスターならそれでもいい! 僕は……僕は、あなたという人に惹かれているんです……!」
(……あれ、もしかしてこの人……瘴気にあてられている? でも私がそんなへまをする筈……)

 ドアに吊るされたベルが来客を知らせる。
「いらっしゃいませ」
颯爽と入って来た客は慣れているようで、カウンター席の前でふと止まる。
いつもカウンター席に着く者なのだろうと、話しを一度止め、接客に入った。フードの客。ああ、彼≠セと分かった。
「いつもの席は今日はお客様でいっぱいですので、もし気になさらないというのでしたら、こちらの奥にどうぞ」
そう言って、いつもは解放していない左奥のスペースへ誘導する。カウンター内から収納されたカウンターテーブルを引き出し、本来のカウンターとの接合部にあたる部分にはめ込むようにしてテーブルを整える。
カウンターから出、奥の手洗いの方にある収納スペースから予備の丸椅子を持ち出して、客に座るよう促した。
「ああ、悪いな……」
フードの客はそう言って席に座る。そして、注文の品を口にしようとしたのだろう。しかしそれは言い切る前に止まった。
「え……、おまっ!? それ……趣味か?」
「……」
きっと今、とんでもない顔をしている気がするが、相手の客は人間ではないと少し気を許してしまった。
「え、趣味?」
前のカウンターに座る先程の告白の彼とその友人たちが聞き返す。
「……いえ、趣味じゃないですが」
流石に誤解をされたくはなかったのでここは素直に白状した。はぁと小さく溜息を吐く。
「マスターやっぱり女じゃないんですね!」
「そう、ですね。すみません。ちょっと試したくなったのもので……」
でも、感触凄い本物みたいでしたがと、困惑の表情を浮かべるので、その場で胸部を外して見せた。一瞬ざわめきが起こったが、それはすぐに静まり返った。
 フードの客がグラスの赤を飲みながらこちらを眺めているのを横目に感じた。
「でも、マスターが本当に女でも、周りの男も気が気でないでしょう。男でもかなり色気凄いし、それこそ彼女居ないんですか?」
「私にはそういう方は……」
「だから、僕と付き合ってください。僕はマスターの事ばかり考えてしまうんです」
ぶつぶつと言い始める彼、少し酔いが回って来たのだろう。段々言葉に意味を持つものは単語単語になり始めて行った。
「おーい、カシスソーダもらえるか」
はい、ただいま。あー、ザクロ入れますか? と問うとフードの客は苛立ったようにこちらを睨みつけた。
(怒らせてしまいましたか……。というか分かるものなんですね)
くつくつと微かに笑いながら、注文のカシスソーダを作る。
ミキシンググラスに氷を入れ、果実系リキュールのカシスリキュール45mlに炭酸水適量を入れステアする。氷の音が少しばかり濁って聞こえる。ミキシンググラスに対し、氷が些か大きかったようだ。
ビルドで作ることが主流だが、Bar.let downではミキシンググラスでカシスソーダを作る。注文が多い日はポットに作り置きという形もとるが、そうある事ではない。
レモンをスライスしたもの、ライムをスライスしたものをグラスの中に飾り入れ、完成である。
「お待たせしました、あなたは魅力的≠ニいうカクテル言葉のカシスソーダでございます」
「へっ、そんなの知るかよ。俺は好きなものを飲みたいだけだ」
「だから、ザクロも差し上げると言いましたのに」
「お前……、本気で怒るぞ」
「私は怒られてもよいのですが。また貴方フラフラしていますし」
「余計なお世話だ、……――」
彼とのやりとりを見ていて思ったのだろうか、告白の彼が口を開いた。
「マスターとそのお客さんはどういう関係なんですか?」
「彼は、私と同類系の……まぁお友達みたいな感じですかね」
そう綺麗に微笑みを浮かべながら答えると、フードの男は盛大に口にしていた酒を噴いた。そして、咽るように咳き込み始めた。
「おや、大丈夫ですか?」
心配の声をかけ新しいお手拭きを手渡す。フードの彼は気色悪い事言うなと体を逆立てた。
「言っておくがコイツと俺は天と地の差があるからな! 真に受けんじゃねぇぞ、人間!」
「いや、君も人間だよね? 面白い事言うね」
「もしかしてこれがいわゆる厨二病ってやつ?」
「初めて見た」
人々、生物の声の中にそれはまた響く。
「気持ち悪い、人の目惹きたい粋がり野郎が=v
「……」
「……」
その声は人間には聞こえるのか、ただ告白の彼には聞こえている様子があるのが気掛かりだった。
(先程のは聞こえていたのだろうか? 最初のは聞こえていたような節はあったのですが……)
その瞳を歪ませ、微かに色を暗色させる。
「おい!」
それも呼びかけによって、現実へと引き戻された。
「すみません。少しぼうっとしてしま……――」
「野放しにしてんのか? さっきの」
フードの下に覗く紅を湛えた鋭い眼光がこちらを睨みつけるように見つめながら、そうこちらにだけ聞こえるように言う。
 どうやら、聞こえる者と聞こえない者が居るらしい。
人間には聞こえないとなれば、また話は早いのだが、どうやら人間にも聞こえる者とそうでない者がいるらしい。出来る事なら野放しになどしてはおきたくない。
「気配は追ってみてるんですけど。――それに」
「ああ、なんか人間にも感知出来る奴が居るみたいだな」
「そのようです」
「それにお前、さっき何しようとしてた。目がヤバかったぞ」
「……」
フッと笑って、何事もなかったように口を開く。
「先程は大変失礼しました。ぼうっとしていたのを指摘して頂いたので、私から一杯奢らせてください。お望みなら純度100%のベルヅェブを提供いたしますよ。流石にショットサイズのグラスになりますが」
「だから、何度も言わせんな」
「身体がもちませんよ? 私の勝手な心配です。危ないと判断しましたらこちらでちゃんと介抱いたしますよ」
「だから……」
「介抱! いいなー、俺もマスターに介抱されたーい。恋人がダメならせめて介抱してほしい」
「おい、お前、マスター[こいつ]のどこがいいんだよ!? というか正気か!?」
「兄ちゃん言ってやれ、大丈夫かって」
ケラケラ笑う彼の友人達。それに対してフードの男は言う。
「俺が言いてぇのは、男だ女だじゃなくて、本当にこいつでいいのかって事だ。男だろうが女だろうが俺もどっちでもいいからな」
「えっ!」
思わず、二人が固まった。男なら女を好きになれと言われるのかと思っていたからだろう、意外な言葉に思考が停止したようだ。
「はっはっは、それでは誤解を招きますよ? 各言う私も男でも女でも構わないですけどね」
「言ってる傍からお前も誤解招かれる発言してんじゃねぇかよ」
周りに構わず話しを結ぶ。そんな中、告白の彼がこちらを期待したような目で見つめていた。
「とりあえず、店内にいる悪意≠消してしまわないと、ですね」
にこりと悪い笑みを浮かべるレイルに、鳥肌が立つフードの男。なら、その間の目惹きは俺が何とかしてやるよと、ほんの少しだけ面倒くさそうに言ってニッと歯を微かに覗かせて笑ってみせる。
 それに頷くと、カウンターから少し離れる。その際カウンターの客達が声をかけるが、中での用事があるので少し裏に行ってきますと微笑むのだった。
数分しない内に手にガラス瓶のようなものと、綺麗に飾られたフルーツのサンドウィッチを持って戻った。硝子の瓶に関しては、この店内に居座っている、生き物達を揺さぶるそれらを封じ込める為のモノである。言葉で言うには封じ込める、であるが実際にはこの瓶の中は魔界と繋げる事が出来るので、そちらへ転送し、幽閉するためである。

 ガタリと音を立ててフードの男が席を立つ。気にした様子のないマスター、音に反応するもの達。
カウンター越しでドリンクを作りながら、紅い瞳は暗色へと変化し目標を感知する。すぐに手を出せないのは人間、そうでない者といるこの店内での騒ぎを大きくさせないため。しかし、その悪意には良い思いをするものではない。何より、一定の人へ向かって投げられる悪意を、人間(ひと)はそう簡単に相殺出来ないのだ。
そして、口にせずとも唱える。悪意を転送するための簡単な言葉を。それに逆らえるものは、今のこの世界ではほとんどいないであろう。もし仮に居るとすればそれは、堕ちに堕ちた神か、悪魔に魂を売りその罪を重ね過ぎたものだろう。だが、その仮も稀であり、逆らえる者は居ないに等しい。
 瞳の紅が戻ると、手にしていたグラスをフードの男の座っていた席に置いた。ドロリとした赤色のカクテルを。
「本当こえーよな、お前って」
「私的には貴方の方が怖いですよ。こうして普通に話しかけてくれる方は滅多にいませんから」
彼にしか聞こえない声の大きさでそんな会話をする。
(……まぁ、魔王にこんな軽口叩く奴居ないか……。そんな雰囲気ねえしな、コイツ……)
そうしてカウンターに戻ると、気にした様子もなく、置いてあったグラスを煽ると呻きながら、レイルを睨み付けるのだった。
「お身体に障るかと思いましたので、ちゃんと摂れる時に摂らないとですよ。それに、手助けして頂きましたしこれくらいはさせてください」
中毒者になったらどうしてくれんだ! 強い口調で返し、グラスを握りしめる。そんな彼にレイルは微かに微笑んで、元々中毒者みたいな者じゃないですか。ですが、貴方の場合は極力避けている優しい者なのは理解しているつもりです。
「だからこそ、たまにはちゃんとした貴方の食事をしてもらいたいのですよ」
「……」
「さて、貴方は本当にこんな私でいいんですか? きっとお酒にあてられてるんですよ」
「ち、違います! 僕は本当にマスターが運命の人だと思ってます!」
中々諦めの悪い方だと、溜息を吐くと、悪戯に質問をしてみる。またきっとフードの彼が口をはさみたくなるような……、そんな問いだ。
「私が人間でなくても、ですか?」
「……」
「マスターが厨二病発言し出したぞ」
こそこそと告白してきた彼の連れが声を潜めて口を開く。そんな雑音は気にせず彼の回答を待つ。
「毎晩貴方の血を求めたとしても?」
微かにフードの彼が震えたような気がした。だが今聞きたいのはこの男性の出す答え。魔王の瘴気にあてられただけなら、それはそれで構わない。何らかで漏れ出していたと考えれば、それ以降はそのような感情も思いもなくなっている筈なのだ。無意識に瘴気を出してしまっていたとしたら、大変な事ではあるのだが、今ここに咎める魔王は居ない。現魔王は彼自身なのだから。
「毎晩毎晩酷い拷問をしても? そうですね……イメージが付かないでしょうから、例えば……」
口元に人指し指を軽く当て思案する。
「貴方の(からだ)を鎖で縛りつけて、目隠しをして体に傷を入れていくというようなものはいかがです?」
うわぁと声色から見ても、良い印象のない声が聞こえる中、告白の彼もまた引くものだろうとそう思っていたのだが、彼はそれでも意見を変えなかった。
「それがマスターの望みなら!」
そんな答えにこれはもう、酒の所為でもないというのならただの物好きだと割り切ってしまえるのに、彼の言葉の一つ一つに、本気で自分に惹かれているような感覚すら覚えた。
「それは、嬉しいですね」
「それじゃあ」
ぱぁっと辺りに花が咲いたように、表情を明るくする彼に、差し出すカクテル。
「凄く綺麗ですね」
紅を少し濁したような夕焼けのような色のショートカクテル。
「それを飲んだら終わりにしましょう」
そう微笑んだ。意外な人間に出会ったものだと、心に語る。相変わらず店内には人も生物も、この場を楽しんでいるようだ。

キス・ミー・クイック オレンジの濁ったショートカクテル。
その名の通り、カクテル言葉は「私にキスをして」
けれど、私の作ったそれは、「幻の恋」を意味する、木苺リキュールを使った赤いカクテル……。ペルノーのハーブに混ざって、その思いを幻に。
いつもと変わらない、お客様がお帰りになられる。それだけだ。
魔王に恋した人間なんて、誰でもわかる結末しか迎えないのだ。
「じゃあ、マスターまた来るよ。今度はコイツ抜きで」
「マスターに迷惑かけちゃ申し訳ないもんなぁ」
「別に私は構いませんよ。ただ、周りの目を気にするのであれば、彼の為にも連れて来るのは程々にした方がいいかもしれませんね」
二人の友人に抱えられるように、その彼は店を後にした。





Bar. let downは今日も様々な思いを抱えたモノ達が、そのひとときを楽しむ為にやって来るのだ。








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