Glass7 幸せのふわふわ


 今日も彼は何かをせっせと作っている。
それが気になって、うろうろしていると……。
「おや、どうかされましたか? ――あ……、クリームが欲しいとかですか?」
あまりあげ過ぎるのもよくないと聞くのですが……、何やら悩ましく考え込み始める彼に小首をかしげる、白い三角耳を付けた少年。視線を落とせば白い猫がちょこんと座っている。
少しだけですよ。そう言って彼が僕の目の前に白いふわふわした、甘い匂いのするものを置いた。
(いい匂い……)
ふんふんと鼻をひくつかせそっと、顔を近づけた。甘くて鼻先にふわふわとする感触をさせるそれに、恐る恐る舌を伸ばした。口の中で液状に近くなり、甘く濃厚な香りと味が広がる。こんなもの知らない。でも、それに興味をそそられる。無我夢中でその白いふわふわにかぶりつく。中毒のように止まらない。
「ねえねえ、僕もそれやりたい」
すっかり綺麗になった皿をそのままに、レイルのしている事に興味を持った。
 「いいですか? 作るのは構いませんが、勝手に口にしてはいけませんよ。あなたはそういう生き物ですから、気を付けないとまた大変な目にあいますから」
そう念を押され、粗方の作業やり方を学んだ。勿論分から無くなれば彼に聞きに行く。
まず必要なものを揃えて、怖いけど水で手を洗って――。
よし、がんばるぞー! と意気込んだ。
「真っ白硬いこのたまごってやつを割って、黄色いのが気になるけど我慢。で、これを混ぜて、用意したこの粉入れてまた混ぜて――」
そうこうしている内に、失敗と時間が募った。そして、出来上がったそれに目を輝かせていた。
「僕と(おんな)じ! ……でも、これ食べられちゃう……」
(そうだ、レイルに見せて来ないと!)
目的を思い出し、ぱたぱたとレイルの居るであろうフロアへと走った。

 既にそこは夜の帳。店内には先程までと違い、たくさんのモノで溢れていた。大嫌いな人間。でもそれは全てではない。一部の人間と分かっているのに、心は冷たくなっていくのを感じられずにはいられなかった。
そして、また迷惑をかけてしまう。
今はレイルのしているお店の時間。この時間に僕が出て来てはいけないのに、出てきてしまった。
「あれ、マスターその子」
「!」
「え……。あ、この子は」
人間の女の人と目が合う。逃げないと、と思うが体が強張って、動けないでいた。手に持っていたそれがカタカタと震え、音を立てる。今にも落としそうになるのを必死に堪える。
早く、早くここから居なくならなきゃと呪文のように言い聞かせるがその足は動かない。
人間(ひと)の視線が怖い。見つめて来るその目が、何故ここにいるとばかりに自分を責めているようにしか思えなくて、泣き出したくなる。
(ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……)
そっと傍らに温かい空気が近づいて、視線を動かすとそこには困った表情を浮かべたレイルが居た。どうする事も出来ずに硬直していると、その体がふわりと宙に浮いた。彼が僕を持ち上げたのだ。
「すみません。今ここに居る子なんですよ。後猫もたまに居たりします」
「えー、猫ちゃん! 見たいです」
「猫はきまぐれですからね。いつ来てくれるかは分からないのですけど、お見かけした際は出来るだけこちらに来てくれる様頼んでみますね」
「まぁ、無理矢理連れて来て、お店駄目にしたら大変だもんな」
ざわざわと個々に会話が流れてゆく。
「そっちの子が持ってるの可愛い」
「マスターに作ってあげたの?」
そう訊ねて来る女性客たちに、白い三角の耳を付けた子供は怯えるように、レイルにしがみついた。
「すみません、この子まだ人に慣れていないようでして……」
曖昧に笑う彼にお客達は気にした様子はなく、恥ずかしがり屋さんなんだねと笑う。
「マスター、早くその子が作って来てくれたの食べてあげないと」
「その子可哀想だよ?」
ピクリと言葉を捉える。
「しかし、今は皆さまに素敵な時間を過ごして頂くのがBar. let downの」
「その子の気持ちも大事にしてあげてよ、マスター。私たちは構わないし、何なら見えないようになるし」
「うん」
「確かに営業中に、っていうのは印象悪いのかもしれないけど。私たちは気にしないよ?」
そう言われてもと思うが、確かに彼女たちの言う事も分からない訳ではない。しかし今は接客中でもある。
「マスター、俺マスターの作り置きケーキとかあったら食べたい」
「俺サングリアあったらお願いしたいです」
カウンター席に座る若めの男性二人がそう注文を出す。ただ今と了承して、サングリアがない事に気づく。
「すみません、本日サングリアはご用意がありません」
「はははっ、残念」
「じゃあ俺もこいつと同じでケーキください」
むぅっとふくれっ面を作って相手の男の脇を突っついた。
裏側へと向かうと、イトが見えた気がした。知り合いである男女それぞれと知り合いでないそれぞれが、自分を裏方へと向かわせたかのような。光の糸。

 「……僕、可哀想じゃないもん」
ずっとしがみついていた彼を地へと下すと、最初に口を割って出たのはそんな言葉だった。
女性客の言葉。彼にその言葉はあまりにも、心抉る塩のようなものだった。
「わかってますよ、ほら。それを私に見せに来たんですよね?」
そう言えばこくりと頷いて、それを差し出してきた。少し不格好で、膨らみの足りないホットケーキだ。最初から出来るとは思っていなかったので、簡単に出来るミックス粉を与えていたのだが、
「最初にしてはいい出来じゃないですか? それに――味もよさげですし」
「……本当?」
「ええ。これにクリームやドリンクを添えたら良い感じになりそうですね。綺麗に焼ければお客様に出しても問題ないくらいには」
そう言うと彼は目にいっぱいの星を散りばめた様な、そんな瞳をしながらこちらを見つめていた。

 「お待たせしました。本日のケーキ、ガレット・デ・ロワになります」
「聞いたことあるぜ、ばあちゃん曰くソラマメ入ってるケーキ、だよな」
「えっ……ソラマメ……。俺やっぱいいわ。お前が両方食べてくれ」
片方の男はどうやらソラマメが嫌いなようだ。ケーキを頼んだ方の男は特に気にした様子もない。
「流石にアーモンドクリームたっぷりのケーキだぜ? 下手したら血糖値上がって吐くから二つは勘弁だ。というか、ソラマメをはじけばいいだろう」
「あ、そっか」
会話に大変申し訳なさを感じる。
「申し訳ございません。このガレット・デ・ロワ、ソラマメは入っていないのですよ。代わりにコインが入っていまして。元々ソラマメは一つのホールに一つ入っていて、それを切り分けて配った際、ソラマメが入っているのをひいた人に幸福が訪れるというフランスの伝統菓子なのです」
ソラマメの代わりにコインが入っているという、しかも確実に入っているわけではない事を知ったためか、ソラマメ嫌いの男は、ホッとした様子だった。
「入ってたらいいな、コイン」
「え、それって飲んじゃったらヤバイやつじゃん」
と話は盛り上がりながら、テーブルに置いたケーキをつっつき始める二人。女性客の方もまた、端末を弄りながら各々花を咲かせているようだった。



 数ヶ月後。
「今日は猫ちゃん居る?」
「そう運よくいるわけないじゃん。あ、マスターいつものフルーツたっぷりのサンド……」
賑やかに入って来た女性客。その内の一人が目を向けた先。
「いらっしゃいませ」
「これ頼むよ、猫は居ないかもだけどこれ、猫じゃん!」
「え? わぁ、かわいい。あたしもこれにする」
 厚手のふわふわした猫の形をした小さめのパンケーキ。皿には装飾のように綺麗に盛られたクリームとベリー系の果実とソース。隣にまあるい形のグラスに青色のドリンクが並んだ、新しいメニューのイラスト。厚焼き猫型パンケーキと書かれている。
「マスター、この厚焼き猫型パンケーキ二つとこのアルコールの方の、金魚鉢の夢。お願いします。そっちは?」
「あたしは、お酒な気分じゃないから、ノンアルの方で小さな水界でお願いします」
注文を終え、彼女たちは何処に座ろうかと迷っている。カウンター席を勧めて見たものの、ちょっと緊張するからと、断られてしまった。
「かしこまりました。空いてるお席にどうぞ」
そして、注文を受けたあの時初めて作ったホットケーキを元にしたメニューを作るのだった。
生地をフライパンにかけている間にドリンクを作る。
 まあるい金魚鉢のようなグラスに冷やしておいた魚型の色とりどりのゼリーと、クラッシュしたレモンゼリー、クラッシュアイスを入れる。ノンアルコールの彼女の頼んだ小さな水界はブルーシロップ30ml、ヴァイオレットシロップ15mlと炭酸水で作る二層カラーのドリンク。アルコールの金魚鉢の夢は、ヴァイオレットシロップをパルフェタムールに変え、ベースにヴェルモットを使い、透明度の高いアップルジュースを使うものである。色味が黄色いものだと濁ったモノになるので、見た目的には面白みがなく感じるのだ。
 時期的に夏に涼しげな印象を与えるドリンクの完成。
生地の方は弱火でじっくり焦げないように焼くのがコツ。蓋をすることでふんわりと生地が膨らむのでオススメである。
「お待たせしました、厚焼き猫型パンケーキとこちら、小さな水界と金魚鉢の夢でございます」
目の前に置かれたドリンクに、綺麗、可愛いとピンク色の悲鳴が上がる。勿論猫のパンケーキにも。
「これ、粉砂糖?」
「掛けたら白猫になるね」
「チョコシロップとメイプルもある。絵心ないんだけど」
「描くつもりだったの!?」
美味しく食べれればいいかと二人の意見がまとまり、パンケーキにフォークが入るのだった。

 後日、あの二人がいつの間にか撮っていたらしい写真が元で、暫くパンケーキを求めてやって来る客でBar. let downは賑わうのだった。
(何の変哲もない、ただの型パンケーキなんですけどね……?)
人間とはかくも不思議な生き物だ。その気になれば自ずと作れるというのに。


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