遊郭日-Red light district day-


 翌日、朝は最悪だった……。
床に落ちた血がペンキを垂らしたように見えるそれを眺めながら、鏡に映る自分に笑う。
鏡の中の自分は困った顔をする。でも怖がられはしない……。
頬に走る痛みを離さないように、逃がさないようにそっと救急箱からガーゼを取り出し固定した。血は止まっていたから傷を隠せればそれでいいと思った。
激しい頭痛に悩んだが、学校に行かないと色々と面倒なので向かう。
朝食にパンを銜えて外に出る。少し先にあるスーパーで買ったコッペパンだ。安いのに美味いしデカい、かなりリーズナブル。
しかし、口を動かすたびに頬の筋肉が動き痺れるような鋭い痛みを感じ、食べることを止めた。
血は止まっているはずなのに、ドクンドックンと不規則な心音を感じる。そこに心臓があるかのようにさえ思えた。
 「……」
それでも朝くらいは食べておかないとまずいだろうなと無理矢理食べた。その都度痛みに顔をしかめる始末だ……。どうしてこんなことをしたんだろうなんて悔いることは特になかった。
「はぁ……学校行きたくないな……」
よっこいしょっと電信柱に体を預ける。けれども近くにはゴミ置き場がある。それをなんとなく見つめると、そちらに体を預けるように倒れた。幸い生ゴミはないらしい。嫌な生臭さを感じる事がなかったのでそのまま目を閉じた。物音が飛んで、静かな世界に飛ばされようとした時、手にふわふわとした感覚、ざらざらとした熱い何かが手をこすり始めた。
けれどもそんなのはどうでもいいやと、されるがままになっていた。このまま寝てたいな……と思った時だ、不意に体が浮いて驚いた。まさかこう簡単に死ねたとは……と思うもつかの間。背骨辺りに痛みが走り、だるさから片目を開いた。
 そこに映ったのは……、昨日弁当を無理矢理食わせた幸稔とは別のクラスの泉希だった。
「お前、こんな所で寝てるのか?」
「……? あ、あー……学校行きたくないなと思ったら怠くなってね、みずきちゃんに会うなんてついてないなー……」
「昨日もこの近くに居たよな。家に帰ってないのか?」
「……。みずきちゃんには関係ないでしょ」
ぱっと手を払って体を立て直す。頬のガーゼに視線を感じ溜息を吐く。
「ただの怪我。――学校ちゃんと行くからそういう目で見ないでよ」
ふっと笑って学校の方へと足を向かわせる。けれど物凄く怠い。
(あれ……、なんでこんなに怠いんだ……?)
ズキンッとガーゼの下が酷く痛む。冷汗が浮かぶ。痛みに負けて体がぐらつく。踏ん張りがきかない……、眩暈を起こしたように頭から目へと不快な痛みと歪みを感じる。
「……っ」
近くの塀に体を預ける形になった。気持ち悪い。喉の奥に違和感。まるで豆でも飲み込んでそのまま詰まらせているかのような不快な感覚。咳込んでも吐き出せないというような苛立たしさ。
「今日は休むべきだった……、あー死にたい」
瞳に世界を映すのがしんどくなって、視界を閉じた。少しは楽になればいいそんな気持ちだった。感覚はあっという間にぐらついていくようで、目を閉じてもグルグルする。目隠しをされてアトラクションにでも乗せられているかのようだ。

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 来なはれ、着なはれ……
こっちはとても……落ち着きんす。なぁんも考えんでええのです……。
俗世に飽きんしたら、こっちへ着なはれ、鬼なはれ……。
紅い(ひかり)揺らめいて、色恋何にも考えへん……。

素敵な紅を引いてはる……。
あんさんこちらへ来なはれなんし。

《ここはオレを死なせてくれるのか?》
何ゆーてますのん。こんな素敵な紅引いて。ずっと座敷牢(ここ)で外眺めてたらええ。
あんさんがここに来た理由なんて問いはしまへん。
《オレは死にたいだけだ……》
《死にたい……》 《死なせて……》
《死ってどんなものか知りたいだけ……?》

――なんで、そこに至ったんだろうか……?


その(あか)を魅せて、(べに)を引きましょう。
あんさんなら大丈夫、わりかしすぐ相手が見つかりんしょう……。

着なはれ、鬼なはれ……
ここは死の(おり)
紅を持った誘惑の(おり)

   …{emj_ip_0836}.{emj_ip_0836}。・

 ――学校は騒然とした。
登校時、私は幸稔に会った。今日はゴミ置き場のゴミ袋風呂に埋もれて居るところに出くわした。
引っ張り起こすと手を払われ学校へ向かう。嫌味も言われたが。
けれども彼は……倒れた。
 現在私は彼を背負って昇降口を通り終えたところだ。

   …{emj_ip_0836}.{emj_ip_0836}。・
おはようと挨拶を交わす声がする。それを片耳に必死で彼を背負って昇降口を目指していた。浴びる視線が嫌だった。けれど彼を置いていくことは出来ず、なんとかここまで来た。
靴を脱がせ、上履きに履き替える。しかしここで問題が発生した。
彼のクラスが分からない。なので彼の履物を入れる下駄箱がない。
 そこに同じクラスでない生徒を見つけた。
すかさず声をかける。
「おはよう」
「え、あ、おはよう」
「つかぬことをお聞きする。こいつのクラス分かるだろうか?」
「え、……あ、こいつ女子がよく騒いでる」
悪い、クラスは知らないやとその生徒は廊下を去っていく。
それを何度か繰り返し、漸く知ってる者に出会う。
「ああ、同じクラスだよ。モミンの下駄箱は奥から二列目の五番目だよ」
「ありがとう」
「いえいえ、何? ラブレターでも入れるの?」
「靴を入れるんだ」
「君の?」
「何故私のなんだ?」
「……だよな」
何だかいろいろ抜けているような生徒だった。まず意識を飛ばしてしまっている彼に目が行かない所を見ると相当抜けてると見える。
同じクラスらしいが彼の友達だろうか? 彼の性格からすればそれはなさそうな気がする。
彼は混じりっ気のない笑顔を向けて、教室の方へ去っていった。
(……はっ、まさかまた私を女だと勘違いしていたのか……)
ラブレターのくだりに頭を悩ませた。
「ああ……、切りたい……」

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 彼を背負い直し、教室とは反対の方へと向かう。
この時間に女子生徒がいないのは最大の救いだった。双方とも女子生徒に会うとろくなことがないという点で似た者同士だからだ。
連なった窓がある廊下を少し行った先に保健室がある。朝早いので担当がいるかは別だ。
ドアに手をかけた。軽い音がして横に動くスライドドア。それは軽く開いた。
「おはようございます」
一応挨拶をする。
「おはようございます。どうしたの?」
担当の先生は居た。
「道で倒れたから連れてきました」
用件だけを短く伝え、背負ってきた幸稔を先生の近くへと連れて行く。そのままベッドに下すよう言われ、指示に従う。
妙に大きな汗が浮かんでいる彼に、ほんの少しの不安が胸を抉る。
「倒れたっていきなり?」
「はい。でも会った時から顔色は良くなかったですけど……」
(これ怪我かしら?)
幸稔の頬を覆うガーゼに手を伸ばす保健の先生。ほんの少しガーゼをずらしてその手を止めた。その様子を見ていると、彼女がこちらに振り返って言う。
「もうあなたは教室に行きなさい」
と。
そんな先生に首を振って傍に寄った。
「私も彼が心配です」
「あなたは見ない方がいい……」
明らかに彼女の顔は青ざめていた。何かとんでもないものを見たそんな表情。怪我が酷いのだろう、それだけは容易に分かった。けれども、そのイメージと実際がかけ離れすぎていて息がつまった。
ガーゼ下のその傷に。

完全に血は止まって固まっていたが、その傷の深さと色味。流血跡に気分が悪くなった。
実際に気分が悪くなったわけではないが、なりそうな勢いの傷だ。どうしたらそんな傷が出来るのか、強盗でも押し入って、無茶してガラスを割って外に逃げ出した時だろうか、到底自分で作るには酷な傷だった。
色味も血の色だけではなくうっすらと青を帯びていて、青というよりかは紫に近い。
 病院に連れて行く。それが決断だろうと思った。目の前の彼女は状況を判断し、一度保健室を出ていく。保健室に二人きり。
一歩近寄って、傷を眺める。
「本当に酷い……。どうしたらこんな傷作る気になるんだ? 死にたいって思うだけでそんな簡単に出来るものなのか……」
実際触れはしないが、自分の視覚の感覚で彼の傷に触れた。空を撫でるようにその傷をなぞる。その手は、指は力なく折れた。そして腕も落ちた。
何かを考えるにも何かが邪魔をするようで、ぐるぐるする。
彼をまた眺めて居ると、保健の先生が戻って来た。
「君は教室に行きなさい。もうすぐホームルームがはじまるわ」
「……はい」
今はそれしか口に出来なかった。何も――考えられない。


 教室はいつもと変わらなかった。
ただ、先生の忠告を無視してガーゼ下を見たせいとは言わない。あれは自分の意思で見たものだからだ。
(アイツ大丈夫なんだろうか……)
脳裏に再生される彼の姿。
女子によく囲まれていて、時々笑みを浮かべながら話す彼。でもどことなくそれが遠く見えることがあって、昨日初めて話しをして、やはり彼は遠くに感じる何かを持っているような気がしていた。
それさえなければ人をこバカにするいけ好かない、女子に人気のあるイケメンくらいにしか思わなかったかもしれない。
 昨日無理矢理昼を食わせた事が気に障ったのだろうかと堂々巡りし始める。
そんなことを考えていたからか、周りの声が全く入ってこず、しまいには肩を叩かれて現実に戻された。
「あ……。すみません……」
「一瀬さん、大丈夫?」
「はい……」
我ながら恥ずかしいと思ったが、それはすぐに何処かへ飛んで行ってしまった。
じゃあうちのクラスはコスプレメイド喫茶に決定します。わーっと辺りが騒がしくなる。それでも心ここにあらず。泉希は窓の外を眺めていた。
彼の事がほんの少し心配だった……。
 その日の午後、保健室の先生は帰って来た。
大事を取って彼は一日病院で休養をとの事らしい。それを聞いてほんの少し安心した自分がいた。どうしてだろうか、人とは適度に関わってきてはいるが、彼の事はどうしても心配な目で見てしまっているのだろう。安堵の度合いが他の人のものより違うと感じた。

   …{emj_ip_0836}.{emj_ip_0836}。・
 ――安桜(あさくら)総合病院。
「………」
傷をつけた頬に触れる。
新しいガーゼの膨らんだ感触と、手に伝わる繊維を介しての温。
目をゆっくりと(しばた)かせ、自然と向く天井を眺めていた。
(………オレ、どうしたらいいんだろう。死にたいだけなのに、死ねない……)
――何故だ?

目を覚ました時、目の前には学校の保健の先生が居た。その近くにこの病院の医者だろう、白衣のおっさんが目に映った。目を覚ましたことで安静にするよう言われ、今日一日入院することになった。
別に頬以外に悪い所はない筈なのに……。
 そうしている内に先生は学校へ戻って行った。病室に残された。けれど個室であることが唯一の救いだった。相部屋なんて……どうしたらいいのかわからない。
一人呟くように、無意識の様に……言葉を口にする。
「……なんで…」
精神(こころ)は何を求めてるのかわからない。その精神が死を求めてる理由があるのなら、それに気づけるのは……誰? 自分自身か、回りか、他者か……。

真っ白な病院。
壁も床も天井もベッドも仕切りとなるカーテンもみんな白。純白、穢れがない。無菌の。清潔な、美しい……。白。

「ああ」
――見てるだけで吐き気がする……。
つーっとその瞳から涙の道が通る。ガーゼに触れている手、もう片方の手で目を中心に腕で覆う。
「明日は……」
(学校に……行か……ないと……な)
この涙の意味は分からない。
突然の睡魔に、身体は逆らえず眠りに落ちる。再びの眠り、先程の暗転とは違い心地の良いものにも思えた。
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 さぁさぁ、おいでやす……

    鬼さん、鬼さん……

着なはれ、鬼なはれ……

  もっと紅を入れたりましょう… もっと紅を

あんさん、ぎょうさん紅が似合うとる

さぁさぁ、そのままそのまま…… 息はせなあきまへん

  あんさん鬼さん、(おり)へようこそ……

あんさんの座敷牢(へや)では、何が見えはるんか?


 艶やかな何重にも重ねた和装のようなものを着た色艶濃い女の人が舞を舞う。
口々に自分へと言葉を掛ける彼女たち。次第に目に見えるそれが変貌を遂げ、紅さす筆が紅刺す刃に変わってく。
塗られる紅は(あか)に変わり、ぬらぬらとするその感触に、舌に付くそのしょっぱさと生臭さ、首がだらりと後ろへ下がるようだ。何も考えない、考えないでいいならそうしていたい。
獄の中でそうしてられるのなら、座敷牢に鎖繋ぎにさ(つなが)れても構わない……。
夢の中で、女が歌うように語り掛けてくる。
《オレは……》

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――決めた。
もう躊躇い傷を出来るだけ作らないように。
この傷が躊躇い傷だとは思っていないが、実際にはまだここにいるのだから。



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