永遠旅行日-Friend of midnight train day-


 学園祭もあっという間に終わり、いつもの退屈な授業の日々が流れていた。
「ねえ、聞いていいかな? 旅行ってさ、青森と岩手ならどっちがいいと思う?」
「え、こんな寒い時期に北かよ。南に行けよ」
「どっちかっていったら青森じゃね? 雪景色に温泉とかいいし」
「それなら岩手だって雪降るでしょ?」
「北ならどこでも降るだろ」
クラスの女子男子が話題に乗ってくる。
「モミン、旅行行くのか?」
「……その呼び方止めろ」
眉間に皺が寄る。
「えー、モミンはモミンだろー?」
「オレは幸稔だ!」
「だって"くれは"って"こうよう"、"もみじ"って読むじゃん。だからモミン」
「だったら紅葉(くれは)って呼べよ……」
えーっと不満げな声を上げて口を尖らせた。クラスメイトの中でも一番、絡んでくるのがこいつだ。特に人付き合いをしたいとか思ってはいないのだが、何故かこいつには付き纏われる。最近はこいつ以外に、みずきちゃんにも付き纏われてると思う。こいつほどではないが。
彼は、なーなーとまた話しかけてくる。
それを横目に、やはり意見はバラバラで決めかねている。こうしてクラスメイトに聞いてはいるものの意見として聞くもなんとも決めかねてしまう。
「青森もいいけど、岩手がいいよ。来たなーって感じで。他にも牧場とかもあるって聞くし」
(まぁ、岩手でもいいか……。宮沢賢治片手に北上川……、悪くないな)
「有難う。参考にさせてもらうよ」
そう言って話題を切る。
周りはまだそこから抜けないでいる。いいなー旅行かとざわざわとした中で会話が聞こえる。耳を澄ませば他の会話もちらほら聞こえてくる。今日の帰りクレープ食べに行こうだとか、今度一緒に服貝に行こうとか、セールやってるって、というような会話まで。ただ雑音と多種多様の内容が混ざってすべてをクリアに聞いているわけではない。

 緩やかに五限目の授業が始まりを鳴らす。
「来週は小テストを行う。各自復習するように」
えーっと大ブーイングが起こる。
「今月は学園祭の振り替えが連休に回されたんだ、少しは頑張りなさい」
教諭の言葉に周りは煮えきらない様子で、ブーイングし続ける。
学祭の翌日から平常通り授業が再開された。振り替え休日というものがなかった。その代りその休日が二十三日の勤労感謝の日の翌日に回された。今回は土日を挟むので四連休となる。
帰りカラオケ行こうぜと雑談が徐々に増えだす。授業は終わりを告げ、帰宅の用意をする。
廊下を全力疾走で駆け抜けた生徒が一瞬翡翠の瞳に映った。
(……みずきちゃん?)
その後ろを相変わらず女子生徒が追いかけている。
「飽きないねー」
誰に言う訳でもなく小さな独り言。
サヨナラララバイバラライカ。
適当に教科書を鞄に詰め込んで、肩に担ぐようにして教室を出ていく。後ろでもう帰るのかよという声がして、目もくれずにただ手だけを微かに振って返した。

 冷たい空気に息が白く残像を残す。
それをぼんやりと見つめながら、駅へ向かう。瞳を閉じて唱えるように頭の中で浮かべる言葉。
サヨナラララバイバラライカ……。
「んー、帰ったら何しようか」
伸びをしてぼやく。空気がガーゼを通して痛みに変わる。あれから……ここをいじってはいない。痛みという感覚だけが暫く続きそうだと、その頬に手をあてた。

――学校の屋上。
「なーんでみずきちゃんがいるの?」
「今はそれどころではない!」
足音が下の方で数人分通り過ぎるのが聞こえた。相変わらず女子に付き纏われているらしい。
「もう諦めて女子が飽きるまで付き合えば?」
はぁっと溜息を吐いて提案してみた。けれど返ってくる答えは予測通り。
一体毎日毎日追われてる彼に女子は、何を求めて追っているのだろうかと、呆れていた。
「というよりお前は何をしているんだ?  屋上(こんなところ)で」
「ああ、返された小テストでも飛ばそうかと思って」
「……結果良くなかったのか?」
「別に」
「環境破壊だ。やめとけ」
「……。みずきちゃんてさ」
「何だ?」
「ちょーうざい」
「お前はそれしか言えんのか……」
今度は彼の番だった。溜息を吐いて首をガクッと落とした。特に今までと変わりのない距離。それが不思議で仕方なかった。別に彼とどうこうしたいとかいうのはなかった。けれど、何処かで外れそうで外れない楔が打ち込まれているかのような、そんな歪な違和感を胸の奥に感じていた。

   …{emj_ip_0836}.{emj_ip_0836}。・

 十一月二十一日。
上野から東北新幹線やまびこに乗った。目的地まで往復一万五千七百六十円。
指定席を取ったのでその場所に座る。誰かと座る気がなかったので隣の席も取っている。なのでその倍の料金がかかっている。
(……三時間くらいだよな)
青っぽいシートに腰を掛ける。窓からの景色を見るつもりはないのだが、通路側だと何かと人の気配に気が散る。窓側のシートに体を預けると、そのまま目を閉じた。
温かな車内は、眠るのには快適過ぎる空間だ。三時間の夢の旅……。
新幹線はゆっくりと発進する。雪国東北へ向けて、新幹線やまびこは上野を出るのだった。
 車内は他の乗客で賑わいを見せている。
子供連れの家族。老夫婦。
様々な人が乗り合わせていた。そんな光景を目にすることもなく、幸稔は一人深い眠りに落ちていた。
眠りに落ちている時の時間の流れは驚くほどあっという間で……。
「本日もJR東日本をご利用いただきまして、ありがとうございます。この電車は東北新幹線やまびこ号、新青森行です。次は、新花巻に止まります。車内はデッキ、トイレを含みまして全て禁煙です。お客様にお願いいたします。携帯電話をご使用の際にはデッキをご利用ください」
車内放送が流れ目を開けた。眠気の取れない目を擦るが眠くて仕方ない。とりあえずトイレへと向かう、都会や田舎の電車程揺れはしない車内だが、寝起きの体にはそこそこな揺れを感じた。トイレのある車両まで歩き、トイレへと入った。
備え付けの手洗い場で顔を洗った。
「もう着くのか……早いな……」
揺れる車内。トイレは接合部分に近い所に設置されている為か、物音がうるさい位に感じる。揺れもまた同じである。
 座席に戻る際、窓の外を見て驚いた。まだ十一月だとは言ってもそれは東北の方の感覚ではなかったからだろう。窓の外は雪景色だった。
そんな風景に目を細めた。
(もうすぐ……、着くんだな)
ドキドキしていた。胸がパクパクと小さな高鳴りを示す。
まもなく着くという車内放送が流れ、長い三時間の旅をあっという間に終えた。
 トタンのような屋根に鉄筋の骨組みの見えるホームに降りた。
新花巻駅の表示を目にする。本当に来たんだなとしみじみ思った。人の流れに合わせて進み改札口を抜けた。
あれからガーゼで保護していた頬に傷はつけてはいない。ガーゼは取れたもののまだその傷跡は残っているが、目立つほどではなくなっていた。それでも触れた北国の冷たい風はその傷に沁みた。
地図やら折りたたんだ紙を広げながら、目的地を目指す。
駅の目の前には銀河プラザがある。緑色のロゴが霞んで見えるがおそらく農協を示す文字。二階には山猫軒という食事処が入っている。この山猫軒は、花巻にある宮沢賢治記念館の駐車場から暫く行った所にあるものと同じだと思われる。記念館にある山猫軒は童話『注文の多い料理店』に出てくる山猫をイメージした佇まいで、全体から見ると大きな猫のようにも見える外観なのだ。駅前の山猫軒は普通の建物に入っているだけなので、そういった雰囲気はない。ただ、作家宮沢賢治が好きなら一度は行ってみたい場所でもある。
(行くなら見た目も料理も楽しめる記念館の方に、行きたいよな……)
幸稔は、銀河プラザの方ではなく駅前にあるバス乗り場でバスを待つ。時刻表と行き先を見て二番バス停へ向かう。高木団地行のバスが来るのを待った。そんな二番バス停にちらほらと人が集まって来た。一番多いのはこの二番バス停のようだ。次に四番バス停。
時刻近く車体が黄緑色のバスがやって来た。既に人でいっぱいのバス内。老人、若者多様な乗り合わせ。バスの中は外から入ると異常なほど暖かく感じた。外がどれだけ寒いのかが伺える現象だ。身体の機能が麻痺しているかのような痺れた感覚。じんわりと熱を帯びる。
ここから目的地には七番目のバス停、里川口で下車する。新花巻駅からこのバスに乗車した人は相当な数だ。あっという間にバスの中は出口を失った大きく膨らんだ風船状態になった。これで痴漢をしたとしてもおそらく言い逃れが出来るレベルだ。ぎゅうぎゅうに詰まったバスの中揺れているにもかかわらず、体は他人と他人でぴったりとくっついている為、揺れをさほど感じない。パーソナルスペースとやらが広い人にとっては生き地獄だ。
ボタンで下車を知らせる。末広町でだいぶ人が減る。とはいっても息が詰まらない程度にだ。所要時間八分。バスだからこその早さである。たった八分が長く感じた。
耳に心地よいポンポンポンポンという効果音が鳴り女性の声で停車場の案内放送が流れる。幸稔は比較的近い座席の手すりにつけられた停車ボタンを何とか押した。
バスは緩やかに停車する。人が少なくなったとはいえ、詰まって中々出口にたどり着けない。後ろにも下車する人が数人いた。
「降ります」
声を上げて降りることを示した。何とか人の間から抜けると整理券と料金を払い、バスを降りる。再び冷たい風に体が晒される。東から来た体には堪える寒さだ。ここから更に徒歩で十五分ほど歩いた。そうしてついた場所は目的地の、川だった。
「凄いな……」
瞳に映った風景に思わず声を上げた。白く息が残る。
真っ白な地面に寒さから透き通った水。広く大きく見えるその川。
かつて宮沢賢治が見た海岸。
――北上川。
宮沢賢治が名付けたイギリス海岸だ。
スロープの様に立てられた柵を乗り越え、ほんの少し川の方へ近づいて座ってそこからの景色を眺めている。鞄からおもむろにパンを出した。他にも瓶牛乳、角砂糖、トマト。そして道中に見つけた烏瓜。りんどうの花。
瓶牛乳の蓋を外し、中に角砂糖を一つ落とす、それを軽く振って倒れなさそうな場所に置く。
パンの袋を開け、イギリス海岸の景色を眺めながら、トマトとパン、牛乳を口にする。寒空の下には冷える組み合わせだった。
ぼうっとして川を眺めた後、幸稔は烏瓜に細工を施した。
中身を慎重にくり抜き、台座となる皿に小さな蝋燭を固定した。その上に中身をくり抜いた烏瓜を被せ、底を接着し、上を切り落としチャッカマンで蝋燭に火を灯した。オレンジ色の淡い色味の(ひかり)が翡翠色の瞳に映る。それを川へと流した。仮に途中で烏瓜本体に火が移ってしまっても、川の上だ、鎮火はされるだろうと烏瓜のあかりが流れて行くのを見ていた。
やけに広く感じる北上川で、幸稔は段々と遠くなっていくその灯りに瞳を閉じた。
りんどうの花も数本川へ流した。そして――。






 川に入った。







靴もすぐに水が入って来て足は面白いくらい強張った。冷たさで冷たいというよりかは痛い、が正解のように思えた。足首はすぐに越えショート丈の靴程の深さまで歩いて行った。こんなに広い川でどこまで行けるのだろうかと思った。痛いと (からだ)が訴える。けれども動かなくなりつつある足を懸命に動かして行く。
「……どんな気持ちだったんだろう…」
――そんなの、決まってる……
小さく呟いた声に反して体は段々と深い所へと向かう。膝まではまだ届かない。夏場のイギリス海岸なら、向こうの岸に現れたであろう兵士を見ながらこの川で生徒たちと自然を満喫していたのではないかと宮沢賢治を思い出していた。

  {emj_ip_0836}.{emj_ip_0836}…。・

 少し離れた所で、帽子を目深に被って表情の見えない人影が幸稔のことを見ていた。
(こんなくそ寒いのに川辺で飯かよ……。しかも体冷やすものばかりだし……)
そんな彼の様子にふとどこかで見た事のあるようなそのものに、頭を悩ませていた。
牛乳とトマト……。
食事が終わったようで、その後何やら黙々と作業をしているのがなんとなくわかった。それがなにやら灯籠のようなもののようで一瞬胸が冷えた。この寒空の影響もあるかもしれないけれども、それだけではない身体の奥の方で感じた予感が、身体を一気に冷やした。それは、風がひゅうううっと耳横で高鳴り出した時だった。
「!」
あろうことか、彼が川に足を踏み入れはじめた。
慌てて柵の方へ、川の方へ走った。冷たい空気が喉を枯らす勢いだ。それでもめいっぱい叫んだ。
「カンパネラはまだそこには居ない!」
走ってて徐々に思い出した。何かの物語。それに酷似していたことを。
「……なっ、なんで。みずきちゃんがここに居るの?!」
その声の主に驚きを隠せないでいた。足が止まる。流れていく川に立ち止まった足に容赦なく痛みを与え続ける。もう冷たすぎて痛みはなく、ただ感覚のない棒のようにしか感じなくなった足。
「そんなことより――」
ザバザバと泉希は水音を立てて川へ入って来た。冷たい川の温度に身が震える。そして幸稔の手を掴むとそのまま川から彼を引き戻した。陸地に戻って来ても寒さは酷くなる一方だった。十一月の川はもう冬の川だ。
一気に体温を奪って行った。

 「十一月だぞ、何してんだ!」
寒さで声が若干震え気味になった。
「……死にたかった」
「まだ、そんなこと言ってるのか!」
彼のいつもの調子の答えに頭の中がぐちゃぐちゃになった。
体が氷の様に冷たくなっていくのを嫌でも感じた。こんな気温の中真冬の川に入ったのだから、当たり前といえば当たり前だ。
彼の言葉に押し黙っている幸稔が、
「残された彼らは強すぎるんだよ……」
覇気のない声で続ける。
「でも、ジョバンニはきっと弱いのを隠してる」
首ごと視線を川の方へと向ける幸稔。
「……」
「本当は、ジョバンニはカムパネルラと一緒に居たかったんだ。現実とかどうでも良くて!
……一緒にずっと銀河鉄道で二人だけで旅をしててもいいって、そう決心したのに……」
――置いて行かれてしまうんだ。

幸稔の表情は今まで見た中で、一番重いものだった。
物語の続きが思い出せない。どんな話だったか? 彼の言葉から思い出せそうな気もしている。けれども肝心の内容は容易には出て来なかった。だから、彼の言葉から素直な気持ちが言葉となる。
「私は置いて行ったりなどしない!」
言葉を紡ぐと不思議と内容がどこからか出てくるようなそんな感覚。
記憶の片隅に確かにあるそれを必死になって探しながら、叫んでいた。昔じぃちゃんに聞かされたその物語を。
「……けれど、彼は置いて行ったのではなく、戻したんじゃないか? 自分と一緒に居てはいけないと」
二人の男の子が宇宙を旅して色んな駅で色んなものを見ていく物語……。幻想的な過ぎてしまえば消えてしまう古い幻燈のような……その物語を頭の中で探しては再生を繰り返す。
「本当は川に飛び込んでカムパネルラを探したかった。……追いかけたかったんじゃないかって」
その瞳は川の光を反射して揺らめき光っていた。重い表情。彼が何を考えているかなんてわからない。けれど、これだけは言えると思った。今だからこそ言えると思った。
「私が、私が幸稔(おまえ)親友(カムパネルラ)になれないか?」
無意識に手が胸を絞めつける。これで彼がまた川に向かうようであればどうしたらいいのかわからない。不安を拭うように己の胸を固く絞めつけた。
彼は目を見開いていた。それから彼の顔は情けないものになっていた。クールで女子に人気のある、けれど本当は面倒くさがりで何に対しても煙たがっているあの幸稔からは、想像もつかないくらい弱々しく見えた。
視線がこちらに向かってきた。
「………じゃあ、もう少しくらい 生きてみるか……」
微かにぎこちなく微笑ってそう彼は言った。
――最悪の結末を迎えることがなくてよかった……。
心の底から泉希はそう思った。
 その先の物語が悲しいモノでも、それを変えられる力はなかったとしても、
せめて 人の心の中だけは幸せな物語を紡いでもいいでしょうか?





「さようなら、ジョバンニ」
            「待って! カムパネルラ!」

     「ジョバンニ、カムパネルラが川へ入ったよ」


「なんで…、どうして?」



「ザネリがね、カラスウリの灯りを川の流れる方へ押してやろうとした。すると舟が揺れたろう。
すぐにカムパネルラが川へ飛び込んだ。――ザネリはカトウにつかまった。後カムパネルラだけが見つからないんだ」
「カムパネルラ!」
川に向かって叫んだ。カムパネルラのお父さんたちも探している。そんな中、カムパネルラのお父さんは手にした時計を見て微かに頭を横に振った。
「――ダメです。落ちてから四十五分が…――」
おっかさんのためにもらって来た牛乳を放り出しジョバンニは川へ飛び込んだ。
「ジョバンニさん!」

カラスウリのあかりが浮かぶ川。
水面が揺れてあかりもゆらゆらと大きく揺れる。中にはひっくり返って水底にゆっくりと沈んでいくものも。







  だって 約束したじゃないか、
      僕たちずっと、どこまでも一緒だって






ザバッと飛沫が上がる。見つけたカムパネルラを何度も呼んだ。
「………っ?」
「カムパネルラ!」
「……ジョバン……ニ? ぼくは……」
「カムパネルラ、よかった。よかった……。僕たちずっと一緒だって」
「そうだね。ジョバンニ……」
気がついたカムパネルラをしっかりと支えながら、ジョバンニは震えていた。川の水が冷たいからではない。
「カムパネルラ……、よかった…。さぁ早く、ジョバンニさんも」
岸から手を差し出すカムパネルラのお父さんと探してくれた大人たち。
川から二人を引き上げた。
「さぁ、二人とも家に帰ろう。ジョバンニさんも、一度(いえ)にいらしてください」

ずぶ濡れの二人はカムパネルラのお父さんに手を引かれケンタウルス祭を後にする。
カラスウリのあかりがぼんやりと川を照らし、空を覆う暗幕にはきらきらと輝く銀河の砂。星たちのささやきが三人を照らしています。


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