02

『あーーーーーーーーーっぢぃ…』


季節は夏ど真ん中。外では蝉がうるさいほど鳴いている。空気がもわっと湿度を纏う、うだるような暑さ。それは休日の寮室で寝ていた彼女にも直撃していた。


『ったく、なんっでこんな時にエアコンが壊れんの!?』


本来なら寮室にはエアコンが付いていて快適空間のはずが、ここに来て動かないという緊急事態。もちろんすかさず事務には伝えたが、修理が完了するのは今日の夕方頃だと言われ志津馬は落胆する。天を仰ぎながら心もとない風を手で送るのがやっとだった。


『私も一緒に行けばよかったなぁ…』


他の同期の女子たちはみんなでショッピングやらカラオケやらに行くと意気揚々とでかけてしまい、誘いを断ってまで寝ようとしていた彼女にとってこの時代はまさに大打撃だった。


『…仕方ない、避暑地探すか。』


志津馬はスマホを取り出して音声入力を起動する。


『ここから近い避暑地。』
《…現在地から近い過疎地域についての情報を『ちがぁああああう!!過疎地域行ってどうすんだよ!!ここから近い、ひ・しょ・ち!!』


暑さのせいでスマホにまで喧嘩を売られる始末だが、今度はちゃんと認識したその画面に映し出された場所を見て少し機嫌が戻る。


『お。この図書館近いじゃん。』


映し出されたマップを頼りに、彼女は早速着替えて学校を飛び出す。彼女が向かったのは学校にほど近い公立図書館。自動ドアが開くとそこはまるで別世界だった。


『ひぇー…すーずしーい…』


まさに天国…と言わんばかりの表情を浮かべていると、自習スペースの席に見覚えのある顔を見つける。


『あれ、風見?』


真剣な表情で資料を見ながらノートを取っている風見の姿を発見しちょっと嬉しくなった志津馬は、本人に気づかれないようにそろりそろりと忍び足で近寄っていく。そして…


『わっ!!』
「うわぁあっ!!…って、志津馬くん!?」
『シィー!!ここ図書館。』
「き、君が子供じみたことするからだろ…」
『あはは、めっちゃ驚いてるし。』


平静を装いメガネを掛け直す彼に少し笑いながら、彼女は奥の席に座る。


『こんなとこまで来て勉強してんだ。うわー真面目ですねー』
「そういう君はなぜこんな似つかわしくないところに来てるんだ。」
『寮室のエアコンが壊れたから涼みに来た。』
「…それってまさか全寮か?」
『ううん。女子寮のA棟だけ。修理が終わるの15時ぐらいって言われてさぁ…せっかく休めるだけ休もうと思ってたのに起きたら地獄よ?』
「それは…災難だったな。」


と言いつつ内心こんな場所で彼女と会えると思っていなかった風見にとっては渡りに船だった。しかし、そう思っていたのも束の間。


『あぁでもここ自習スペースだから、本読むだけとかはしちゃダメなのか。なら向こうの空いてる席行くわ。邪魔しちゃってごめんね風見。』
「え…」


気を利かせて席から立ち上がろうとした時、彼の手が勢いよく志津馬の手首を掴む。


『ちょ…どしたの。』
「あ、いや…そこの席なら多分、俺の陰に隠れて何をしているかは周りから悟られないはずだ。だからその…他の席に移動する手間は、省けるんじゃないか?」
『…いいの?隣。』
「俺は別に構わない。」


顔を背けながら手首を掴んでいた手をそっと離した風見の姿に、彼女から自然と笑みがこぼれた。


『ありがとう。じゃあ本取ってくるね。』


本を取りに彼女が一旦席を外してその場を離れると彼は俯き加減で片手で頭を抱える。


「(咄嗟の判断であんな事を言ってしまったが…この後勉強に集中できる気がまったくしないっ!!)」


思えばこの前の一件で彼女の純粋無垢な笑顔を目の当たりにして以来、風見は志津馬に対し変に意識してしまうようになっていた。


「 (どうする…一体どうすれば…!!)」
『よいしょっと。』


そんな事を考えているうちに志津馬が積み重ねた本を抱えて戻ってくる。


「は、早っ」
『やっぱミステリーと言えば王道のシャーロック・ホームズでしょー読むの久々〜♪』
「ホームズ…好きなのか。」
『うん。あ、邪魔はしないからこっちも気にしないで。』
「あぁ…」


彼女はそう言うと本のページを開いて読み始める。彼も気を取り直し続きを書くことに集中した。それから約10分経った頃、やはり隣が気になってしまった風見は机と机の間にある衝立の外側から気づかれないように隣を覗いてみると…


「(ね、寝てる…!?)」


開始約10分で志津馬はすでに夢の中へと誘われてしまっていた。両手は本を持ったまま顔を机に突っ伏し、その上から重くて分厚いシャーロック・ホームズの本が頭に寄りかかっている。パッと見ちょっとした殺人現場みたいだな…と彼は不謹慎なことを頭の中で考えてしまった。


「しかしこの状態でよく眠れるな…」


そーっと志津馬の手から本を外すと、音を立てないように本を閉じて彼女の横に置く。


『んん…』


両手が開放されたことで彼女は目を閉じたまま腕を組みその上に顔を横に向けてのせる。そのため自然と寝顔が風見の方へと向いた。


「(睫毛、長い…)」


よくよく見たことはなかったが、長い睫毛にすっと通った鼻筋、薄めの唇はほんのりピンクがかっていて、いつもの凛とした雰囲気とは裏腹にどこかあどけなさが残るその寝顔は彼の胸の鼓動を加速させる。思わず彼女の柔らかそうな髪に触れようと手を伸ばしたとき…


「(い、いかんいかん!!何をやってるんだ俺は!!)」


勢いよく手を引っ込めて己を制止した。集中だ集中!!と奮い立たせ再び前を向くと、ふと彼は何かに気がつく。


「…直に来るか。」


真上の天井には空調の吹き出し口がついており、志津馬の髪も少し風になびいていた。長時間いた暑い場所から突如涼しい場所に来た体は急激に冷やされ、寒暖差で風邪をひく恐れがあることを考慮し風見はふと思いつく。


「とりあえず、これで凌げるはず…」


ある方法で彼女の体が冷えないよう対策をとった。


『……ん、うーん…?』


あれから長いこと眠りについていた志津馬が寝ぼけ眼でゆっくりと顔をあげると肩に重みを感じ、ふいにそちらの方を見る。肩にかかっていたのは、カーキ色のジャケット。


『(これ…たしかさっき、風見が…)』


それは彼女が眠りにつく前まで彼が着ていた上着だった。自分の体が冷えるのを案じてわざわざかけてくれたのかと思うと、そのさりげない気遣いになぜだか心臓がギュッと締め付けられる。洗いたてのような石けんの香りが鼻をくすぐった。


『紳士なことしやがって…』
「起きたか。」
『へ!?あ、う、うんっ!!』


資料を返してきたのか、風見が戻ってきて志津馬は少し顔を赤らめ動揺しながらもなんとか応えた。


『これ、ありがとう。風見のでしょ?』
「あぁ…いや、風邪を引かれて俺のせいにされても困るからな。」
『しないし別に。』


はい、と上着を返すと彼女はスマホの画面を見る。時刻はエアコンの修理が終わる15時を過ぎていた。


『んじゃ、帰るかな。』


本を元の場所へ戻し図書館の玄関の方へと歩き出すと後ろから来た風見の姿を視界に捉える。


『風見も帰るの?』
「あぁ。」
『じゃあ寮まで一緒だ。』


その時お互い"一緒に帰ろう"とは口に出さなかったが、自然とそういう流れになったことで密かに喜びを感じていた。


『ん〜!!しっかしよく寝たわぁ…』
「図書館は本来、寝に来る場所ではないと思うが…本当に読む気あったのか?」
「当たり前じゃん。』
「その割にはすぐに寝落ちしてただろう。」
『…私どんくらいで寝た?』
「ものの10分前後で頭が机に落ちてた。」
『マジか…ってか計るなし。』
「寝ている君が悪い。…はくしっ!!」


突然顔を背けてくしゃみをして鼻をすする彼を不志津馬は不思議そうに見つめる。


『大丈夫?』
「あぁ、問題な…っくしゅん!!」
『(もしかして、さっき私に上着貸してたから…?)』


自分のせいで体を冷やしてしまったのではないかと不安になった彼女は道端にコンビニを見つけてはそちらに向かって駆け出す。


『風見、ちょっとそこで待ってて。』
「え?」
『すぐ戻るから!!』


そう言うと彼女は店内に入りある物を探してすぐに会計し彼の元へ戻る。


『おまたせ!!』
「いや、そんなに待ってないが…」
『はいこれ。』


彼女が買ってきたのは袋に入ったのど飴と、はちみつレモンと書かれたスティックタイプのドリンクだった。


「これは…」
『私に上着貸してたせいでアンタの方が体冷やしちゃったんでしょ?夏風邪はしぶといっていうし、あんまり知識ないからこのくらいしかできないけど。』
「いや、わざわざ俺のためにそこまでしてくれなくても『私のせいで風見が風邪引のは…私が嫌なの。』
「志津馬くん…」
『とにかく、これは返品不可だから。四の五の言わずもらいなさい!!』


押し付けるように買ったものを風見に渡すと、志津馬は帰る道を歩きだす。借りはきっちり返す、そう言わんばかりの彼女の律儀な優しさに彼の心はほんのり温かくなる。


「こんなことされたら、ますます好きになるじゃないか…」


遠くなっていく背中に向けて小さく呟きながら、風見は心惹かれる想いをより募らせて彼女を追いかけた。



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