純黒の悪夢 前編
月が浮かぶ夜。暗がりの中、警視庁公安部の捜査員は警察庁のサーバールームがある階で息を殺し機を待っていた。中にはサーバーのデータを盗もうとする侵入者が潜んでいる。
《俺が先頭で中へ入る。明かりをつけたら合図だ。》
『了解。』
同僚の風見の声がイヤモニから聞こえ廊下で待機していた志津馬は短く応答した。その声の直後、サーバールームの明かりが付き廊下にも光が漏れる。しばらく静かな間が続いていたが…
「うぉあっ!?」「ぐぉっ!!」
何かがぶつかり合う音が響いた後、ヒールの高い靴の足音がこちらへ向かっているのを察知する。これは恐らく侵入者の…彼女はすかさず気を張り身構えた。
『…うぉらぁあああっ!!』
曲がり角を曲がってきた黒髪の女性が風を切って現れた瞬間、志津馬は助走をつけ勢いよく右ストレートを突く。即座に避けられ回し蹴りが飛んでくるも前傾に屈み軸足を蹴り飛ばした。体勢を崩した女の首元を背後からチョークスリーパーで締め上げそのまま気絶させたかと思いきや、
『ぐはっ…!?』
瞬時に高速な肘打ちと強烈な左ストレートが彼女のみぞおちに入り、よろめく体の間をすり抜けて再び走り去る。しかしその先で待ち構えていた降谷とやり合った女から黒いウィッグと片目のコンタクトが取れ、先程見ていた姿とは別人になっていた。
「志津馬くん大丈夫か!?」
『平気…』
眉間に皺を寄せみぞおち付近を手でさすりながら体勢を立て直す彼女を風見が支える。一方、降谷と対峙した女は怪しく高笑いをしていた。
「降谷さん、ずれて!!」
彼が降谷の背後に駆け寄り拳銃を構えた矢先、不敵に笑った女はそのまま真後ろの窓の方へ駆けていき、その身で窓ガラスを割り外へと逃げていく。
「お前たちはサーバールームでヤツが何を盗んだのか急いで確認しろ。」
「降谷さんは!?」
「僕はヤツを追う!!」
降谷はそう言うと急いでその場を立ち去っていった。
『なら私も「君はダメだ。」
『なんで!?あんなんただの不意打ちだったし、ちゃんとやりあえば仕留められる相手だっ…いっ、!!』
「…その体で追う方が危険だ。みぞおちへのダメージが強いんだろ、見てれば分かる。今は降谷さんに任せて、我々はサーバールームにある防犯カメラの映像を確認しに行こう。」
『くっそあんの女、次会ったら絶対懲らしめてやる…!!』
「分かった分かった。」
沸々と怒りを露わにする志津馬をなだめながら風見は警察庁の警備管理室へ行き、女が侵入した時間のサーバールーム内の防犯カメラ映像を確認することにした。
「現場でも確認したが、ヤツの狙いは"NOCリスト"だ。」
『例の組織の手のものってこと?』
「降谷さんがあの女と対峙した時の様子から考えると…大方間違いないだろう。」
Non Official Cover―通称NOC(ノック)。テロ組織に潜入捜査中のスパイを指し示す言葉。その一覧がNOCリスト。そんな国家機密が組織の手に渡ってしまえば、潜入中のスパイたちの正体が暴かれて敵に消されるうえに、全世界の諜報機関は完全に崩壊してしまう。何としても阻止せねば…そう考えながら映像を眺めていると、
『…ん?』
「どうかしたのか。」
映像を見ているうち、彼女はあることに気づく。
『すいません、少し前まで戻してもらえますか。』
「あ、はい。」
『…ストップ。見てここ、記憶媒体がない。』
「え?」
『もっとここらへん寄れますか?』
「はい。」
ある部分だけ映像をズームしてもらうと、志津馬はサーバーの差込口を指した。
『普通データを移行するならスマホをケーブルで繋なぐとか、SDなりUSBなり使ってデータをそのまま取り込むはずだけど…コイツはそれをしていない。サーバーに何も差し込んでないのはさすがにおかしくない?この時点でスマホも出してないし。』
「たしかにそうだな。だとしたらヤツの任務は失敗したということか?」
『いや、うちらを見て嘲笑うくらいの余裕があった様子から見ればそれはないでしょ。』
「じゃあ別の隠し場所があるか…代わり持っているといえば、なんだこのカードは?」
その後の映像を再生すると風見たちが入ってくる直前、女は5色のカードフィルムを光る画面の前に広げている。
『(このカードに一体何の意味が…?)』
その後降谷の追跡もあと一歩のところで及ばず、変電所の爆発が原因となった大規模停電と共に、銀髪の女は忽然と姿を消した。
***
女の消息が分かったのは翌日の昼過ぎのこと。独自に動いていた降谷から風見のもとへ一報が届いた。
「降谷さんから連絡が入った。昨日警察庁に侵入した女が、東都水族館で見つかったそうだ。」
『水族館?なんでそんなとこに。』
「詳しいことは分からんが、その後体調が悪化し一般の民間人に目撃され今は東都警察病院に運ばれたらしい。我々も急ぎそこへ向かい捜査一課から彼女の身柄を引き渡してもらう。行くぞ。」
「「はい!!」」
「志津馬さん、さっきから何調べてるんです?」
『ちょっと気になることがあってさ…カンナ、先に行って車出しといてくれる?』
「了解です!!早くしないと置いてっちゃいますからねー」
『分かってるってー』
部下の郡司に煽られPCを急いでシャットダウンし、上着と鞄を持って彼女も部屋を出ていった。警察病院に着き待合室へ向かうとそこには捜査一課の刑事たちと、見知らぬ子どもたちと仲良くオセロをして楽しんでいる病服姿の銀髪の女性が目に入る。その姿で公安の捜査員たちはすぐさま昨日の侵入者だと理解した。
「失礼します。公安の風見です。ここの責任者は目暮警部と聞きましたが…あなたが目暮警部ですか?」
「いかにも私が目暮だが…」
「そちらにいる女性を速やかに引き渡してもらいたい。」
「なぜだ?我々にも捜査の権利はあるはずだが。」
「その女性は警察庁に侵入した被疑者だ。その目的をすぐに聴取しなければならないんです。分かっていただけたのなら、すぐに身柄引き渡しの手続きを始めてもらいたい。あなたたちにこれを拒否する権限はないのだから。」
『(風見…)』
高圧的な態度で一課の面々に対し言い放つ風見の姿に志津馬は渋い表情を浮かべる。しかし…
「…分かった。」
「ではこちらへ。申請書は用意してあります。」
異論なく目暮が承諾したことにより身柄の引き継ぎ手続きは滞りなく終わった。先程女性と一緒にいた子どもたちや一課の刑事たちは病院から去りここから公安が彼女の取り調べをすることに。
『にしてもアンタさぁ、もうちょっとどうにかなんないわけ?』
「どうにかって、何のことだ。」
部下が付き添い医師が女性の診察をしている間、外のソファーで二人は缶コーヒーを飲みがてら休憩をとる。
『さっきの一課に向けてのあの態度のこと。いくら別の部署だからって、同じ警察組織の一員なんだからもっとこう協力的にするとか「君は分かってないな。」
『はぁ?』
「我々と彼らの違いはなんだ。」
『そりゃあ…守る相手の規模、とか?』
「そうだ。我々公安が守るべきは国全体の治安。一課とは範囲も規模も違う。掲げているものが明確に分かれている。そこに誇りを持つことの何がいけないんだ。」
『……』
「俺はこの仕事にやりがいも誇りも感じている。この国を守るためなら、嫌われ役も喜んで買って出るさ。」
『別にその信念を否定するつもりはないけどさぁ…誰に対してもアレじゃあただの嫌われ者になっちゃうぞって言ってんの。』
「なら君も、俺を嫌いになるか?」
『んぐっ、』
突然向けられた彼の一言に志津馬は思わず口に含んだコーヒーを吹き出しそうになるが急いで押し留めた。
『…な、何急に!?』
「でもまぁそうだな…俺には君や降谷さん、それに信頼できる部下たちがいてくれさえすれば…それでいい気もしてるんだがな。ははっ、」
『(コイツ、たまに悪気なくそういうの投下してくるんだよなぁ…本当心臓に悪い…!!)』
彼女が顔をほんのり赤らめながら顔をそらしコーヒーを飲んでいると、病室から医師が出てくる。
「容態は安定しています。」
「では、彼女の取り調べを始めても?」
「えぇ大丈夫かと。何かあった際には、ナースコールでお呼びください。」
こうして公安による彼女への取り調べが始まった。風見と志津馬が彼女の病室に入り、念の為部下たちが出入り口で見張りにつく。
「昨日の夜。警察庁に侵入したことは覚えているか。」
「私が、ですか…?」
医師の診断によると昨日から現在にかけて彼女が頭部に強い衝撃を受けたことで記憶喪失に陥っていることをあらかじめ聞かされてはいたが、いつその記憶が戻るのか、もしかしたらもう記憶が戻っているかも分からない。一層の注意を払いながら彼らは取り調べに臨んだ。
『ここに映っている部屋に見覚えは?』
「…いいえ、ありません。」
タブレットで昨日の防犯カメラの映像を見せるも、弱々しく返答をする女に昨日のような殺気はまるで感じられない。本当に記憶がないのか、はたまた演技なのか…志津馬は眉間に皺を寄せる。
「質問を変える。東都水族館へは何をしに行ったんだ?」
「目が覚めたら、とにかく頭が痛くて…どこか座れる場所がないか探してて…それで、気づいたらあそこに。」
「フッ、白々しいな。」
「え?」
「そう言って我々の目を欺こうとしても無駄だ。すでにお前は我々公安の手の内にあるのだからな。」
風見は彼女の記憶がすでに戻っていると考えカマをかけた。そう察した志津馬もある質問を投げかける。
『目を覚ました時、何も持っていなかったの?携帯とか。』
「携帯は持っていましたけど、ボロボロになるほど壊れていて…使い物になりませんでした。」
『他に持っていたものは?』
「他…そういえば、色んな色のカードのようなものを…」
『っ!!』
それを聞いた彼女は目を見開き先程のタブレットの映像を早送りし、再び女性に画面を見せる。
『もしかして、これと同じもの?』
「えぇ。たしかそうだったと思います。」
「そのカードがどうかしたのか。」
『…あなたの名前、分かるかもしれない。』
「私の、名前が…?」
無言で頷くと志津馬はある推論を提示し始めた。
『これはあくまで私の推測だけど、あのカードの色は前後にあった黒を除いて全部で5色。白・橙・緑・青・赤。』
「まさか、このカードの色が彼女の名前と関連しているというのか?」
『可能性はなくはない。仮に彼女が例の組織の幹部だとすれば、酒の名前がコードネームとなっているはず。5色すべての色を使った酒は調べても出てこなかったけど、"同じ名前のリキュール"を5色それぞれに使い飲まれるカクテルは一つだけヒットした。』
そう言って彼女は女性との顔の距離を詰める。
『あなたの本当の名前は…"キュラソー"じゃない?』