純黒の悪夢 中編

「キュラソー…それが私の本当の名前…?」
『違う?』
「……ごめんなさい。やっぱり思い出せない。」
『(思った以上に反応が鈍い…当てが外れたか。)』


彼女の記憶を呼び起こす起爆剤になるかと考えたが、今の反応を見る限り予想は外れたように志津馬は感じた。


『じゃあ別の質問。病院に運ばれたのは東都水族館で具合が悪くなったからと聞いたけど、具体的にどういう状況でそうなったの?』
「えっと…たしか子どもたちと一緒にいた時に観覧車に乗って…その後急に頭が痛くなったので…」
『観覧車…』


考えを巡らせた彼女は風見の方に顔を向ける。


『風見。東都水族館に向かおう。』
「彼女の脳に反応があった場所だからか?」
『うん。何か記憶を呼び起こす手がかりが見つかるかもしれない。』
「…分かった。主治医に事情を話して外出許可を取ってくる。」


そう言うと彼は椅子から立ち上がり一旦病室を離れた。志津馬がふと後ろを振り返ると手に白いイルカのストラップを眺める女性の姿が。


『それは?』
「えっ…あぁ、さっきまで一緒にいた子どもたちが私にくれたものです。あの子たちとおそろいの…」
『随分と仲良くなったのね。昨日今日会ったばかりの子たちなんでしょ?』
「えぇ。見ず知らずの私にとても良くしてくれた…本当に、感謝しかありません。」
『(そんな顔されるとこっちの調子が狂うんだけど…)』


優しい笑みを浮かべながら話すその姿が彼女にはどうも腑に落ちなかった。昨日の夜自分のみずおちに二発も打撃を加えた女の顔とはまるで違う。風見は記憶が戻っていると踏んでいたが、これは本当に記憶を失っているのかもしれない…少なくとも志津馬の脳裏にその可能性が浮かんでいた。


「外出許可がおりた。これから向かおう。」
『了解。そういうことだから、これに着替えて準備を。』
「はい…」


病院を出ると外はもう日が落ちかけている。複数のパトカーが並ぶ中彼女を車に乗せて東都水族館へと向かった。その道中、風見の携帯に降谷からの連絡が入る。


「はい…はい。指示通り確保しました。…え?観覧車に乗れと言うんですか?」


その言葉を聞いて前の席に乗っていた志津馬はチラリと後部座席の方に目を向けた。


「えぇ。それより早く合流しましょう。……あ、待ってください、降谷さん!!くそっ…!!」


どうやら向こうから一方的に通話を切られてしまったらしい。彼の焦ったような声を聞いて彼女は口を開く。


『合流は難しいって?』
「あぁ。組織の目がどこにあるか分からないからこのままで行くと。」
『今のあの人は組織の中でも微妙な立ち位置だし…無理もないね。』
「降谷さんが表立って動けない以上我々がやるしかない。それにしても、本当に観覧車に乗せるだけでこの女の記憶が戻るのか?」
『(ゼロさんも同じ答えにたどり着いてたか…)』


先程の彼女の話によれば、観覧車に乗った後からの記憶がないことが気になっていた。もしかすると、観覧車に乗ったときに見た"何か"に反応して記憶が戻りかけたのかもしれない。降谷もその案を提示しているなら間違いなさそうだ。志津馬がそう考えていると車は東都水族館の駐車場へ着いた。



***



辺りはすっかり夜を迎え、話をつけてくる。と言った風見は車を降りて館内チケット売り場の受付窓口の方へと歩いていく。その後志津馬たちも車を降り未だ記憶喪失の彼女を連れて責任者に今回の件についての説明をした。そして乗車の了承を得た彼らは特別措置として二台あるうちの一台側を貸し切りで利用できることに。


「あぁそうだ。これから搭乗する。降谷さんの情報ではヤツらもここへ向かっているらしい。主要ポイントを固め、見つけ次第制圧しろ!!」


水族館へ向かっている他の部下に指示を仰ぐと風見は通話を切る。浮かない顔の彼女と引き換えに志津馬は周囲を警戒し目を光らせていた。


「ノースホイールのゴンドラを全て空けました。」
「風見さん。準備ができたようです。」
「分かった、行くぞ。」


駆け寄ってきた部下たちの言葉で彼らは大観覧車の関係者専用通路へ向かう。係員に案内されたドアを開けると、観覧車のゴンドラが視界に入った。


「公安の方たちをお連れしました。」
「え!?もしかして貸し切りは…」
「えぇ。我々の要請です。」
「も、申し訳ありません!!勘違いをして、10分ほど前ゲストの子どもたちを乗せてしまいました!!」


慌てて頭を下げる係員の姿に彼らの間にも少しの動揺が垣間見える。


「どうします?戻って来るまで待ちますか?」
「いや、子どもなら構うまい。それより、観覧車の安全確保ができた以上…ヤツら仕掛けてくるのは再び地上に戻ってきたときに違いない。心して警備に当たれ。」
「はい。」
「では行こう。」


風見は臆することなく前へ進み、布を手の上に被せ手錠の繋がれた女性を連れてゴンドラの方へと歩き出した。志津馬もその後をついて行ったが、彼が彼女に目をやるとおもむろに口を開く。


「志津馬くんはここに残ってくれ。」
『え?いや、私も一緒に「観覧車に乗っている間に襲われるリスクは低いはずだ。君には組織が動き出した時、迅速に動けるよう地上での指揮を取ってもらいたい。」
『ちょっと待ってよ…もし彼女が観覧車に乗って記憶が戻ったら、アンタだって襲われる可能性は十分あるでしょ!?ヤツらだって必ずしも地上に現れるとは限らないし…』
「一対一なら俺一人で制圧してみせるさ。それに万一の時は必ず連絡を入れる。」
『…本当に、本当に大丈夫なの?』


昨日の状況から見ても手強い相手であることに違いない。なぜだが心がざわつき切実に、とても心配そうな眼差しで見つめる彼女を風見は真っ直ぐ見つめ少し口角を上げる。


「…俺を信じてくれ。志津馬くん。」
『っ、』


優しく、だが力強く答えるその姿に志津馬はそれ以上何も言えなくなり歩みを止めた。


「じゃあ、後は頼んだぞ。」
『…分かった。』


ゆっくりと向かってきた観覧車のゴンドラに二人が乗り込んでいくのを見送っていると…


「待って!!乗っちゃダメだ!!」
『え?』


ドアが閉まる直前、どこからともなく聞こえてきた子どもの叫び声に急いで後ろを振り返るが、人混みに紛れたのか姿を確認することはできなかった。


『空耳…?』
「志津馬さん、我々はどうすれば?」
『あ、あぁ…二人は風見と彼女が戻ってくるまでここで待機。私は一旦下に戻って周囲を見てくる。』
「了解しました。」


部下にそう告げると志津馬は関係者専用通路を通って下へおり館内の見回りを始める。


「志津馬さん。」
『カンナ、状況は?』
「今のところ異常なしです。他の班にも状況を確認しましたが、不審な人物は確認されていないとのことでした。」
『そう…ありがと。』
「…いいんですか?そばにいなくて。」
『へ?』


ふいに郡司にそう言われた彼女は拍子抜けした様子で声を上げた。


「風見さんのこと、心配なんでしょう?」
『そりゃあまぁ…相手が相手だしね。でも地上の指揮を任された以上、それには応えないと。』
「……」


不安げに観覧車の方を見上げる志津馬の表情を郡司が黙って見つめていると、突然前触れもなく照明が次々に消えて辺りが真っ暗になる。


『何!?』「停電!?」


動揺しているのは彼女たち警察だけではなく、周りにいた一般客も何が起きたのか分からず騒然としていた。館内のほとんどの照明が消えているのに対し遠くの町並みは煌々と光っている。もしやこれは…


『ヤツらが仕掛けてきたか…!!』
「志津馬さん、観覧車が!!」


驚いた表情の郡司が指差す方向を見ると、さっきまで光っていたはずの大観覧車の明かりも全て消えて、その頭上に黒くうごめく大きな何かがそれに近づこうとしていた。


『まさか空から…!?』


それを見た志津馬の瞳孔が瞬時に開き、嫌な胸騒ぎが全身を稲妻のように迸る。急いで携帯を取り出し風見に連絡をいれるが案の定応答はない。焦る気持ちが顔に出てしまう。


『風見…お願い出て…!!』
「志津馬さんは観覧車へ向かってください。ここは先輩たちや私が連携取って何とかしますから!!」
『でも「こっちだって、伊達にあなた達の部下やってるわけじゃありませんよ。さぁ早く!!急いで!!」
『……ありがとうカンナ。後頼んだ!!』
「了解!!」


信頼できる部下に後を託し、彼女は身を翻して再び観覧車の方へと駆けていく。館内で唯一明かりのついていた水族館に人が殺到しかなりの混雑を極めていた。


『すいません!!通ります!!』


人混みをすり抜けながら志津馬が走っているとその人混みの中に見覚えのある人物を見つける。


『あの人は…目暮警部!!』


そこにはなぜか目暮と捜査一課の刑事たちの姿が。


「君は確か公安の…」
『目暮警部…どうやら我々の敵が、攻撃を仕掛けてきたようです。』
「何!?」
『このままでは館内にいる一般客にも被害が及ぶ可能性があります。ですからどうか…我々に、協力してもらえないでしょうか。』


お願いします!!と彼女が深々と頭を下げると、すかさず彼は口を開いた。


「我々もこちらから協力を申し出ようと考えていたところだ。」
『本当ですか!?』
「あぁ。できる限り力になろう。」
『ありがとうございます!!とりあえず、この混雑を緩和するために避難の誘導をお願いできますか。』
「分かった!!ここは我々に任せてくれ。みんな行くぞ!!」
「「はい!!」」


目暮に続いていく一課の刑事たちに向かって小さく会釈をすると志津馬は再び観覧車へと走りだす。


『(お願い風見…無事でいて…!!)』


逸る気持ちを抱えながら、彼女は踏み込む足の速度をさらに加速した。


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