「よし、出来た」
「おっ、うまいな!」
バッチリ決まった髪型を見て、帝統は鏡の前で右を向いたり左を向いたりポーズを決めたりしている。
「なんかやってたのか?」
「ちょっと仕事柄ね」
仕事という単語を口に出して、そういえば職場になんの連絡も入れていないことに気づく。
「あっ、無断欠勤だ」
「は?もしかして電話入れてねぇの?」
「入れるどころか充電が昨日からキレっぱなしなんだよね」
「はぁ、とりあえず充電しとけよ」
帝統にスマホを差し出すと、帝統はベッドのサイドテーブルにある充電器を端末に差し込んだ。そのままスマホを置くと、帝統は少し溜息をつきながら胸ポケットからスマホを出し、職場の電話番号を教えろ、と言った。職場の電話番号は空でも言える。素直に教えると、帝統はそのまま数字を打ち込みダイアルした。
「あっ、すみません。名字名前と付き合ってる者ですが…ええ、体調不良でして、今声も出ない状態なんです、はい、お願いします…………はー、社会人の電話ってのは疲れんだな?」
「今の誰」
「なんか佐藤さんって言う人だったぞ」
「いやお前のこと言ってるんだよ」
「ていうか名前、美容室で働いてんだな」
「会話が噛み合わない、どうしよう。ていうか付き合ってる者ってなに」
彼氏でも旦那でもないやつがいきなり電話かけてきたら怪しむだろ、と言いながら帝統は再び洗面所の鏡で髪型を確認する。
セットした髪型を気に入って鏡で何度も見るところは可愛げがあるし褒められたようで嬉しいが、帝統が彼氏役という所にどことなく違和感があった。
「なぁ、名前は今日どうすんだ?」
ベッドに座る私からはその表情はうかがえなかった。どんな意図でそんなことを言ったのかは私には分からない。
「どうするもなにも…」
別段やることもなければしたいことも無い。ジリ貧金なし、住むところもなければ、仕事に行きもしない。彼氏と別れたくらいでと、世間様からは言われるだろうが知ったこっちゃない。これは私の問題なのだ。私の問題がどんな結末を迎えようともそれは他人様には関係の無いことである。
「なんだっていいんだわ」
「そりゃねぇだろ!」
「いや、だって…もうなんにもないし」
「そう悲しそうにすんなよ!てか死ぬって言うのはもう考えてないんだろ?」
そう言われてギクリと体が固まる。そして静寂。返答がない為心配したのか、それとも髪を見るのに飽きたのか帝統が洗面台から私の前にやってくる。
はっきり言って死ぬ気などない。いや、無くなったという方が正しいか。気持ちが悪い意味でハイになっていたから、悲しい気持ちと共に勢いのまま身投げをするつもりだった。だが、冷静さを取り戻した今、全く死ぬ気など起こらないのだ。鮮度が失われた感情は心の奥底で私を蝕むだけで、行動に至る程の即効性はない。
「よくお分かりで」
「ぶっちゃけ俺が金使ったから今後どうするか悩んでるんだろ?」
「まぁ、自業自得だけどそんなもん。でもやっぱり、彼とのことで何もする気起きないのは事実だけど……」
「なぁ、いい話あんだけどノるだろ?」
「ここまで来たらどこまでも、死なば諸共」
「じゃあ任せとけ!俺電話する所あるからまだ寝てていいぞ!」
分かったといいながら横になる。あえて帝統に背を向けて壁側を見つめた。そういえば彼も壁側を向いて寝ていたな、などと余計な思い出が頭をよぎる。ゆっくりする時間があると考えたくないことばかり思い浮かんでしまう。
私は現実から目を背けるかのように眠りに落ちた。
―――――――――
深く深くへ潜り込んでゆく。背中から生えたふたつの羽は私の意思で羽ばたき、自由に空を舞うことができる。ただ一筋の光も見えない暗闇を、何かを目指してただひたすら迷い子のように飛ぶ。私は蜘蛛の糸には気づかない。ピンと張った糸に引っかかり右腕がいうことを聞かなくなった。そして直ぐに左腕、右足、左足、ついに四肢はいうことをきかなくなった。額から汗が流れ落ちる。この糸は誰が何の為に張ったのか、私には分からない。だが、もしかすると、これは、私が張ったものかもしれなかった。
「………」
覚醒した頭でベッドについている電気ボタンを手探りで探す。なぜだか腕が重い気がするが、構わず右へ左へと手を動かしてようやく見つけたボタンを押せば白い光が視界を包んだ。
「おわっ眩しい…」
私が呟く前に、感じた事を代弁したのは帝統だった。寝起きの声ではないようだが起きていたのだろうか、それともそういう質なのだろうか。
「帝統……なんで一緒にベッドで寝てんの」
「ソファだと俺の長い足がはみ出るもんでな」
「あとしがみつかないで、抱き枕じゃないの。あんたのせいで変な夢見たでしょうが」
「意外とやらしーのな」
「そういう意味じゃない」
どうやらあんな夢を見たのは帝統が私を抱き枕代わりにしていたかららしい。
寝すぎたせいか、抱き枕にされていたせいか身体中が痛かった。
帝統から解放された私は起き上がり、伸びをしてからベッドに腰かけた。
「今何時?」
「5時だな」
「夕方?」
「いんや、朝だぞ」
「寝すぎた…」
「ストレス溜まってたんじゃねえか?」
そうかもね、なんて言いつつ帝統のことをじっと見つめると、帝統は起き上がり出かける支度を始めた。
「まだ時間がはやいんじゃないの?」
「どこ行くのか知ってんのか?」
「いや、知らないけど…こんな時間に出かける場所なんて」
「あるんだな、これが」
ほら名前もはやく準備しろよ、風呂も入ってないしどうせ時間かかるだろ?
そんな彼の言葉に反論出来ずに、私はタオルを持ち、浴室の戸を開けた。
と、戸を閉める前に一言。
「覗くなよ」
「誰が」
「いやあんたしかいないでしょ」
「分かったから早くしろよー、これから人生の第1歩を踏み出すところだぜ?」
訳が分からないと一瞥して、私は戸を閉めてため息をついた。なにが第1歩だよ、進んでなんかいるもんか。小さく呟いたその言葉は向こう側の彼には届かなかった。