「やあ、来ましたか」
病院に着くと、先日私に説明をしてくれたあの医師が出迎えてくれた。ラボからは少し離れたところにあるこの病院に着くころにはすっかり夜中になっていて、人通りもまばらになっていた。
先生は、「この病院から出立なさるんですよね?制服への着替えも空き部屋で済ませていただいて結構ですよ」と、ひとつの病室に案内してくれた。ぱち、と部屋の電気をつける。
「焦凍さんは今は集中治療室を出て、奥の病室で眠っていらっしゃいます。処置は一通り済みましたから、もう防護服に着替える必要はありませんので」
「えっ、あ、じゃあ、…あの、手を握ったりとか、って」
「ええ。していただけますよ」
先生の口からでた言葉に思わず質問をする。そんな私に優しく頷きながら先生は少し笑った。
「苗字さんは、本当に焦凍さんのことを愛していらっしゃるのですね」
「え、ええ。…ふ、夫婦ですから。まだ、仮ではあるんですけど…。まだ式は挙げていなくて」
「この仕事が終わればきっと挙げられますよ」
顔を赤くする私を微笑ましげに笑って、先生は続ける。
「ご家族が事故に遭われたりしたとき、皆さまもちろん動揺なさいます。大切な家族が危険な目に遭ったのだから当然ですが…。ですが、苗字さんは何というか、ほかの方々よりももっとそれが強い気がします。なんとなくですが」
「…私、家族がいないんです」
私は窓の外に目を向けた。群青色の空から白い花びらのような雪がちらちらと降りてくる。
「七歳の時に両親が事故死してしまって。それからは祖父母が私の面倒を見てくれていたので天涯孤独というわけではなかったのですが、それでも寂しかったです。授業参観の時とか、運動会の時とか、みんな家族が来てるのに、お母さんに作ってもらったお弁当とか食べてるのに、私にはそれがない。そういう時の、なんていうんでしょうか、心の隙間って、なにをしても埋められなくて…」
「代わりになるものなんて、ないんでしょうね。両親を失たことによって得られなかった愛情は、両親から与えられることでしか癒せなかったんです。私は祖父母と暮らして幸せでしたが、寂しいのはずっと変わりませんでした」
窓の外で降る雪。深い群青色に染まった夜の街に降りそそぐそれは、昔両親と訪れた冬のテーマパークでの光景を彷彿とさせた。
「雄英へ入学することが決まり、アパートを借りて一人暮らしをするようになって。学校生活を送る中で、夫…焦凍くんとは出逢ったんです。
ー…私は、彼を見つけたとき、彼と自分は同じだと思いました。焦凍くんも寂しそうな、得られないことによって悲しんだことがある人の目をしていました。その時はまさか付き合うようになるなんて思ってはいませんでしたが、でもきっと友達になれるって思いました」
今でも、彼と出逢った頃のことを思い出すことができる。懐かしい頃。どことなくあどけなさが残った顔立ちの、強張ったような表情。付き合うようになって少しづつ話してくれた家族のこと。お互いのこと。私は彼を愛するようになっていった。
「先生、309号室の患者様がお呼びです」
コンコンとノックが響き、看護師さんが入ってきた。「では、私はこれで」先生は私に一礼すると、病室から出ていった。
▽▽▽
先日とは別の病室に移された焦凍くんは、未だ点滴の管がたくさん取り付けられていたが、寝顔は幾分か穏やかに見えた。ベッドと簡素な棚と1セットの机、椅子が置かれている以外には病室には誰もいない。特別な暗号を入れて入室部屋は、私と彼の二人きりだった。
(一命だけでも取り留められて、本当によかった…)
彼のか細い寝息を確認すると、まだ涙がぽろぽろと零れてきた。それを指先で拭いながら、ベッドに近づいて包帯で巻かれた手を握った。
「焦凍くん、私、必ずあなたを救けるからね」
彼の手は私を握り返してくることはなかったが、それでも温かい体温が感ぜられた。集中治療室で面会した時には冷たかった体にちゃんと血が巡っていることが分かって心底ほっとする。
長い睫毛、唇、肌。整った顔は包帯に巻かれている以外ではいつもと同じに見えて、呼べば目を覚ましてくれるような気さえするのに。
「焦凍くん、必ずまた会おうね」
いってきます。
はた、と彼の頬にまた涙の滴が落ちた。唇に感じた焦凍くんの体温を最後に、私の姿は病室から消えた。