漣に花
「人魚姫ってのは、子供向けの童話のことだ」


あれから数日。
私は一日に二時間ほど言葉を教わるようになった。言葉の練習のためということで、何冊かの本も持ってきてくれた。水槽から身体を半分出してくろのさんが持ってきれくれたそれを見ながら、ふと前に彼が言っていた言葉を尋ねるとそう答えてくれた。


「それって面白い?」
「どうだろうな。まあ有名な話だし、今度持ってくるよ」
「ありがとう。ねえ、くろのさんって普段はなにをしているの?」


そう尋ねると、彼は読んでいた書類から視線あげ、ちらりと私を見遣った。そして少し間を開けてから「…仕事だよ」と言った。


「なんのおしごと?」
「何の…。廻からなにも言われていないからな、お前に詳しく説明してもいいのかどうか…」
「私はここに来る前まで、毎日ショーに出ていたよ。見世物小屋っていう場所らしいんだけど」
「…」

 首を傾げると、くろのさんは何も言わなかった。なにか不味いことを言ってしまったのだろうか、と思う。

「今日の分の勉強は、これで終わりだ。明日はちょっと用事で来れないから、この本を読んでおくこと。人魚姫の本は明日ここへ届けさせるから、まあそれも読めるなら読むといい」
「ありがとう!」


くろのさんの言葉に嬉しくなる。前に見世物小屋に居た子ころは、毎日ごはんを食べて寝て、ショーに出るの繰り返しだった。ずっとずっとそうだった。こんなに誰かと口をきくのも初めてのことだった。
お礼を言うと、くろのさんは不思議な形の仮面をつけて出て行った。私は彼が残してくれた本を捲った。本を届けてくれるという明日を、楽しみにしながら。
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