「しのぶはパスタにするの?」
「ええ。最近、家の食事はカナヲが担当してくれていたんです。とても美味しいのですが、和食が多くて。たまには洋食もいいかなって思って」
11時を回ったころ、私たちはショッピングモール上階でお店に入った。女の人が好きそうな明るい内装の部屋は、平日ということもあってお客さんは疎らだ。ウェイトレスさんがグラスをふたつ、持ってきてくれる。
メニュー表を広げながら、何を食べようかと悩む。トマトソースもいいな。でも、和風も捨てがたい…。悩みながら、そっとメニュー表から視線をしのぶへと映した。
「?どうしました」
「しのぶ、嬉しそうだなって」
「えっ」
「カナヲちゃん。こっちでもまた、一緒に暮らせて良かったね」
家族とともに暮らす喜び。鬼狩りをしていたころの私たちには縁がないものだった。それがこうして、今叶っている。それがどれだけ幸せなのか、とてもよく分かった。私も両親を亡くして、鬼殺隊へ入ったから。
「……あの、なまえ」
「うん?」
「…あなたは、私が亡くなったあとは、どうやって生きていたの?」
ぴた、と一瞬、メニューを捲る手を止めた。顔を上げる。すると、しのぶは迷うように目を伏せた。
「勿論、言いたくなければ良いんです。無理に訊こうとは、思いません。だけど、ずっと……なまえのことは心配だったから…」
「いや、大丈夫だよ。そんな顔しないで」
メニューを畳む。実際、そんなに話し辛いことでもない。ただ、さして面白くもない話だから私からは切り出そうとはしなかっただけだ。
「普通に、あのまま鬼狩りを続けてたよ。結婚とかもしなかった。それから―しのぶが亡くなって四年くらい経ってからからな。私も、任務先で死んだの。でも行った先の鬼はぜんぶ倒せたよ」
「…」
「とっても暑い夏の日でね。蝉がいっぱい鳴いてたなぁ…」
目を瞑れば、蝉しぐれが体を包んだ。瞬きをすれば、また視界が今の風景に戻る。やって来たウェイトレスさんには結局、アスパラガスと鶏肉のクリームパスタを頼んだ。
「お客様は、お決まりですか?」
「、私はこれを」
「はい。かしこまりました」
慌ててしのぶが頼んだのは、いくらと明太子のパスタだった。そっちも美味しそうである。メニューをを受け取って戻っていったウェイトレスさんを見送って、また会話を続ける。
「気にしてくれたんだね。ありがとう」
「そりゃあ、なまえのことはずっと、…ずっと。思い出していましたから。今は?彼氏とか、いないんですか」
「いないよー。でも、出来たらいいなぁ。向こうでは全然、そういう浮いた話なかったから」
「あなたが知らないだけですよ。あの頃、なまえを好きな男性はけっこう隊の中にいたんですよ?」
「うそ!」
「嘘じゃないです。でも、当たり前ですね。なまえは可愛いもの」
「、」
(…)
その言葉に、一瞬反応しかける。しかし、すぐに何でもないようにグラスを呷った。こくん、と飲むと喉が冷たい水で潤う。駄目だ。
(今日は、捨てるって決めたのに)
私は今日この日を、しのぶへの想いを捨てる日と決めていた。そのために、彼女の一日を貰ったのだ。ひとしきり、しのぶを独り占めできたら、この思い出と一緒に恋を捨てる。今日を、かつての人生から続いてきた恋の墓標にするのだ。そうしたら。
(きっと、私は新しい人生を歩める)
ふらふらと、力なく濡れた翅を伸ばそうとする、蛹から孵ろうとしている蝶。ここへ来る前、学校の廊下から見えた桜の木にあった、ひとつの蛹。新しい季節がやって来ようとしているのだ。美しい春。綺麗な思い出。この気持ちと決別するのに、これほど適した日はないだろう。
「…パスタ、しのぶにも一口あげる」
ひと巻きしたフォークをしのぶへと差し出すと、何の抵抗もなく小さな顎を傾げ、それを食べてくれた。咀嚼し、おいしい。と微笑んだしのぶは、私の気持ちなど知る由もなさそうだった。私は心底、それでよかった。
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