そして、一日は過ぎていった。
しのぶと過ごす一日は幸せで、楽しかった。時間の進みは流れの止まらない川のようで、ここに来たときは青かった空も、もう紫とオレンジの混ざった夕焼けに変わっていた。ふたりでショッピングモールを出ながら歩く。
「今日は、楽しかったですね」
「うん。ありがとう、しのぶ。付き合ってくれて」
てくてくと歩みを進めるしのぶのローファーが視界に映る。きちんと磨かれた靴が彼女らしい。白い頬に、黒々とした睫毛。盗み見るように彼女の横顔に視線を遣ると、ばちんと目が合った。慌てて顔を逸らす。
「…しのぶ、は」
「はい?」
「……ううん、何でもない」
そこで言葉を切ろうとした時だった。しのぶがぴたりと足を止めた。「なまえ」
「なにか私に言うことがあるんじゃないですか?」
しのぶの大きな瞳が、はたと私を見据えていた。予想外の言葉に、「え」と小さく息を呑む。沈みゆく夕焼けを背景に、しのぶは真っすぐに私を見ていた。
「……なにか、って」
「なまえ。きっと貴方から言ってくれるだろうと思って、私からは訊かないようにしたんです。でも、いつまで経っても言ってくれる気配がないから。なまえ、本当は私に言いたいことがあったから、今日ここに誘ったんじゃないんですか?」
動揺した。まさか、気づかれていると思っていなかったからだ。私は視線を彷徨わせた。言いたいこととがあるわけではない。私は今日、しのぶへの恋を捨てるための最後の思い出として、彼女と一緒に時間を過ごした。だが私にとってはもうそれだけで十分で、持ち続けた恋情を彼女に伝えたいだとか、知ってほしい思ってはいなかった。それは無理なことだと諦めていた。なのに。
「…」
私は黙り込んだ。何といえば良いのか分からなくて、小さな子供みたいに顔を俯けたまま。そうして時間がしばらく過ぎて、何も言わない私にしのぶの方が痺れを切らせた。はぁ、と小さなため息をひとつ吐いて、そしてもう一度私を見た。
「なまえ。私は貴方が好きですよ」
時間が止まったような気がした。一瞬、言われたことが分からなくて、脳の機能が停止したようだった。好き。好き、とはどの"好き"を言っているんだろう?だがまさか、私の思う"好き"と彼女の言う"好き"が一緒なはずないだろう。そう思う私の方へと、しかししのぶは足を一歩踏み出した。
「貴方が好き。ずっと昔から」
すり、としのぶは私の頬を撫でた。いたましくてか弱い動物に触るときのような、優しい仕草だった。触れた場所からしのぶの掌の柔らかさと、ひんやりとした冷気の向こうのぬくもりが伝わってきた。何を言われたのか、やはり分からなかったが、はくと小さく動かした唇の温度はこの瞬間が夢ではないことを私に告げていた。
「………好きって、」
「貴方のことが好きだった。私は。鬼殺隊にいた頃からずっと。…なまえに、初めて出会った時から、ずっとあなたに恋をしていました」
「…どうして、」
多分、私の顔は涙でぐちゃぐちゃになっていたのだと思う。しのぶが小さく笑ったから。頬を伝う涙が、マフラーへと落ちていく。遠くから帰り道を急ぐ人々の、楽しそうな声が聞こえてきた。
「座りましょうか」と、しのぶに促されて芝生に設置されている長椅子に腰掛ける。ショッピングモールは海沿いって、そこに座ると夕焼けのオレンジに染まった海が見えた。
「ずっとなまえのことを想っていましたが、私は終ぞ伝えることが出来ませんでした。蟲柱となってからは、もう貴方を想うことは辞めようと思ったこともあるんですよ。なまえのことは、私にとって未練だったから」
「…」
「無限城で死んだ時、後悔はなかった。でも、貴方のことだけが気がかりだった」
しのぶはそこでいったん、言葉を切った。
海鳴りが遠くに聞こえて、彼女は視線を海から私へと向けた。
「なまえ。私とつきあってください。今度は、ずっと一緒にいて」
そこまで言って、しのぶは迷うように視線を彷徨わせた。薄い瞼を伏せた先の滑らかな頬に、睫毛の影が落ちる。「駄目、でしょうか」と小さく呟いたしのぶの手を握るのは、今度は私の番だった。
「…うん、うん。…私も……私も、しのぶがすき」
しのぶの手は暖かくて、昔彼女とよく手を繋いでいたことを思い出した。私も泣いて、しのぶも泣いていた。そして頬を流れる涙を指先で拭って、「泣き虫なの、変わってないんだから」と笑った。
「…私も、ずっとしのぶのこと好きだった。忘れられなかった。しのぶに再会できた時、凄く嬉しかったけど、…怖かった。しのぶのことを好きなままなのが。もうずっと、好きな気持ちが無くならなかったらどうしようって不安だった。だから今日を、しのぶに会う最後の日にしようと思っていたの」
「…うん」
「私、私もね、しのぶ。ずっと、しのぶと一緒にいたい。今度は、もう二度と離れたくない」
そう言うと、しのぶは笑った。ぎゅっと握った手を繋ぎあったまま、私たちはずっとそうしていた。海の向こうに太陽が沈んでしまうまでずっと、ずっと、私たちは手を離さなかった。
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