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ビルボードチャート下半期の結果発表が発表されて間もない頃。広間でテレビを見ている時、不意に誰かがチャンネルを変えると、エンデヴァーさんが真っ黒の脳無と戦っている所が、生中継されていた。
そして、次の瞬間真っ黒の脳無の腕画エンデヴァーさんに向かって、目にも止まらない速さで伸び、エンデヴァーさんからは血飛沫が上がった。

「…っ!!」

その光景に口元を両手で押さえ、悲鳴を上げないよう、きつく口を食いしばった。視線はテレビから流れる映像から逸らせない。崩れたビルの瓦礫の上に血を流しながら横たわるエンデヴァーさんと、人としての形を既になしてない脳無から目が離せないでいると、緑谷くんと百ちゃんが焦凍くんの名前を呼ぶ声を聞いて、広間に焦凍くんもいた事を思い出した。

「…焦凍くん…」

テレビと対面するように座っている私は、その後ろに立つ焦凍くんの方に振り返り、震える声で彼の名前を呼ぶも、彼の耳には誰の声も届いていないのか、その目はテレビ画面だけを見ている。

ひっきりなしに、脳無によって建物が破壊され、街の人々が逃げ惑う叫び声がテレビから聞こえる。

焦凍くんから視線をテレビに戻すと、逃げ惑う人々が我先にと、人の波をかき分けて前に進む様子が映されている。

…神野よりもずっとパニック状態になっている!

「“これが平和の象徴の不在…!!”」

この映像を中継している、アナウンサーの震えた声が広間に広がった。
オールマイトと言う平和がいなくなり、誰しもが不安になっているところに、こんな脳無が現れて、新しいNo.1ヒーローがボロボロの姿で立ち向かっては、脳無によって痛めつけられている。

「エンデヴァーさん…!」

血を流しながら戦うその姿は、見ている私達が辛くなる。それでもエンデヴァーさんは目の前の敵を倒そうと、何度も立ち上がっている。
誰がなんと言おうと、今戦っているのはエンデヴァーさんなのだ。

どうしてそれが分からないの?!

「“適当なこと言うなや!!どこ見て喋りよっとやテレビ!やめとけやこんな時に!あれ見ろや、まだ炎上がっとるやろうが!エンデヴァー生きて戦ってるやろうが!おらん象徴の尾っぽ引いて勝手に絶望すんなや!今、俺らの為に体張っとる男は誰や!見ろや!!”」

1人の少年の叫び声がテレビ越しに広間に響く。逃げ惑う人達の群れが映る画面の片隅で空中に炎が上がっている。
エンデヴァーが脳無と戦っている証拠だ。

「頑張れ…!!」

頑張れヒーロー!!

見ろや!と叫んだ少年の周りにいた人間が、彼の言葉に感化されエンデヴァーさんと脳無の戦いに固唾を飲んで見守っている。その場にいた全員が顔を上げて、ヒーローが勝つ事を望んでいる。

「“戦っています…!身を捩り…足掻きながら!!”」

今、目の前で戦っているのは、オールマイトではなくエンデヴァーなのだ。

「親父……っ、見てるぞ!!!」

聞こえている筈がない。今ここで焦凍くんが叫んだところでエンデヴァーさんには届かない。そんな事は知っている。だけど、叫ばずにはいられないのだ。

俺を見ろと、父は偉大なるNo.1ヒーローであると誇れるような父になると言った、炎司さんの言葉が頭の中で繰り返される。

エンデヴァーさんは炎の羽根を身に纏い、高く高く上空に上がっていく。誰も何も被害にならないように高く昇って行き、目が眩む程の一際明るい炎を、大きな脳無の身体がすっぽり入る程の範囲で攻撃する。
太い火柱が上空に向けて上がる。

そして、炎がそのまま地上に落下し、土埃が当たりを舞い視界を悪くさせる。画面の向こうでは何が起こっているのかが分からない。

テレビを見てる人達全員が固唾を飲んで、勝利の行方を見守っている。

土埃が舞い上がって、何も映らなくなったのは恐らく一瞬。だけど、その一瞬が長いように感じた。

「“立っています!!”」

ボロボロになったエンデヴァーさんが左手で握り拳を作り、空に向けて上げている。至る所から血を垂れ流しながらも、両足をしっかり地面につけて立っている。

「“スタンディング!!エンデヴァー!!勝利の!!いえ!!始まりのスタンディングです!!”」

無意識に気を張っていたのか、エンデヴァーさんの生きている姿に力が抜け、ソファから滑り落ちた。

「2人共大丈夫?!」
「おいおい!」
「見ているのが苦しい戦いだったわね」

皆の声が耳に入るのに、脳がそれを処理する事が出来ない。
ふと、焦凍くんの方を見ると、彼もしゃがみこみ深い息を吐いている。それもその筈だ。

私は焦凍くんの足元に手を伸ばした。そして焦凍くんの名前を呼ぼうとしたが、寸前で声に出すことは止めた。私は焦凍くんに向かってなんて声をかけたらいいのかが分からない。
名前を呼んで、その次の言葉が出てこない。
焦凍くんは、私が感じていた不安よりもずっと大きな不安に駆られていた筈だから。

その後、敵連合の荼毘と名乗った男が現れ、一触即発の状態になったが、ミルコさんがやって来た事により荼毘は撤退した。

危機が去り、今度こそと体の力を抜いた。相澤先生や緑谷くん、お茶子ちゃん達が心配してくれる。へらりと笑い、大丈夫だと口にすると、切島くんが無理すんなよ。と肩に手を置いて慰めてくれたが、私は私よりも焦凍くんの方が気になって仕方ない。

相澤先生が焦凍くんを面談室に連れて行き、私は寮に残ることになった。轟家に居候している身でも、これより先には踏み込めない。
……私は本当の家族じゃないから。

その日の夜、焦凍くんから電話がかかってきた。月は完全に昇り切ったこの時間帯に、電話をかけてくるのはとても珍しく、重かった瞼も沈んでいた意識も思考も全て吹き飛び、急いでiPhoneを手に取り通話に応じた。

「“悪ィ寝てたよな”」
「大丈夫だよ」
「“次の休み家に帰る事になった……それで、柚華さんにもついて来て欲しい”」
「……私も、いいの?」

焦凍くんの言葉に、あの時の…相澤先生と一緒に面談室に向かった焦凍くんの後ろ姿を思い出した。所詮私は居候で、本当の家族じゃない。それなのに、あの事件の後轟家の家に行っても良いのだろうか。

「“柚華さんは俺達の家族だろ”」
「…っ」

当然と、当たり前だと言ってくれる焦凍くんの態度に、何かが胸にこみ上がった。

嬉しい…嬉しい。

喜びで口元は震える。それを悟らせないように、二つ返事で了承し電話を切った。我ながら単純な人間だとは思う。

あの時感じた切なさは、今はもうないのだから。

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