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焦凍くんは家族だと言ってくれたが、やはりただの居候が轟家大黒柱の一大事に家族の輪の中に入るというのは如何なものかと思い、外で待つようにしたのだが冬美さんが私に中に入るように促し、隣に立つ焦凍くんの腕が腰に回り、彼が1歩前に足を踏み出すと、釣られるように私も足を1歩前に踏み出した。焦凍くんは私を家の中に入れることを強要しているわけではないが、逃がさない。という気持ちを感じる。
最後の砦だと言わんばかりに相澤先生の方を振り向くと、先生は無表情のまま、諦めろ。と口にした。

「佐倉、心配はしてないが轟家に迷惑かけるなよ」
「……はい」

無駄な抵抗はせずに中に入れ。と遠回しに言ったのだろう。私は止めてくれなかったことや、焦凍くんや冬美さんの嬉しそうな表情に両肩を落としつつ、轟家の敷居を跨いだ。石畳で出来た玄関に木造建築特有の香り、その全てが懐かしく思ってしまうのは、ここ最近色々な事が起こったからだろう。
実際この家を出て、寮に住んでからまだ数ヶ月しか経ってないのだから。

取り敢えず冬美さんのお手伝いをしようと台所に立ち、焦凍くんが好きなざるそばとその薬味である小ねぎを刻んでいると聞いたことのない男の人の声が居間の方から聞こえた。振り返るとやはり私の知らない人物が立っていて思わず固まってしまった。向こうも私の姿を見て固まってしまい、それを見た冬美さんが納得したように両掌を合わせてにこやかに笑った。

「そうか!2人は初めましてなんだね!」
「姉ちゃんコイツ誰だよ」
「コイツじゃねェ。柚華さんだ」

焦凍くんそうじゃない。そうじゃないんだよ。この男性が言いたいのは私がどういう人間で、なんでこの轟家にいるのかと言うことなんだよ。

「なつ。この子は居候の佐倉柚華ちゃん。こっちが夏雄」
「……住み込みのバイトではなく?」
「初めまして。佐倉柚華です。炎司さんのご厚意でこの轟家にご厄介になっております」

“夏雄”と呼ばれた男性に頭を下げて挨拶すると、戸惑いながらも挨拶してくれた。焦凍くんがまた何か言いたそうに口を開いたが、何か誤解を生むようなことを言われては困ると思い、無言で焦凍くんに微笑むと彼はそのまま黙ってくれた。その後は夏雄さんの視線を感じながらもざるそばを作り終え、炎司さんがまだ家に帰って来ないようなので先にご飯を頂くことにした。お蕎麦を啜っている時も夏雄さんの視線を感じ、思わずお蕎麦を食べる手が止まる。視線が痛いとはまさにこのことなのだろう。なんて他人事のように考えてしまった。

「今日はお父さんを労おう!家族を顧みようとしてくれているんだし」
「……おう」

お蕎麦を啜る音の中に小さな返事が聞こえた。本当に小さくてたまたま耳に入ったから気が付いたようなものだ。焦凍くんに至っては本当にお蕎麦を啜っているだけで、冬美さんに返事すらしていない。この調子で炎司さんが帰って来た時に受け入れることが出来るのだろうか。と心配になったが、それこそ他人の、轟家の過去を知らない私が何か口を挟めるわけもなく、ただ苦笑いするしかなかった。

「所でなんで蕎麦なんだ?」
「焦凍くんがお蕎麦好きなので……お嫌いでしたか?」
「いや……そうか……」

夏雄さんは驚いた表情をし、顔を俯かせた。どうかしたのかと首を傾げて焦凍くんを見るも、彼も夏雄さんの様子を見て小首を傾げている。暫くお蕎麦を啜る音が流れるだけの空間の中、足音が聞こえ廊下と今を隔てる襖が開いた。そこには顔の左半分傷だらけの炎司さんが立っていて、あの時の脳無との戦いがどれだけ壮絶だったかのかが改めて感じられる。あの時は本当にエンデヴァーが……炎司さんが死んでしまうと思ったのだから。

「おつかれ」
「おかえりなさい」
「……久しぶりだな」

冬美さんが私たちが家に帰って来た経緯を話してくれたが、その話題を断ち切って焦凍くんは炎司さんの顔に出来てしまった傷跡に話題を向けた。奇しくも自分と同じ左側に出来た憎む対象だった炎司さんの左の傷を焦凍くんはどんな気持ちでいるのだろうか。私にはその心境は測り切れない。

「焦凍くん、ご飯を食べながら喋るなんて行儀が悪いよ」
「…ん、悪ぃ」

そうは言いつつも焦凍くんのお蕎麦を食べる手は止まらなくて、寧ろ夏雄さんと合わせてお蕎麦を食べる手が早くなっているように感じる。冬美さんが、おつかれくらい言いなさい!今日は労おうって約束でしょ!と小声で言ったところで2人のお蕎麦を啜る手は止まりもしない。

「“折角お父さんが家族を顧みようとし始めているんだから!嫌いだからって顔に出し過ぎだよ”」

小声で続けて言うがお蕎麦を啜る2人に向けて言っているのだから、当然声は大きくなるばかりで、今だに敷居に立っている炎司さんににも聞こえる音量になってしまっている。

「聞こえているぞ」

少し切なそうに眉を下げているのは私の気の所為だろう。夏雄さんは後ろ手で髪を乱し唸るような声を上げて席を立った。

「姉ちゃん。やっぱりムリっぽい俺」
「なつー……!」

冬美さんが悲しそうに夏雄さんを引き留めるも、夏雄さんは炎司さんの隣を通り過ぎようとする、それを炎司さんが肩を掴み引き留め、言いたいことがあるなら言え。と気持ちを吐露するように促すとあからさまに夏雄さんはを顰めた。

「目ェ合わせたこともないくせに急によく言うね!俺さ、焦凍が蕎麦好きだなんて初めて知ったよ。あんたが失敗作(おれたち)と関わらせないようにしてたから」
「夏兄……」

あの時顔を俯かせていたのは、焦凍くんの好物を初めて知ったからだ。しかもその事実を知り合って日も浅い私の口から聞いたから余計に許せなかったのだろう。

「お母さんも姉ちゃんも何故か許す流れになんだけどさ、俺の中じゃイカレ野郎絶賛継続中だよ!変わったようで全然変わってない!失敗作(おれたち)は放ったらかし聞こえてくるお母さんの悲鳴、焦凍の泣き声。橙矢兄のこともさ……No.1になって強敵倒したところで心から消えるハズない。勝手に心変わりして!一方的に縒り戻そうってか!気持ち悪いぜ!そーゆーとこわかってんの!?」

柱を握り拳で叩くように殴る夏雄さんから語られる全てが炎司さんを否定るする言葉だった。許せない許したくない。そう言った気持ちが水知らぬ私にまで伝わってくる。それは目を背けたくなってしまうくらいに。

「これから向き合い償うつもりだ」
「あっそ!!!」

悪い!姉ちゃんごちそーさま!!そう叫んで夏雄さんは何処かに向かって行った。階段を駆けあがる音が聞こえたから、恐らく2階の自室に向かったのだろう。

「焦凍が雄英入って……お母さんと会うようになって……お父さんも歩み寄ってくれてさ、お母さんも笑うようになって、うちも……うちだって“家族”になれるんだーって……嬉しかったの姉さんはぁー!焦凍ぉー!」
「姉さん……」

冬美さんに泣きつかれている焦凍くんはそれでもお蕎麦を食べる手を止めない。お蕎麦に対する熱意に感動すればいいのか、お蕎麦を食べながら喋ることに怒ればいいのか。

「夏兄があんなに感情を剥き出すところ初めて見た」
「焦凍くん……!」
「悪い」

テレビからは先日の脳無が起こした事件のニュースが聞こえてくる。中にはオールマイトと比較してエンデヴァーは心もとないと言った意見もあったが、その中にエンデヴァーに感謝の気持ちを伝えるものや、エンデヴァーの働きを称える声も聞こえてきた。

「ヒーローとしての……エンデヴァーって奴は凄かったよ。凄い奴だ。けど……夏兄の言った通りだと思うし、おまえがお母さんを虐めたこと………まだ許せてねェ。だから……“親父”としてこれからどうなっていくのか、見たい。ちょっとした切っ掛けが人を変えることもあるって俺は知っているから」

間髪入れずお蕎麦を啜った焦凍くんに何故か成長を感じた。精神的にも大人になっていく彼に私はいつまで焦凍くんの前を走って行くことが出来るのだろうか。いつかは横に並び置いて行かれるのかもしれない。それでも彼の成長がなのだ。

「冬美、今まですまなかった。夏雄に掛ける言葉を間違えた」

そう言って炎司さんは廊下を歩いていき、お蕎麦を食べ終えた私たちは寮に戻ることになった。
帰寮後、焦凍くんは何故か私の部屋にまで当たり前のように付いて来て、流れるように私の体を逞しい両腕の中に閉じ込めた。突然の事に思考が停止したが、取り敢えず私も抱き締め返すと更にきつく抱き締められる。少し苦しいそれに口元が緩みながらも焦凍くんの背中を軽く叩くと、名残惜しそうに力を緩めて2人の距離を僅かに開けた。

「柚華さん」
「なーに?」

額同士が触れ合い絡む視線が熱っぽい。自然と頬に熱が集まり赤くなるばかりだ。遂に焦凍くんの顔が見つめられなくなりきつく瞼を閉じると、頬に焦凍くんの柔らかい毛先が触れ、それが擽ったくて肩を震わせると喉で笑う焦凍くんの気配を感じた。

「好きだ」
「ちょ、ま……んっ!」

耳元で聞こえた熱の籠った愛の言葉と、同じくらいに熱っぽい唇。
今日轟家で色々あって、今みたいな雰囲気なんて何処にもなかったのに、なんでこの状況になっているのだろうか。皆目見当がつかず与えられる口付けに足を震わせるばかりだ。じわじわと深くなる口付けに腰が抜け、ベッドに傾れ込むと、横に焦凍くんが寝そべった。悔しくて涙目で睨むと、彼は私の涙を親指で拭ってくれ額に短く口付けを落とした。

「柚華さん、ぜったい大丈夫だよって言うだろ」
「う、ん?……うん」
「あの言葉今日一日頭の中にずっとあって、今からでも俺たちは家族になれんじゃないかって思えた」

ありがとうな。

そう言って笑った焦凍くんの顔はいつになく優しげなもので、私の心まで優しさが募っていく。
そうして私たちは何でもない話をしながら笑い合い、ずっと身を寄り添いあっていた。こんな日がいつまでも続けばいい。そんなことをらしくもなく願ったりしていた。
 
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