「えっと、アシリパちゃんだよね?私雪子って言うの。よろしくね」
「あぁ。雪子はどうして尾形と一緒にいるんだ?」
折角一緒に旅をするのだから、お互いの名前は知っておいた方が良いと思い、アシリパちゃんに話しかけると、杉元さんと全く同じ質問をしてきた。
大人にも説明するのが難しいのに、子供に向かってどう説明いたらいいのかと、考え途切れ途切れに言葉を発した。近くに尾形様もいるから出鱈目な事も言えないから、余計に言葉に詰まる。
「えっとね…訳とご縁があって一緒に行動させてもらっているの」
「尾形の事怖くないのか?」
「たまにね。怖いと思うけど、私には尾形様しかいないから」
困ったように笑って答えると、アシリパちゃんが難しい顔をして後ろを歩く尾形様を見る。子供には難しかったかな?なんてアシリパちゃんの様子を見ていていたら、杉元さんがアシリパちゃんに軽く注意をする。尾形様はアシリパちゃんの視線に気が付いているんだろうけど、全く気にしてないらしく、望遠鏡で周りの様子を執拗に確認している。
途中ヤマシギの姿が見え、アシリパちゃんが罠を仕掛ける事になった。尾形様は銃で撃ち抜こうと歩兵銃を構えるが、アシリパちゃんがヤマシギは蛇行して飛ぶから一羽に当てられても、他のが逃げると言って歩兵銃を下げさせた。
翌日、朝起きたら尾形様がいなくてなっていて、何処に行ったのかと首を傾げつつも、罠に掛かった二羽のヤマシギの羽を千切っていると、尾形様が三羽のヤマシギの首根っこを掴んで帰って来た。牛山さんが素直に尾形様の銃の腕を誉めると、尾形様は勝ち誇ったように胸を張り、鼻から勢いよく息を吐き出す。
「アシリパさんに無理だって言われたからムキになっちゃってさ…ハンッ」
「杉元は銃が下手くそだから妬ましいな」
「別に!!」
意外にも尾形様は子供っぽい所があるらしく、私よりも尾形様は年上なんだが可愛く見えてしまい、口元に手を当て小さく笑っていると、尾形様に睨まれてしまった。
アシリパちゃんは小刀でヤマシギの頭部を僅かに切って、脳みそを匙で掬って塩を振り杉元さんに渡すと、杉元さんはそれを美味しそうに食べる。次いでアシリパちゃんはもう一本の匙で脳みそを掬い、同じように塩を振り牛山さんに差し出す。
最初こそ、食べたくないような雰囲気を発していたが、アシリパちゃんの円らで輝かしい瞳と、杉元さんの美味しそうに食べる姿を見て、食べる決意が出来たのか指で掬って口に運ぶ。その様子を信じられないものを見るかのように見ていたが、アシリパちゃんが私達にまで脳みそを差し出してきたので、丁重にお断りさせて頂いた。
「そうか…」
「アシリパちゃんはまだ成長期なんだから、美味しいものは沢山食べないと」
「そうか!あとは内臓ごとチタタプする」
チタタプとは何だろうと、牛山さんと一緒に首を傾げるとアシリパちゃんが丁寧に説明してくれた。
「チタタプって言いながら叩いてください。チンポ先生」
「チタタプ、チタタプ」
ある程度叩いたら違う人と交代するようで、これを全員で行うと言い、私達は順番にチタタプと言ってお肉を叩いていくが、尾形様はチタタプと言わずに叩いていたようで、アシリパちゃんに怒られていた。
鍋に叩いたヤマシギの肉を丸めて入れて煮込んでいく。野菜も入れて簡易的な鍋が出来上がった。
「さぁ食べよう!ヤマシギのチタタプを煮込んだオハウだ」
「いただきます」
それぞれの容器にそれらを掬い、湯気が立っているヤマシギの肉団子に口をつける。それはとても美味しくて、昆布や鰹なんかなくとも、鳥の出汁がちゃんと出ていて美味しく、美味しいと言いながら食べていると、アシリパちゃんがヒンナと言うんだ。と教えてくれた。
「食事に感謝する言葉なんだ」
「和人で言う“頂きます”と“御馳走様でした”みたいなもの?」
「あぁ。私達は食事中にヒンナと言って感謝しながら食べるんだ」
折角教えてもらったのだからと、私もアシリパちゃんを習ってヒンナと言いながら食べた。アシリパちゃんは嬉しそうに笑ってくれた。
食事という小休憩を挟み、私たちはまた歩き出した。人目を付かないように街道ではなく山道を歩いている為、足場も悪く普段よりも早く足が疲れてしまうが、そんな弱音は吐きたくないと意地で堪え踏ん張って歩く。尾形様にはその強がりもバレているようで私を見て意地悪く笑っている。
ただでさえ、皆私に気を使ってゆっくり移動しているんだから、これ以上迷惑はかけたくない。
「見ろ杉元、コタンがあるぞ。樺戸までもうすぐだけど休ませてもらおう」
山の中からアイヌの集落を見つけたアシリパちゃんは足取り軽く降りていき、杉元さんたちもそれに続く。集落に近づくには大きめな岩を飛び越えなければいけなくて、どうやって降りようか迷っていると、先に降りた尾形様が私に向かって手を差し伸ばしてくれ、それに手を伸ばしてしっかりと握り、大きめな岩から降りる事が出来た。
アシリパちゃんは尾形さんを怖くないか。と聞いていた。確かにこの人は何を考えているかわからない怖さがあるが、優しい一面も持ち合わせている人だ。
「ありがとうございます」
尾形様は何も言わず顎を使って先に行くように促し、私は促されたまま先に行く杉元さんたちに追いつく為に歩き出した。
「この村にもアシリパさんの親戚がいるの?婆ちゃんの十五番目の妹とか?うふふッ」
「フチの十五番目の妹は釧路にいる。この辺に親戚はいない。初めて来た」
アシリパちゃんのお婆さんは相当の数の兄弟がいるようで、杉元さんたちはその親戚の方たちに会った事があるらしいが、ここの集落は初めてのようで、辺りを見渡している。
「やぁ…こんにちは。あんたらなんの用だい?」
日本語が上手な男性に簡潔に説明いていると、杉元さんも気になったのか男性に向かって上手だと伝えると、アイヌの男性は昔和人としていたからだ。と説明してくれた。その説明を聞いているのか聞いていないのかわからないが、牛山さんは違う事が気になったようで、杉元さんの背中の向こう方に指差して、杉元さんに聞いていた。
「オイ、なんだあれ」
「あれは、子熊用のオリ…え?あの子熊のオリ……いつからあのままなんだ?」
正方形に丸太を積み上げたオリは子熊用との事だが、初めて見た私も疑問に思ってしまうくらいに中に入っている熊は大きくなっており。積み上げられた丸太の隙間から毛が食み出ているし、所々皮も乗っている。
「ちょっと子熊が大きくなるのが早くてな。大きいオリを作ってうつすとこだった。気にしないでくれ。俺はエクロク。俺の父であり村長のレタンノ エカシに滞在の許可を貰うといい」
エクロクさんは村長の家を教えてくれえて、先に中に入って行く。それに続くのかと思いきや、杉元さんは立ち止まり私たちの方に振り返り、アイヌの挨拶の仕方を教えてくれる。
「アイヌの家を訪問する時はいくつか作法があるんだ。俺はこれまで何度かやってるからよく見ておけ。騒ぎを起こしたくなければ行儀よくしろよ。特に尾形」
最後に尾形様に釘を刺し、家の前で咳払いをした。何回か咳払いをすると眉の太い若い男性が出てきて、私達を見るとまた家の中に帰っていった。なんでも家の若い人が外に来た客を無言で確認して、主人に報告するみたいで、その主人が入るのを許可すれば家の中の掃除が始まるらしい。その掃除も長く、黙って待つのを飽きてしまった杉元さんと尾形様は蟻を見つけたり、蝶々を追いかけたりし始めた。
アシリパちゃん曰、昔和人の若い人がアイヌ人の案内で北海道の奥地を見回っている時、運悪く土砂降りに当たってしまい雨宿りさせてもらう為にアイヌの家に行ったが、アイヌはこの手続きをきっちりやって、中に入れるようになったのは雨が上がってからだった。と言う話がある位、アイヌの人たちはこの手続きを大事にしているらしい。
太い眉の若い男性が、アイヌ語で杉元さんに話しかけながら手を差し伸ばす。杉元さんはその手を取り、牛山さんと手を繋ぐ。
「全員と手を繋ぐのか?」
「背筋を伸ばすなッ。手を引かれて招かれる時は、腰を屈めるのが作法だぞ」
牛山さんは尾形様と手を繋ぎ、尾形様は私と手を繋ぎ、私はアシリパちゃんと手を繋ぎながら中に入った。
座る順番もあるようで、入って上座が男性。下座が女性で、意外な事にお客さん同士を対面させて、家人は家人同士で対面しているが、主人は壁を背にして一人で座り、上座から順に主人の息子さん、お孫さん、恐らく主人の息子さんの奥さんと並んで座っている。
主人は素早い動きで手を動かし、アイヌ語で挨拶をしてくれた。杉元さんは真似をしろと言っていたが、その杉元さんと対面していたアシリパちゃんは、主人を指差してはっきりとした声でこう言った。
「ムシオンカミ」
私達や主人を含め家人の人達が、呆気にとられたような表情をしたが、奥さんだけが耐えられなかったのか、口から息を吹き出し笑う。エクロクさんはアシリパちゃんを見て何故一緒に?と質問し、杉元さんが案内役としてと当り障りのない返答をすると、エクロクさんは家族の紹介をしてくれたが、アシリパちゃんはそれを遮って立ち上がり、オソマに行ってくる!と宣言した。これには流石に家人も吃驚したが、それより驚いていたのが杉元さんだった。
オソマに行くと立ち上がったアシリパちゃんはに向かって、ついて行こうか?と聞くとエクロクさんが眉の太い弟さんに案内させるよ。と言って背中を軽く叩いてみせると、弟さんは立ち上がってアシリパちゃんの後を追った。
息子さんだと思ってた…。
ひらりと捲れる裾の隙間から見えた模様に、私は一瞬見間違えたんじゃないかと思った。
あれって…くりからもんもん?
アイヌの人ってあんな刺青入れるのかな?
正面に座っている尾形様に目を向けると、彼は眼光鋭くさせ私を見ると僅かに口の端を上げて口を開く。
「ムシオンカミってどういう意味だ?」
その言葉に主人と息子さんが答えられずにいると、温度のない声色で畳みかけるようにまた口を開く。
「おや?もしかして分らんのか?」
息子さんはムシオンカミは聞いたことがないとはっきり言った。なんでもアイヌ語にも方言があるらしく、杉元さんが頷いて納得し、行者ニンニクだけでも方言によって二種類の呼び方があると言って、何を疑っているんだ。と尾形様を責める。
「こいつら本当にアイヌか?」
その言葉を聞いて、杉元さんは立ち上がりエクロクさんの髪を除けて耳を出し、アイヌの人は耳が分厚いと言うが、正直その根拠は決定打に欠けるもので、尾形様が、福耳にしか見えねぇけどな。と一蹴している。
杉元さんと尾形様がアイヌだアイヌじゃないと言い合いをしていると、窓の外から女の人の叫び声にも似た言葉が聞こえた。
「ウンカ オピウキ ヤン!」
叫んだ女性は近くにいた男性に手で口元を押さえつけられていて、苦しそうな声を漏らしながらもがいている。
牛山さんが今のご婦人は?と尋ねると、エクロクさんは知らない方がいいと言って話を切ろうとするが、隣に座っている奥さんが、同じ言葉を振るえる声で言った。
杉元さんはエクロクさんの言葉を信じているようで、気に障る事をしたのかと謝るが、今の声色はそんな類のものではないと思う。
今のは、まるで…。
「助けを求めているみたいだったけど…」
私がそう言うと、エクロクさんが私を鋭く睨みつける。その鋭さに驚き目を見開くと尾形さんが僅かに腰を浮かせ腰の横に置いていた銃に手を動かす。ピリッと肌に刺さるような空気に心臓が嫌な音を立てるが、それに気が付いていない杉元さんが三叉の棒を取り出し、これの正しい使い方を見せてくれ。と言った。
先ずは牛山さんからと言って三叉の棒を杉元さんが渡し、それを受け取った牛山さんは変な動きを見せたが、杉元さん曰く全く違うものだったみたいで、正解を見せてやってくださいと言わんばかりの笑みで、村長である主人に渡すと、主人も何やら変な動きを見せて、最後はその三叉の棒の上に座った。その場にいた人が杉元さんを見るが、杉元さんはそういう使い方もあるのか…。と変に納得してしまって、役に立たないと切り捨てた尾形様が棒を受け取り、主人の足の小指に向かって思いっきり振りかぶった。
「痛いッ!!」
「日本語?!」
「この使い方が正しかったようだな」
アイヌ人である主人が咄嗟に出した言葉が日本語という事がおかしい、と尾形様が指摘するも杉元さんが納得しない。
丁度よく、アシリパちゃんを御手洗まで案内してくれた弟さんが戻ってきた。だが、近くにアシリパちゃんの姿がなく、訳を聞くと近所の女性に刺繍を教えて貰っていて、それに 夢中になっていると説明してくれた。それを聞いた杉元さんが、手に持っていた三叉の棒で弟さんの顔面を殴った。
「アシリパさんが“刺繍に夢中”だぁ?てめぇ……あの子をどこへやった?」
殴られた弟さんは私の近くに殆ど倒れるように座り込み、殴られた顔は鼻血や切れた唇から滴っている。
「雪子来い」
尾形様に名前を呼ばれて弾かれるように、尾形様の方に向かうがエクロクさんが私の腕を掴み引き寄せ、私の背中に回り後ろから私の首に腕を回して、小刀を首筋に充てがう。
私を人質に取った態度や、弟さんの足首にあるくらからもんもんが決定的な偽りのアイヌ人であるという証拠になり、杉元さんは地を這うような怒涛の叫び声をあげる。
「俺の一声で外にいる仲間があのガキの喉を掻き切るぜ!お前ら武器を捨てろッ!」
そう叫びながら小刀を抜く弟さんの口に杉元さんは三叉の棒を突っ込み、そのまま空いてる手で首を抱え、それを起点に斜め後ろに捻るように、弟さんの口に入れた棒を動かし、弟さんの首の骨を折り殺した。
「きゃああああっ!!」
突然のその光景は余りにも惨くて、悲鳴をあげると私の首筋に小刀をあてがっているエクロクさんが杉元さん達に向かって叫ぶ。
「お前ら武器を置けって言ってんだよ!」
そう言った瞬間、銃声が聞こえ、頬に生暖かい液体が飛びつく。それは私の頬の輪郭をなぞるように伝っていく。
私の事を拘束していた腕はだらりと垂れ、背中に感じていた人の硬さも体温も一瞬にしていなくなった。
歩兵銃を構えている尾形様が私に向かって来い!と叫ぶ。
「エクロク助さん。アイヌ語で命乞いはどう言うんだ?」
尾形様の背中に回り込み、その外套をきつく握る。
それからと言うものの、見るも悲惨な光景が目の前に広がり続けた。何かが壊れる音や苦痛の叫び声に、女の人達の恨みを晴らすような怒鳴り声。淡々と響く銃声。何より怖かったのは杉元さんの轟く怒鳴り声と、牛山さんが小熊用のオリに入れられた、大きくなった熊を背負い投げした事だ。
ずっと私は尾形様の背中に額を擦りつけ、瞼をぎゅっと閉じて耳に入ってくる情報を必死に遮断していた。手は尾形様の外套を握っていた為、耳を塞げなかったが、多分塞いだ所で意味なんかなかっただろう。
「雪子顔を上げろ」
そう言われても、今私が置かれている状況が余りにも残酷で、耳からの情報でも怖いのに、視覚の状況を与えられたらさらに体が震えあがるに違いない。
私は黙って頭を横に振ると、尾形様は私に離れるように言う。それも嫌で首を振れば静かに私の名前を呼ぶ。
「雪子」
さっきまでの阿鼻叫喚と違って酷く静かな空間に、尾形様の声は穏やかに広がる。ゆっくり、尾形様が羽織っている外套から手を離すと、彼は私と向かい合うように座り直した。
「怖いならこっちに来い」
尾形様の口から発せられた言葉は、本当に尾形様の言葉なのか?と普段の私なら疑ったかもしれない。でもこの状況ではそんな事を思う余裕もなくて、私は尾形様の肩に頬を寄せる。
火薬の匂いがする…。
この人もさっきまで人を殺していた人。なのにこんなにも安心する。
「杉元はおっかねぇ男だぜ…」
アイヌの集落に殆ど一人の男の手によって、偽アイヌの死体が至る所で転がり、地面に鮮血を注いでいる。
言いしれない恐怖に支配された私はたた、涙を流す事しか出来なくて、尾形様はそんな私の頭をずっと撫でていてくれた。
その手つきは不慣れで不器用で、それが何故か心地よく感じ、ひどく安心した。