わたしは普通






「あれが網走監獄…」

 私達はついに網走までやって来た。網走監獄は監視が厳しいと有名で脱獄王と名高い白石さんでも脱獄するのは難しかった。との事で、監獄の見取り図を片手に私達は念入りにどう潜入するかを話し合う事になった。
 網走近郊のアシリパちゃんの十三番目の妹さんの家で話し合う事になった。

「敷地内には監視の櫓が五箇所。巡回する看守もウヨウヨいた。網走監獄は周囲を三方山に囲まれている。山にも二十箇所見張り小屋があって、看守は全員ロシア製のモシン・ナガンで武装していた。小屋の中にはマキシマム機関銃まであったぜ。戦争にでも備えてんのか?あいつら」

 杉元さんはアシリパちゃんと一緒に山の中から監獄の様子を見てくれたようで、私たちにもわかりやすく教えてくれる。

「私達が脱獄する前より、さらに厳重になっている」

 集団で脱獄されたら警備だって厳重になるに決まっている。

「山側は囚人の舎房があるので特に厳重なんだ。脱獄する囚人の心理としてはすぐにでも山に身を隠したいだろうし…看守たちがいる、建物の前を危険を犯して通ろうと考える奴は、先ずいないからな」

 見取り図を床に置き、白石さんが指で丸を描きながら危険な場所を指さしていく。

「それもあるが、監獄側はのっぺら坊を奪いに来る連中も警戒しているということだ」
「とすれば、やはり侵入経路は警備の手薄な網走川に面した堀しかねぇ」

 ここだ。と言って白石さんが見取り図を指さした。
 だからと言ってあくまでも警備が手薄なだけで見回りに来ないとは言えないんじゃないか?と白石さんに聞くと、彼は得意げに笑った。

「いい質問だぜ雪子ちゃん。この計画は今の時期にしか出来ねぇぜ。鮭が獲れる今だからこそな。トンネルの入口をアイヌの小屋で偽装する」

 キロランケさんは日露戦争で工兵でに二〇三高地でロシアの堡塁を破壊する為にトンネルを掘った経験があるとの事で、トンネル掘りの指揮はキロランケさんがとる事に。そして、白石さんが掘り出した土は一箇所で捨てないで、鮭を獲っている最中に少しづつ色んな箇所で捨てるように言った。

「トンネル掘りをアイヌの鮭漁で偽装する。網走監獄侵入大作戦だぜ!!」

 声高らかに言った白石さんに周りから感嘆の声が上がった。斯く言う私も思わず拍手をしてしまった。

「シライシ…やっぱすげぇや脱帽だ」

 杉元さんが普段ずっと被っている軍帽を脱ぎ白石さんを賞賛すると、白石さんさピュッっと口笛のようなものを吹いて、人差し指を中指で杉元さんを指さす。
 次いでアシリパちゃんもさすが脱獄王。と褒め称えると、白石さんが今度はアシリパちゃんに向けて、ピュウッと指さし言った。
 先に指された杉元さんの目は何故か死んでいる。

「ピュウ!ピュウ!ピュピュッ!」

 得意げな顔をして尾形様に向かって指さすが、尾形様は心を無にしているのか、そもそもそこまで感動していないのか分からないが、普段以上に無表情のまま白石さんを見た。
 何の反応もない尾形様に白石さんは泣いていた。

 翌日からキロランケさんと谷垣さんが川で鮭を獲り、チカパシくんと杉元さんと土方さんのお連れのお兄さんがトンネルを掘ることになった。
 その間尾形様は山の中から網走監獄を見張ることになり、私もそれに同行する事にした。

 青々とした木々の中、尾形様は網走監獄が見えやすく、向こうからは見ずらい木に登り双眼鏡で中の様子を探っている。私はと言うと、尾形様からどこにも行かずに黙って待ってろ、と言われてしまった為に何もする事がない。
 尾形様が登った木の幹に背中を預けて座り、ただ青い空を眺めている。

 ここまでやる事がないのなら私をアイヌの村において来たらよかったのに。と愚痴を垂れそうになったが、尾形様がそう出来ない理由を作ったのも私であることを思い出した。

 “もし、尾形様が守りきれないと思ったら私を殺してくださいね”

 彼はこんな約束を律儀に守り、私のそばを片時も離れないでいてくれる。尾形様はきっと私との約束がなければもっと自由に生きていられる。私という存在が彼の足枷になっている。
 私が尾形様を手放せば彼は自由になれる。軍で脱走兵扱いされている身だし、彼なら逃げ切ろうと思えば、恐らく軍からも逃げ切れる。それだけの実力を持っている人だ。
 私は彼を手放す事が出来るのだろうか。否、きっと出来ない。最初は用心棒として尾形様を求めたが、今となってはただ、あの人の傍にいたいと願ってしまっている。

「寿命は俺が決める…か」

 確かにそういう契約だ。私の寿命は尾形様が決めて、あの人の自由を私が奪っている。何とも奇妙な関係に自嘲してしまう。

「ねぇ尾形様」
「その様付けいい加減やめろ」

 何気なく頭上にいる彼に声をかけると、不機嫌さを包み隠さないで苦情を言われた。
 最近気が付いたけど、出会った頃よりも彼は表情を豊かになったと思う。私が尾形様に慣れただけかもしれないけれど。

「だって嫌がってる表情の尾形様面白いんですもん」
「あぁ?その所為でお前俺の女だと勘違いされてるぜ」

 あぁ、だから旅館とかいつも尾形様と同室なのか。溢れたから仕方なくだと思っていたけど、積極的に勧められていたとは思わなかったな。
 皆が何を想像してるかは分からないが、夜寝る時は二人の間に衝立を置いているから何かが起こるわけじゃない。
 普通の女の子だったら緊張して寝れないってなるんだろうが、長旅で疲れているからか、布団に横になればそのまま抵抗なく意識を失う所為で間違いも起こらない。

「でも尾形様って呼び方慣れちゃいましたもん」

 呼び方を変えるつもりはない。という私の意思が伝わったのか、尾形様は何も言わずに私の頭上から降りてきた。
 にっこり笑いながら私も立ち上がると、僅かばかり彼は顔を顰める。

 その表情だって今となっては愛らしく感じるのだから、人生どうなるか分かったもんじゃない。

「雪子」
「はい、なんですか?」
「ハッ、呼んだだけだ」

 なんですか、それ。なんて軽口を叩きながらどこかに向かって歩く尾形様の背中を追いかける。不意に彼の背中が急に遠くに感じて、風に靡く外套に手を伸ばしてきつく握る。すると当たり前だけど、尾形様は歩みを止めて、軽く振り返り私を見つめる。

「ごめんなさい…なんでもないです」
「雪子、こっちに来い」

 きつく握っている外套を手放し、足を一歩踏み出し尾形様の正面に立つ。拳一つ分の距離が今の二人の間にある。
 それをなくしたのはどちらが先だっただろうか。

 白檀の香りが鼻腔を通り過ぎていく。

「無事でいてください。私の寿命を削ってでもいいから生きてください」
「雪子、お前は監獄には行くな」
「…では神にでもあなたの無事を祈ってます」

 何が起こるか分からない監獄には流石に連れて行ってはくれないと思っていた。ギリギリまでそばにいたいと思うのだがきっとそれすらも許してはくれないのだろう。

「神や愛は存在が不確かで信じられねぇな」
「では信じられなくなったら、今日の事を思い出して下さい」

 尾形様の背中に回した手で軍服を握る。私の体も逞しく暖かいものに包まれている。
 トンネルが開通するまでまだ少し時間がかかる。それまではこの人と一緒にいられる。自分勝手で我儘な私は開通しなければいいのにとすら思い始めている。
 もし計画が上手くいかなくなったら、尾形様は狙撃手として参加する事になる。遠距離攻撃だとしても安全だとは限らない。いつかのように撃たれるかもしれない。

 今までも危険な事は沢山あった。それでも乗り越えて来た。なのに今、これまでにないくらいの恐怖がある。

「行くぞ」
「…っはい」

 本当に私の寿命を削ってもいい。短命になっても構わない。だからどうか、彼を生かしてください。
 そう祈らずにはいられない。

 こんな時私はなんで何も出来ないんだろう、と考える。皆みたいに何かが出来るわけじゃない。何も持たないただの人だ。普通に生きていくのに差し支えのない知識しかない私が腹立たしい。
 何か武器を使えたら皆の役に立てたのかもしれない。
 何か人脈があれが皆の役に立てたのかもしれない。

 そんな事ばかりが頭に浮かんで消えていく。

 …匂い袋に願いを込めておこうかな。
 子供じみた発想だとは分かっていても、縋れるものには縋りたい。
 袖から白色の匂い袋を取り出して、両の手で握り、必死に尾形様が死なないようにと願いを込める。ここまで願いを込めて届かなかったら、私はもう見ず知らずの神を恨まずにはいられない。

「尾形様、匂い袋を交換しませんか?」
「同じ匂いだろ」
「私の方には色々願いを込めておきました!」

 胸を張って宣言すると、彼は揶揄うような笑みを浮かべ、呪いの間違いだろ。なんて軽口を叩く。
 そんな尾形様の言葉を無視して、尾形様の手を掴んで無理矢理匂い袋を握らせる。すると彼は外套の内袋から黒色の匂い袋を取り出し私の掌に置く。

「はい、確かに」

 私は何も持っていない普通の女だ。だからこそ異質で異常なのだろう。

 そして遂に時は来た。


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