拝啓、尾形百之助様。
春の花が咲き誇る役目を終え、夏の草木が芽吹き始めた頃ですね。
突然のお手紙驚くでしょうか?貴方は私と網走にて別れ離れになると、もう予想していたのでしょうか?
少なくとも私がこんな手紙を出すとは思わなかったと思います。
私だってこんなお手紙を書くなんて予想はしていなかったです。二人で何処までも、と思っておりました。
恨み言を書きたい訳でも、呪いの言葉を書き連ねるでもありません。ただ私の気持ちを伝えておきたいと思ったのです。薄々気が付いているかと思いますが、私は貴方の事が好きでした。
適当な性格に見えて律義なところや、貴方の笑った顔や勝ち誇った顔に私よりも大きくて硬い手…上げたらキリがありません。
勘違いしないで欲しいのは、一番近くにいた異性が尾形様だったからではありません。きっと何処にいても貴方に出会って尾形様に恋をしたと思います。
尾形様との生活は常に危険と隣合わせで、血を多く見てきました。こんな旅をしなければこんなにも死体を見る事はなかったのでしょう。でも後悔はしておりません。学校で習わなかったことを貴方は沢山教えてくれました。どれも私の財産です。
私は加賀の家に戻る運びとなりました。やはり尾形様が言っていた通り、女将さんは伯父と繋がっていたようで、あのお見合いの相手も全て伯父が決めていたようです。それなら尾形様がよかった。なんて言ってしまっては二人に失礼なんでしょうね。それでも私はそう思わずにはいられません。
尾形様…。この名前を呼び始めた頃、なんて偉そうな人だ。と何度も声に出しそうになりました。だからその腹癒せに貴方の嫌がる名前を呼んだのです。ご自身では気が付いていないと思いますが、この呼び方一つで眉間にシワが寄っていたんですよ。でも私が呼び慣れてしまった頃には、尾形様も呼ばれ慣れてしまい、なんの反応もしなくなりましたが、それはそれで良かったのです。私の命を助けてくれた恩人を様付けしないで、なんと呼べましょうか。この呼び方は私の感謝の気持ちでもあったのですよ。
これから先私は貴方の人生に登場しない女となってしまうのでしょうね。尾形様が信頼出来る女性を娶って、幸せな家庭を築くのだと思います。いや、そんな想像はするに難しいのですが。
私も恐らくこの後知らない殿方に嫁ぎます。そこで幸せな家庭を作り幸せなまま人生という幕を閉じるのだと思います。そうすれば、私と貴方との約束は成立しないまま終了となるのでしょう。
そうなれば、貴方は自由です。
尾形様には自由が似合います。ずっと私が尾形様を縛り付けていると思い過ごしていました。申し訳ない気持ちと嬉しさがあったなんて、尾形様は知らないでしょう?
ですが、自由までの時間はまだ何十年と先です。しっかり逞しく生きてください。
私も貴方との約束を果たす為に強く生きると誓いました。
……お手紙でしかこんなに素直に書けないなんて、情けない話しではあります。少し前まではもう少し素直に口に出来ていたと思うのですが、誰だかさんに似てしまったのでしょうね。
ですが、旅の途中にこの想いを伝えていたら、きっと貴方は私の目の前から逃げてしまう。そう思っていたので、もう二度と会えないであろうこれを機に、秘めた想いを伝えてみました。
さようなら愛しい人。
私はこれから貴方に貰った全てで強く生きます。だから尾形様も強かに生きてください。雪子
杉元さんに無理矢理持たせた手紙はちゃんと尾形様に届いたのだろうか。届いて欲しい。尾形様に私という存在を覚えていて欲しい。
私は鶴見中尉が見守る中、伯父の部下に連れられ海を渡り、鉄道に乗り継いで伯父の住まう屋敷に来た。久し振りに見た伯父は存外あまり変わってないように思う。
伯父は私の到着を心待ちにしていたのか、軍での仕事や華族としての仕事があったはずなのに、屋敷で待っていてくれ、私の顔を見ると笑みを浮かべ、労わってくれた。
「金塊を求めて男について行ったと聞いたよ。酷いことはされなかったかい?」
「お言葉ですが、私は金塊を求めたわけではありません。命を狙われ腕のいい用心棒を手に入れ、彼の旅に付き合っただけです」
「確かに尾形上等兵は狙撃の腕がいいと聞くな」
尾形様の名前が出た瞬間、心臓が嫌な音をたて不自然に動き、背中にはじっとりとした気持ちの悪い汗が流れた。
伯父は尾形様の存在を知っている。私が誰と一緒にいたのか、知っていたのだ。それは尾形様の命の手綱を握られているのと同じだ。
何処で漏れたのか、分からない。情報将校と言われている鶴見中尉からだろうか。
「雪子の母が使っていた屋敷を与える。好きに使え」
「寛大なお心に感謝致します」
伯父は私の頭を撫でると部屋から出ていった。そこで漸く私はこの部屋を見渡す余裕が出来た。元は武士の家系だと聞いていたのだが、存外西洋文化を取り入れているようで、私が腰掛けている椅子もそうだが、室内を照らす豪華な明かりと、真っ赤な絨毯。私の洋館と比べられないくらいにお金のかかっている室内。
侯爵ともなれば、気を使う所が増えるのね。
伯父の部下である男の案内の元、私は小樽に来る前まで母が使っていたという屋敷に案内された。屋敷の中には数名の女中がいて、皆暖かく迎え入れてくれた。
「雪子様。ようこそお越しくださいました」
「御姫様が出て行かれてからは、屋敷の中は冷たくなっておりましたが、雪子様が帰ってきて頂いたので、これからは華やかになる事でしょう」
帰ってきた…か。確かにこの家の女中からしてみれば、女主人が帰ってきた事になるのだろうが、私からすればここは牢獄に変わりない。もう、小樽には、北海道には帰れないのだと言う事実を、突き付けられているような気がした。
「雪子です。本日よりこの屋敷を伯父より任されました。よろしくお願いします」
女中頭のキヨさんが、疲れているだろうからとそうそうに部屋に案内してくれた。伯父の部下である男は屋敷には入れないようで、玄関先でお別れした。
伯父はとことん私と異性との接触を避けたいようだ。
なんて考えるくらいの余裕があったのは、部屋に案内されるまでだった。
「此方が雪子様のお部屋になります。何かありましたらこのキヨにお申し付けください」
「ありがとう、ございます…今日は部屋に一人にしてください」
母の屋敷に一切の洋物は置かれておらず、与えられた部屋も例に漏れなかった。
「ふ、ぁっ…、」
とめどなく涙が溢れ頬に伝う。もうあの人は何処にもいない。あの人が好んで座っていた窓際の壁に目を寄せても、歩兵銃を片手に胡座をかいて座る尾形様は何処にもいない。
足に力が入らなくなり、膝から床に崩れ落ちる。俯き声を殺し泣けば嗚咽が出てくる。どうしようもなく、涙が溢れ続け畳や袴に雫がぽたりと落ちて、色を変えていく。
「尾形っ…さまっ!」
どんなに名前を呼んでも、もう私の所には来てくれない。雪子。と私の名前を呼ぶ彼は何処にもいない。私の頭を撫でてくれる大きな手も、安心させてくれる温もりも、もう何処にもない。
胸が苦しい、息が出来ない。今までどうやって呼吸をしていたのかが分からないほどに。尾形様を失ってこんなにも絶望に陥るとは、出会った時には分からなかった。
上半身を折り畳み肘を畳につけ手首に額を乗せて、声を噛み殺して泣き続けた。
泣いて泣いて涙が枯れた頃には、頭の痛みで何も考えられない。
ぼんやりとした頭で窓際に擦り寄り、窓を開けた。窓から入る風が袖に仕舞っておいた匂い袋の匂いを舞いあげる。白檀の匂いにまた目頭が熱くなる。
好きです、好きなんです…どうしようもなく、尾形様を愛しているんです。
本当は手紙で伝えたくなかった。私の言葉で、愛を信じられないと言った貴方に直接言いたかった。この気持ちは変わらないと。
それこそ尾形様が納得するまで何度でも、例え声が枯れてでも言い聞かせたかった。
「好きなの…っ、ずっと…ずっと…っ!」
白檀の匂いが私に尾形様との思い出を甦らせる。一つ甦れば次々に思い出される。
初めて出会った時の事や、茨戸での出来事。初めて鹿の皮を剥いだ時の事、夕張での事や大雪山で鹿の中に入った時の事に釧路での偽アイヌ人の事や谷垣さんの変わりの人質となった私を見捨てずに迎えに来てくれた事。北見で都丹さんたちに襲われた事。二人で街で買い物した事や珍しく尾形様が甘えてきてくれた事。僅かな時間で何よりも濃い時間を二人過ごして来た。
思い出せば思い出す程涙が止まらない。もう、私には止める術がないのだ。尾形様と交換した黒色の匂い袋を握りして、横たわり目を閉じた。泣きすぎて座る事すら疲れた。
尾形様も私の匂い袋を持って思い出して欲しい。確かに繋がっていた、僅かすぎるあのひと時を。
数年後、私はとある豪商の跡取り息子の元に嫁ぐ事になった。伯父は私と尾形様が身体の関係を結んだのではないかと疑い、尾形様の子を宿しているのではないか。と疑いの目をかけていたが、月のものがくると伯父は大変喜び、家の為によく務めろ。と言った。
私の務めは加賀の家の更なる繁栄に尽力を尽くす事だ。
その為にこの数年間色んな勉強を叩き込まれた。裁縫や料理、女主人としての立ち振る舞い、女として必要な能力を叩き込まれた。
そして今日、私は初めて会う男に嫁ぐ。
「尾形様の嘘つき…やっぱりあの人は嘘つきの軍人さんだった」
何が自由に結婚出来る、よ。結局出来なかったじゃない。なんて軽口を胸の中で叩きながら、皆に祝われ屋敷を後にした。石川で商人として腕を奮っている男は、優しそうで私の事を大事にしてくれそうな人だった。
婚姻の儀を終え、私達は正式な夫婦としてこれからの生活を共にしていく。どんな事があっても私はこの人と共に苦難を乗り越えていく。そう覚悟してやってきた。だが、夜を共にする時、不意に尾形様が頭の中を過ってしまい、涙が一雫漏れてしまった。
「泣いているのかい?」
「はい、貴方が優しい方でよかったと、安心した涙です」
「雪子は可愛いな。大事にするよ、僕の奥さん」
奥さん。その言葉がまるで銃弾に撃たれたような衝撃を私に与える。
今日、私は好きでもない男の元に嫁ぎ、笑顔を貼り付けて生きていくことになった。綺麗な服を着て髪を飾り付け、常に笑顔でいる。そんなの人形で十分だと言ったあの時の私が、今の私を見たらどんな表情をするのだろうか。
人形に成り下がった私はただ、主人の愛を受け入れた。