「詐欺の容疑で殺された侯爵令嬢と北鎮部隊と呼ばれた第七師団にいた狙撃手の秘められた結ばれぬ恋。果たして本当の事実とは…!」
たまたまテレビをつけると明治時代にあった、あまり有名ではない人物にスポットを当てた歴史バラエティー番組がやっていた。
私は歴史に明るくないが、何故かその番組が面白そうだと感じ、本を読むBGM代わりに聞き流すことにした。
百之助さんはどっちかに集中しろというのだが、私はこっちの方が集中して読めるタイプの人間なんだから、そこは諦めてもらっている。
「雪子太い足が足冷えるぞ」
「あっ、ありがとう…って普通に失礼なんですけど?」
アスファルトに積もった雪が徐々に溶け、フキノトウがひょっこりと咲き始めた頃。北海道の春の始まりなのだが、空気は未だに冷たく、気温次第ではストーブが中々手放せない。高校で使っていたハーフパンツのジャージを部屋着代わりに履いていると、百之助さんが膝掛けを持ってきてくれた。
「お前俺の前なんだから身嗜み位整えとけ」
「着れるものは着潰すタイプなんです!」
「あれは形見だからとかって事じゃなかったのか…」
ソファに座る私を見下ろして百之助さんは独り言のように、小さく何かを口にしたが、それは私の耳にはあまり入らず、首を傾げるも百之助さんは私の頭を撫でて、ソファの隣に座った。
「百之助さんも膝掛け使います?」
「いらん。雪子が使ってろ」
「はーい」
百之助さんは垂れた前髪をかき揚げ、後ろに撫でつける。サイドはブロックを入れてトップだけ髪を残すという斬新すぎる髪型は職場でよく許されているな。と感心する。両頬の傷は大学の部活で出来た傷だと言っていたので、遊んで怪我した訳じゃないのは知っているが、髪型相まって相当な遊び人に見える。
「“彼女の母は加賀のお嬢様と呼ばれていました。そんな母が恋に落ちたのは小樽のニシン漁の漁師の息子でした。彼らは……”」
ソファの上で膝を立てて、文庫本を膝の上に乗せてページを捲る。金塊を巡るフィクション小説なのだが、中々に面白くてついついページを捲る指が素早く動く。
百之助さんは私が何かに集中している時は、基本的に放っておいてくれる。そういう所も好きだと思う。
そもそもこの男との始まりは何だったのだろうか。と意識を小説から逸らして記憶を手繰り寄せる。私の勤めている職場の取引先で、担当者が百之助さんで書類を直接渡しに行った時に初めて会ったんだよね。そこから食事に誘われるようになって、気が付けば同棲っと。その間1年も経ってないんだけど。
うん。訳が分からない。
「百之助さんって私の何処が好きなんです?」
「本読んでるんじゃねぇのかよ」
「うん、気になっちゃいまして」
文庫本に栞を挟み、ソファの前にある足の低いソファに文庫本を置いて、百之助さんの答えを待つ。彼は面倒だと目線で訴えてくるが、笑顔を作ってそれを弾き返すと、百之助さんは天井を仰いだ。
「面倒くせぇ…あー、何を食っても幸せそうに笑ってる所」
「食い意地張ってるって言いたいんですか?」
「ハッ、紛れもない事実だろ」
なんだと。そこまで食い意地張ってないつもりだったが、周りから見たら食い意地が張っているように見えたのか。と眉間に皺を寄せて首を傾げると、厭らしく笑う百之助さんの口元が目に付いた。
また揶揄われたんだ。と声を上げるよりも先に、百之助さんが私の好きな所をあげていく。
「押しに弱そうで意外と芯が強い所。向上心が強い所。その滑る肌も俺よりも小せぇ手も、抱き心地のいい身体も…」
「待って待って!分かりました!」
「あ?好きな所言われたいんだろ?」
「よく分かりましたから、その辺で勘弁してください。恥ずか死ぬ…」
普段、進んで好きなところなんて言ってくれないのに、なんで今日に限ってこんなに言ってくれるんだろうか。
「あの時の俺の気持ちがわかったかよ」
「何のことです?」
「甘ったれんな。自分で考えろ」
私の目を真っ暗闇の瞳が見つめる。その目は何かを訴えているが、私にはそれが上手く汲み取れない。百之助さんと何年も一緒にいるはずなのに。
「“こうして娘はアイヌの金塊を巡る奪い合いに身を投じることになったのです”」
百之助さんと見つめ合っていると、テレビの音が耳に入った。目線を逸らしてテレビを見詰めると、百之助さんもテレビの方に顔を向けた。
珍しい事は続くのかもしれない。
普段あんな状況で、視線を逸らしたら顎を掴まれて強制的に見つめ合わされるのに。
「アイヌの金塊って本当にあったんですね。都市伝説だとばかり思ってました」
「…都市伝説の方が良かっただろうぜ」
百之助さんの目はテレビを見ているようで、見ていない。どこか遠くの方を見ているような気がする。それが切なくて私を映してほしくて、両手で百之助さんの顔を挟んで、無理矢理私と向き合わせると、彼は驚いた猫のように目を細めた。
「何処見てるんですか?」
「テレビだろ」
「本当ですか?」
「嘘ついてなんの得があんだよ」
それもそうか。なんて単純に納得して、百之助さんの頬から手を離すも、彼が離れていく私の手首を掴んで、私の掌に唇を落として猫のように掌を舌で舐めた。
「ひゃっ」
舌先で舐められた私の手は存外あっさりと解放され、掴まれた手を庇うように自分の手で握り胸元に引き寄せる。勿論、悪びれのない顔をしている百之助さんを睨むのも忘れない。
「何するんですかっ!」
「今更舐められたくらいで、何言ってんだお前」
私よりも大きな手をした百之助さんの手が私に向かって伸びて、首の後ろに回り引き寄せられる。今にも唇がくっつきそうな近さだ。
これだけ近ければ当然、心臓だって早鐘のように鳴るわけで、身体中の体温が上昇して、頬が熱くなる。
「なぁ、名前を呼べよ」
「百之助さん…?」
「もっとだ」
「百之助さん」
珍しく名前を呼ぶよう催促され、求められたまま名前を呼ぶ。するとテレビの方からナレーターの声が聞こえた。
「“残っていた史料によると、娘は上等兵の苗字に様をつけて慕っていた。と一緒に旅をしていた日露の英雄が語っていたとの事だ”」
様付けで呼ぶって時代なのだろうか。とぼんやり頭を動かしながら、名前を呼ぶように催促してくる、目の前の男に向かって、1度も呼んだことのない呼び方をした。
「尾形様」
「…それはやめろ」
尾形様と呼ばれた百之助さんは、眉間に皺を寄せて私を見る。どうやらこの呼び方はお気に召さなかったようだ。
存外口にすると何故か馴染むこの呼び方に、馴染んだことに対する違和感があった。恐らく初めて呼ぶであろう呼び方なのに。
「“網走監獄で娘は自身の伯父に捕まり、その後2人は会えなくなってしまいました”」
視線と意識をテレビに向け、流れる映像をしっかりと見る。
画面の中の女は溢れる涙を拭っても拭っても、追いつかない程の涙を零している。
「“娘は豪商の男と結婚するも子宝に恵まれず、遂には夫が詐欺を働くようになったのです”」
スポットを当てられた娘は男運が無さすぎるだろ。なんて他人事のように視線だけをテレビに向けていたのだが、首に回っていた百之助さんの手は、いつの間には離れていて、隣に座る百之助さんもテレビを食い入るように見ていた。
その横顔は内容を小馬鹿にしつつも、1字1句逃さないとでも言うように集中している。百之助さんってそんなに歴史好きだったかな?なんて疑問に思う程だ。
当時の様子を再現しているドラマ映像が流れ始め、私達は声も出さずにその映像を見る。
娘の最期はなんとも呆気ないもので、夫を殺害する為に雇われた、刺客によって撃ち殺され、別荘は放火された。上等兵は娘を逃がそうと駆け付けるが、1歩遅く、娘は既に先立っていた。
「呆気ないですね」
「……そんなもんだろ」
どうしてか分からないけど、でも娘の最後に何故か違和感を感じる。
なんでこんな違和感を感じるんだろう。だって最期はあの人の手で…。
「あれ…?なんで…っ」
「雪子」
「違うんです、何でか分かんないけど…」
胸の奥にぽっかりと穴があいたような、喪失感のにも似ているが、穴があいている事に気が付いてしまったような。そんな感覚が感情を揺さぶる。
涙を1度流すと、次から次へと頬に熱い雫が伝う。
「雪子、今幸せか?」
「百之助さんと、一緒にいれてっ、幸せですよ」
百之助さんに抱き締められながら、つまることなくそう答えると、彼は心做しか嬉しそうに、ハハッと短く笑った。なんでそんな事を聞かれているのかも分からないし、どうしてこんなにも涙が零れるかも分からない。
「雪子、俺の名前呼べよ」
「百之助さん…百之助さん」
ふざけて呼んだ、“尾形様”よりも口に馴染むこの呼び方。今日の百之助さんはよく私に呼ばせたがっている。
私を抱き締める腕に力を入れ、更に密着する。額を肩口に乗せて、流れる涙をそのまま流し、百之助さんの洋服を濡らす。
「ずっとそう呼んで欲しかったんだぜ」
「呼んでるっ、じゃないですか…」
「そうだったな」
付き合うようになってから、初めに名前で呼ぶように言われてからずっと、私は百之助さんと呼んでいる。
胸の奥の何かが、私の感情を締め付け切なくさせる。彼が好んでつける白檀の匂いがそれを助長させるようで、涙が止まらない。
一定のリズムで頭を撫でられ、酸素の足りなくなった頭が思考を停止させる。
「寝ちまえ」
「…う、ん」
百之助さんに抱き締められたまま、意識を手放した。その時、珍しく夢を見た。女が男に膝枕をして笑い合っている夢だった。
その夢を見て、どうしてだか胸の奥にあいてしまった穴が僅かに塞がったような気がしたのだ。