空き家じゃないですお客様






 丘の上にある自宅と旅館往復するだけの日々を過ごしていたある日、女将さんから長期の休暇を頂いた。馘首になったのかと絶望したが、建物の改装をするからその間の休暇と言う事らしい。ただ、女将さんは凝り性だから改装もいつ終わるかがわからない。その間に何か違う職に就かないといけないかもしれない。と頭を悩ませながら私の私有地である丘を歩くと、まだ林の雪の解けていない道の上を無意識に歩いていたみたいで、随分と足が冷えてしまった。家に引き返そうと来た道を戻る途中、銃声が聞こえた。生まれて初めて銃声なんて耳にした瞬間近くの木に銃弾が被弾した。咄嗟にしゃがみ周りを見渡すも、誰も居なくて頭に浮かんだ二文字に心臓が早鐘のように動き出す。

 まさか、狙撃されている?!

 なんで私が狙撃なんかされなきゃいけないんだ。と頭の中が混乱しているが、それでも此処にいては危険だ。と状況を理解して身を低くして家の方に移動していると、また銃声が聞こえ、私の目の前の地面から砂が跳ね上がる。後ろで何かが被弾するのならまだ前に進めたかもしれないが、目の前に銃弾が飛んで来たら足が竦んで前に進めなくなってしまう。

 どうしよう。どうしたらいい?!
 どうしたら私は此処で死なないで生きていける?!

 成す術なく私は腕で頭を抱え身を更に低くすると、銃声が聞こえたが私に銃弾が被弾することはなかった。たまたま外れただけかもしれない。今の内に此処から去らなければ、と頭を上げると誰かが近づいて来る足音が聞こえてきた。
 どうしよう。今度こそ死ぬかもしれない。まだ死にたくない。
 駆け出したのは死という恐怖から逃げる為の私の本能だった。短く息を吐き出しながら必死に家に向かって走り出す。開けたところに行けば更に逃げやすくなる。そう思って形振り構わず走っていると、木陰から影が出てきてその影が私を抱え込む。口元に掌があてがわれて声を出してもくぐもってしまう。身体に巻き付く腕を振る払おうと暴れるも、更に力強く押さえつけられる。
 殺される。この人が私に向かって狙撃してた人だ…!

「んん…!!ふんっ!」
「落ち着け俺だ。暴れんな」
「……ん?」

 聞き覚えがあるその声に暴れまわっていた心臓が僅かに落ち着く。だけど、私の心を身体を恐怖が未だに支配している。この人が私を狙撃していたんじゃないか。と身体が震える。名無さんが私を殺しに来たんじゃないだろうか。私があの時、旅館に来た軍人さんを上手く躱せなくて、バレてしまってその腹いせに殺しに来たんじゃないか。そんな想像が頭の中を駆け巡ってこびりつく。

「敵の数はわかるか?」

 敵の数って…?名無さんは私の事を殺しに来たわけじゃないの?

 名無さんの質問に首を横に振ると、舌打ちをされてからやっと口元を覆っていた掌が離れていった。名無さんは木の幹に背中を預けて辺りの様子を歩兵銃を構えながら伺っている。私は名無さんにさっき足音が近づいて来てた。と伝えると名無さんは、私の二の腕を掴み場所を移動する。その時、また銃声が聞こえて恐怖で足が竦む。それでも名無さんは私を引きずるようにして移動していく。開けた場所を目指していた私とは真逆の林の中の方に歩いていく名無さんに黙って従い、縺れる足を叱咤しながら付いて行くと、大きな岩が見え、名無さんはそれに上り、銃声を鳴らす。岩から降りてきた名無さんは垂れていた自身の前髪一房を掻き上げて私を見下す。

「…ありがとう、ございます」

 無言で私を置いて何処かに行こうとするので、それを咄嗟に引き留める。命を救ってくださりありがとうございます。とか、私を一人にしないで下さいとか、言いたい事は色々あったけど、でもそんな事よりも未だに震える体が名無さんの外套を掴んだまま硬直してしまっている。名無さんはそんな私を見て溜息を吐き、また二の腕を掴み移動する。途中辺りを警戒しながら開けたところまで行くと、今まで歩いていた名無さんは走り出す。そしてすぐ近くにあった洋館の玄関を勝手に開けて入る。

「はぁ…っ、はぁ…」
「もう大丈夫だろ」
「…はぁっ、あの、なんで私狙われたんでしょうか」
「知るか」

 肩で息をしながら疑問に思っていた事を名無さんに聞くと、一刀両断された。まぁ、そうだよね。と肩を落とし改めてお礼を言って何かお礼をしようと、取り敢えず家に上がってもらう事にした。

「おい、此処は…」
「私の家ですよ。お客様」
「は?此処がか?」
「はい」

 紛う事なく此処は私の家だ。名無さんは私の言葉に溜息を吐いて、ひどく小さな声で、良家のお嬢ちゃんか。と呟きそれが私の耳に入ったが、聞こえないふりをして、見晴らしのいい場所に案内した。そこは窓から海が見え、丘の上に建つこの家からはずっと遠くまで海が広がっているように見えるのだ。名無さんは案内された椅子に座り窓の外を眺め、私は勝手場に行きお茶の用意をして、名無さんのいる所に戻った。湯呑を名無さんの前に置いて、窓の外を見ると、丁度群来の時期で白波が浜辺に打ちつけている。

「鰊がやって来ましたね」
「…らしいな」
「名無さんは、北海道の産まれですか?」

 名無さんにそう聞くと、彼は垂れた前髪を掻き上げ撫でつけながら、気怠そうな視線を私に寄こして、やめろ。と言ってきた。

「えっと…」
「俺の名前は名無じゃない。知ってるだろ」
「直接教えてもらったわけじゃなかったので」
「はぁ…尾形だ。尾形百之助だ」

 尾形百之助さん。何回か口の中で尾形さんと呟き、本人に向かって尾形さん、と話しかけると、彼はフンと鼻で笑って踏ん反りかえる。なんだその子供っぽい仕草は。と白い目で見ていると、尾形さんは口の端を緩く上げて厭らしく笑う。

「俺はあんたの命を助けてやったんだが?」

 つまり命の恩人に向かって、“さん”付けで呼ぶのか?と言っているんだろうか?嫌味ったらしく“様”付けで呼んであげようか、と思い尾形様と呼ぶと、彼は酷くつまらない顔をして窓の外を見た。その表情は何故だか珍しく感じ、これからは尾形様と呼んでやろうと決めた。

「お前の産まれは北海道なのか?」
「雪子です。私はお前って名前じゃないです」

 尾形様は無言で私を見つめるだけだ。どうやら私の事は名前で呼ぶつもりはないらしい。さっき私の事を良家のお嬢ちゃんと分析していた辺り、裕福な人はあまり好ましくないのかもしれない。
 …私の暮らしは決して裕福とは言えないのだが。

「…生まれも育ちも小樽です」

 無言のまま私を見ていた尾形さんの質問に折角答えたというのに、彼は興味なさげにまた窓の外に視線を向ける。それにつられ私も窓の外に広がる海を見て、ある浜歌を口ずさむ。この時期になれば父がこの窓に立ってよく歌っていた浜歌で、亡くなった後も母と二人で歌ったものだ。

「鰊来たかと鴎に問えば、わたしゃ発つ鳥波に聞けチョイ」
「お前なんでそんな歌を知っている」
「父が歌っていたので覚えたんです。父の親戚は鰊漁をやっておりますので」

 鰊漁をやる時に漁師さんが眠気に襲われて冷たい海に落ちないように、と漁に出た漁師が一斉にこの歌を歌うと聞いた事があるが、普段は海とは逆の山の方に行く為、ちゃんとこの浜歌を聞いたことがない。親戚は祝津で漁をしている為出掛けるにしてもこの家からだと少しばかり遠い。
 浜歌を口ずさんでいると、尾形様がさっきの出来事について気になる事があったのか、お茶を飲みながら幾つか質問してきた。

「狙われる理由はどうせわからんだろ、今迄と変わった事は?」
「…勤め先の旅館が改装で暫く営業中止する事になった事しか」
「一介の仲居がこの家を維持できるだけの給金を貰えてるとは思えんが」

 確かに仲居の給料は相場的に高くはないだろう。ましてやあの旅館は知る人ぞ知る旅館で、客入りだって日によって多かったり少なかったりする。いや、どちらかと言えば客入りは少ない方だろう。なのに割を多めに給金が支払われる。私はそれを尾形様に伝えると、無表情のまま何かを考え出した。私はてっきり女将さんがやり手何だろうと思っていたが、尾形様はそうは思っていないようで。キナ臭いな。と言って更に質問を重ねた。

「お前が死んだらこの家はどうなる」
「此処は両親が建てた家なので、何とも言えませんがどちらかの親戚のものになります」

 この家は私一人で住むには、あまりにも広すぎるのだ。祝津の鰊御殿に引けを取らない華やかさを誇るこの洋館は、祝津に住む父の従妹が遊びに来た時に、綺麗だとはしゃぎ、気に入っていたようだったと言っていた。母方の伯父が遊びに来た時は、よくこの洋館を誉めていた記憶がある。だから誰のモノでもなくなったらどちらの家も欲しがるのではないだろうか。幾つかある別荘の一つと言う事で。

「成程。この家が目当てってわけではないらしい」
「というと?」
「あの狙撃はお前の命を狙ったわけじゃない。お前を生け捕りにするつもりだったんだろうぜ」

 なんでそんな…なんで…。私を生け捕りにした所で何になると言うんだろうか。だけど母はよく伯父と私の名前を出して怒鳴りあっていた思い出がある。これと今回の件は関係ないのだろうから、尾形様にも言わなくていいだろう。

「お嬢ちゃんは何の価値がある?」
「価値は他人が決めるものですので、私にはなんとも」
「つまり思いたる節がないと言う事かい」

 まぁ、そういう事だ。否定はしない。尾形様は立ち上がりこの部屋を後にしようと歩き出す。用がなくなったから出ていくという事なんだろうが、命じゃなくて身体が狙われているとわかっている今、正直一人でいるのは怖い。旅館に行けば女将さんがいるけど、今は建物を改装している為旅館に行っても誰もいない。

 頼れるのは尾形様しかいない。

「行かないで、ください…」
「嫌なこった」


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