山猫を飼います






 尾形様は私のお願いを調子よく、しかも即答で断った。もう少しくらい考える余地があってもいいと思うのだが。尾形様はそういう性格の人じゃないのは会話をしていて何となく分かってきた。

「どうしてもですか?」
「ガキのお守りはしたくねぇんでね」
「ガキって…!」

 私は既に婚期適齢期なのになんで、そんな事を言われなきゃいけない。尾形様を見上げつつも睨むと、尾形様は垂れた前髪を掻き上げ撫で付け鼻で笑う。

「銃からの逃げ方も知らねぇお嬢ちゃんはガキで十分だ」

 銃で狙われるのが初めてなんだから、知らないのも当たり前じゃないか。貴方達軍人さんみたいに日々鍛えているわけじゃないんだから。
 尾形様は意地悪なことを言って、私が傷つき引き止めるのを諦めさせようという腹つもりなのだろう。その手には乗ってやるもんか。と息を巻いて尾形様を包む外套を掴む手に力を入れる。

「一緒にいてくださいっ!」
「嫌なこった」
「……っ!なんでそんなに意地悪なんですか!」

 少しくらい考える素振りをしたくれたっていいじゃないか。いや、素振りを見せた後に断られても嫌なわけなんだが。
 今は昼間だからいいけど、これが夜になって一人になったところに、さっきの人達がやって来たら…と考えるだけで怖くなる。

「あの人達がここに来たら私…」
「来ねぇよ」
「へ?」
「来ねぇよ。俺が殺ったからな」

 やった…?やったって何?殺したって事?当然と言うように私を見下しながらいう尾形様に向かって首を傾げると、彼は露骨に嫌な顔をして舌打ちをした。美味しいとか態度に出さない癖に、こういう時ばかり態度に出すのはどうかと思う。なんて素直に言えたら楽なんだろうが、今はそんな事を言ってる場合じゃない。

「殺したんですか…」
「あぁ」
「私、どこから狙われるかも分からなかったのに」
「一般人と軍人を比べる方が間違ってるぜ」

 確かに、この人は軍人さんなのだから、敵を撃つのは簡単なのかもしない。だけど、人を殺す事はそんなにも簡単なものなのだろうか。
 …そんなに簡単なわけがない。初めて人を殺したその時は絶対に心が傷ついた筈だ。私の想像が及ばないくらいに、罪悪感に塗れてる筈だ。じゃないとこの世の中は犯罪者塗れになってしまう。

「…私、これから先も狙われる可能性があるのでしょうか」
「ないとは言いきれない」

 もし、私を捕まえたい人がいるとしたら、父方の親戚か、母方の実家のどちらかだ。理由は分からないが、あの家の人達はこの家に来た時に、私を値踏みするような目で見ていた。今は年に一回か二回くらいしか会いに来ないが、その度に何か探るような目で私を観察していく。その視線が嫌で旅館の仕事を増やしてもらったのだが。

 尾形様は何を提示したら、私の傍にいてくれる?私は何を差し出したら、外套を掴んでる手を離しても、何処にも行かないでくれるだろうか。
 私にはなんの価値もない、と思う。私は何も持ってない。差し出せるものなんて…何もない。

 何も無い私に何が出来るのだろうか?

「尾形様しか、頼れる人がいません…でもそれは私の都合で我儘です」

 そうだ。私の勝手な都合で我儘でこの人を振り回しては行けない。この人にはこの人のやる事がある。

「今すぐ何かを支払えるものはありません…だから出世払いします!!」
「は?」
「尾形様の都合に合わせます!何処にでも付いていきます!礼金は出世払いします!だから守ってください!!」

 何もない私に出来ることは、未来の私に託し、出世払いが出来るように成長する事だけだ。尾形様の役に立てる様に強い女に成長する事だけ。

 尾形様は私の言葉を聞くと一瞬だけ放心し、その後すぐに笑い出した。顔を天井に向け、左手の掌が目を覆いかぶせ、肩を大きく震わせ笑っている。
 ダメだったかな。出世できないって、成長出来ないって思われてるのかな。

「はははッ…はぁ、笑った」
「ダメですか…?」
「俺の根気負けだ」

 その言葉を聞いて、暗くなっていた視界が急に光をさして明るくなる。これで私は狙われても大丈夫。守ってくれる人がいる。それだけでこんなにも安心できるのか、と、どうしようもない安心感から力が抜ける。
 尾形様はそんな私を差し置いて、移動するから準備しろと突然言い出した。何処にでも付いていくとは言ったが、こんな急にどこかに行くなんて事あるだろうか。大体どこに行くかも聞いてないし、どのくらいの期間がかかるのかも聞いてない。

「何処へどのくらいでしょうか?」
「茨戸へ、期間は知らん」
「…私は此処の女主人です…少し時間をください」

 この家を長期間空けるなら、使用人を雇わなければならない。給金はそんなに出してやれないが、両親が残してくれたものと、今まで貯めてたものを合わせたら一年近く分位にはなるだろう。母のお付きの人は確かまだ小樽にいたはずだ。住所は確か…この家からそう遠くない筈だ。
 今更この家の事を託したいなんて言ったら、虫のいいこと言うなと怒られるだろうか。いや、行って聞いて見なきゃ分からない。

「出掛けます。ついてきてください」
「ほぉ、初仕事か」
「…出世払いはちゃんとしますから!」

 父と母が一番信頼を置いていたお婆さんの家に行く。両親が信頼していた人なら私も信頼出来る。五月とはいえまだ少し寒いから二重回しを羽織りお金の入った袋を入れて出かける準備を済ませる。

「行きましょう」

 元お付きの人の家を目指して、家を出て早々に不安にかられる。尾形様は私の遥か後ろを歩いてついてくるからだ。私は隣に並んでくれるものだと思っていたばかりに、この距離感に不安を覚える。ちらちらと後ろを見るも、尾形様は前を向けと手を振ってくるだけで、近づいては来ない。このままどさくさに紛れていなくなってしまうんじゃないかと、不安になるが、尾形様はそんな事はしない人の筈だ…!と頭を振って前に進む。

 丘を下り、暫く歩き勤め先の旅館も過ぎて更に先に行く。旅館の方には落ち着いてからお手紙を書こう。どうして尾形様について行くことになったかは書けないけれども、改装終了する迄にはまた、小樽に帰りますと。

「此処だ」

 海辺に近いこの住宅に目当ての人が住んでるはずなんだが、果たしているだろうか。玄関先に立ち、後ろを振り返り尾形様の存在を確認すると、自分の歩きやすい速度で私に向かって歩いてくる。走ろうとかせめて早歩きしようとか、そういう気概を一切感じない。
 私の斜め後ろに立った事を確認し、家の中の人に向かって声をかける。すると聞き慣れた声が家の中から聞え、思わず後ろに立つ尾形様に向かって微笑んでしまった。

「どちら様…お嬢様っ!」
「お久し振りです。突然の訪問申し訳御座いません」
「いえっとんでも御座いません!どうしましょう、家に何ももてなす物が御座いませんの」

 もてなしの必要は無いと伝え、私は彼女の家に上がり込んだ。元お付のお婆さんは私が覚えている頃よりも、更に歳を召したようで、もう一度働いて欲しいと言うのは忍びなかった。

「お嬢様、本日はどのような件で?」

 元お付の千代さんは、尾形様の存在が気になるのか、部屋に案内してくれる間に、何度か見た。
 日当たりのいい部屋に案内してくれて、促されるまま対面式で四つある内の一つの椅子に腰をかけると、尾形様は私の後ろに立ったままで、千代さんがお茶を淹れている隙に、隣に座らないのか。と小声で聞くも、此処に来る時と同じく、前を向けと手を振るだけで、隣には座ってくれなかった。

「粗茶ですが」

 ゆったりとした動作でテーブルの上に湯呑みを置いて、千代さんは私の向き合うようにして椅子に座る。それを見て、私は緊張しながらも、口を開いた。

「千代さん、今更こんな事を言うの失礼なのは百も承知なのですが…もう一度家に奉公して頂けないでしょうか」

 頭を下げながらお願いをした。千代さんが今どんな表情をしているのか、分かるのは後ろに立っている尾形様だけだ。
 次に頭をあげるのは千代さんの返事を聞いてからだ。より良い返事がほしい。図々しいお願いだって分かってるけど、どうか…と願ってしまうのが人間の心理なのではないだろうか。

「お嬢様はあのお屋敷を空けるので御座いますか?」
「はい…所用でいつ帰って来れるか分からないの」
「……わかりました。お顔をお上げください」

 千代さんのその言葉に私は勢いよく顔を上げた。すると千代さんははしたないですよ。とすかさず注意をしてきた。これは良い返事だと受け取ってもいいのだろうか。

「奉公しに来てくれるの…?」
「えぇ。他でもない雪子お嬢様の頼みですもの」
「ありがとう!千代さん!」

 ただ、千代さんは歳だから娘さんに来てもらう事になり、私は初めましてなので挨拶をしたかったが、今日は出掛けていないとの事で、持ってきた一年分の給金を千代さんに渡して、頼んだともう一度頭を下げると、千代さんも深々と頭を下げた。

「もう一度、雪子お嬢様のお役に立てるなんて、嬉しゅうございます」
「大袈裟よ」

 千代さんは母が実家から連れてきた人だと聞いている。もしかしたら内地に帰ってしまっていたかもと思ったが、まだ小樽にいてくれて、しかもこんな唐突な話を受け入れてくれるだなんて。今日は身柄を狙われたりしたが、尾形様といい千代さんといい、良いことの方が圧倒的に多い。

 私が顔を緩ませていると、千代さんはゆっくりとした口調で確認してきた。

「雪子お嬢様…そちらの方と行かれるのでしょうか」
「えぇ、そうよ」
「口出しをしてしまうのは老人の悪い癖にございます…貴方は高貴なる方です。どうか間違いはないように」

 千代さんは私を注意しているようで、視線は尾形様の方に向けていた。尾形様に牽制しているのだ。私に手を出すなと。私に流れる血は高貴だからと、千代さんは家に奉公している時から言っていた。父と母が結婚した時もあまりよく思っていなかったみたいと言っていたのは、誰だっただろうか。
 私はただの小娘だ。誰にも縛られることのない、自由に生きるただの人間だ。


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