私を攫って何処までも






 向こう脛の真ん中位までの女袴を身に纏い、着物は地味な色合いにした。編み込みの洋靴を履いて、髪型はおさげにしてみた。両肩から下げる胴乱の中には、布を数枚と襷を数本にマッチ箱一箱、それに提灯を畳んで入れ、箸と深い容器も入れて置いた。昨夜尾形様に見てもらった懐刀は脇に差し、それらを隠すように上から二重まわしを羽織る。最後に胸元に挟んだ掌よりも小さい木箱があるかを確認して、外に出て後ろに付いてくる尾形様の方に振り返り、全身を見せる。

「似合いますか?」
「普通だな。可もなく不可もなくでこれと言って言うことがない」
「なんですかそれー」

 溜息を吐きつつ、尾形様に近寄り彼が羽織っている外套を掴み、提案をする。

「約束をしませんか?」
「…どんな」
「昨日言いましたよね?守りきれない時は、尾形様が私を殺してくださいって」
「そうだな」

 口約束よりもちゃんとした約束。私たちの間にはそれが必要だと思った。
 遊女が行っていたという、男女の約束の手段。それが私達みたいな一般人にも広がり、子供達なんかはよく、この約束する為の行為を楽しそうに笑って行っている。

 私が尾形様に右手の小指を差し出すと、尾形様は溜息を吐き、同じく右手の小指を差し出した。それを絡ませ、上下にゆっくり揺らしながら、歌に乗せて契約を交わす。

「指切りげんまん、嘘ついたら…尾形様を呪い殺すっ!指切った!」
「おい待て。なんだ呪い殺すって」

 絡ませた小指を離そうとすると、尾形様はすかさず私の小指を、自身の小指で巻き付け動きを阻止した。その表情は不愉快そうで、普段無表情の分見ていて大変面白かったが、ここでそれを伝えると、絡められている私の小指が更に痛い目に遭いそうなので黙る事にした。

「私死んだら針千本誰が尾形様に飲ますんです?」
「だから呪い殺すに変わったのか」
「呪いって死んだ後の私でも出来そうでしょう」

 そんな未来は来ないで欲しいが、いつか来てしまうかもしれない未来だ。どうかその未来だけは急ぎ足で来ないで。と願う事ばかりだ。

「行きましょう!茨戸に!」

 右手を握って空に向かって突き出すと、尾形様がやかましいと言った。
 二人並んで歩き続けると、次第に景色が変わり始めた。街中から次第に人の通りが少なくなり、そんな道を随分歩いた後に山道に入って森の中を歩いていると、尾形様は突然銃を構え始め、辺りに一発の銃声を響かせる。何かいたのだろうか。と尾形様を見るが、彼は銃を発射した方に歩いて行ったので、私もその後に続くと、鹿が血を流して横たわっていた。

「毛皮を捌くぞ」
「えっ、え?」
「お前がやるんだ」

 そんな事を突然言われても、毛皮の捌き方なんて知らない。と、戸惑っていると、尾形様は軍刀を取り出して私に握らせた。そして私が逃げないように、もう片方の手で抱き締めている。
 こんな状況でなければ、心臓が高鳴り頬が紅くなるが、この状況では心臓が嫌な音を立て、顔面が青くなるばかりだ。

「これが出来なきゃ生きてけないぞ」
「…っひぇ、」

 横たわる鹿の首元に近づき座る。尾形様は軍刀を首の付け根辺りに持っていき、そこにゆっくり刀身を沈めていく。人の皮よりも厚い皮を破る感覚が銃剣越しに伝わり息を呑む。次いで肉を割く感覚が伝わ銃剣を入れた箇所からは、真っ赤な鮮血が溢れてくる。そんな事は構わないと尾形様は銃剣を差し込んだ場所から、傷口を広げていく。

「うっ…」
「吐くなよ」
「…は、い」

 ついさっきまで生きていた鹿はまだ熱を持っていて、それが生々しい。傷口を広げる程鮮血が溢れ、鹿の毛を通り抜けて地面に落ちていく。
 尾形様は鹿の前足を持ち上げると、私にこう言った。

「首の付け根から腹を通して後ろ足まで、肉を傷付けないように切れ」
「…っはい」

 だからさっき首の付け根に銃剣を入れた時、嫌にゆっくりだったのか。私に皮を切る感覚を味あわせる為に。
 私は銃剣をしっかり握って、ゆっくりと鹿の皮に刃を入れる。ぶつりとした皮を割く感覚が背筋を走る。生々しい感覚に涙を零すが、慰めの言葉は与えられない。
 やるしかないのだ。
 銃剣で皮を裂く度に、なんとも言えない嫌な感覚が私の背筋や腕を駆け巡るが、それをぐっと堪えて言われた通りに、皮を切ると、今度は後ろ足の付け根と首元、それに前足の蹄の少し上の所を一周するように切れ。と言われたのでその通りにすると、尾形様が鹿の後ろ足を持ち立ち上がった。

「今度は皮を上から下に剥がしていけ」
「はい…っ」

 肉と皮の間に銃剣を差し込み、丁寧に剥がして行く。皮の裏側に少しばかりの肉が所々に付きながらも、鹿の皮を剥がす事が出来た。罪悪感と達成感に脱力していると、尾形様が銃剣を仕舞い、皮を持って移動し始めた。

「尾形様…?」
「川に行くぞ」

 あの肉はいいのかと聞くと、置いておけと言われた。どうやら目当ては鹿の皮だけだったようで、それ以外は要らないらしい。
 川のせせらぎが聞こえ、音の方に足を進めた。川に近づき真っ先に私は手を洗った。鹿の血の匂いが手にこびりついてしまう前に。と忙しなく手を洗ったが、皮と肉を割く感覚が掌からは取れなかった。皮を水で洗い付着してしまった肉を出来る限り削いで、私達は山をおりた。
 皮を売り、現金に変えてお蕎麦屋さんで食事をとり、また少し移動して暗くなったので、野宿する事にした。

 焚き火に木をくべらせ燃え続けるようにする。今日は満月とはいかず、月がかけているが、それでも十分に明るい。だが気温はまだ寒く、焚き火がないと凍えてしまう程だ。それでも眠いものは眠い。初めての長距離移動。初めての皮剥。初めての野宿。何もかも新鮮でそれを加味してめている時間も余裕も、今の私にはない。今日の疲れがきている。

「眠いなら寝ろ」
「でも…尾形様は、寝てないです」
「いいから寝ろ。明日に響くぞ」

 色んな葉っぱを敷き詰めて、簡易的な絨毯を作ってその上に寝そべると、直ぐに眠気が私の意識を攫っていく。尾形様は無言のままで、おやすみ、も何も言ってくれはしなかった。

 二人なのに一人みたいだ。

 それからどのくらい寝たのだろうか?パチッと言う、木の焼ける音がしたと思い、硬い地面に寝そべっていた体が痛みを感じ始める。

 あぁ、今尾形様と一緒に旅を…。

「おはようございます…」
「ん、起きたか」

 私が体を起こした時に見えた尾形様は、丸太の上に腰をかけ、揺れる火をただその真っ暗闇の瞳で見ていた。不寝番をさせてしまったのだろうか。と尾形様の顔を見てると、鬱陶しそうな表情で見られてしまい、ごめんなさい。と謝って視線を空に向ける。太陽はもう登っているようで、青空が綺麗だ。

「準備しろ。行くぞ」
「はい!」

 道中何体か鹿を倒しては皮を剥ぎ、現金に変える。私はと言うと、まだ血の匂いには慣れないが、数体こなせば掌に伝わる感覚にも慣れるもので、最初程抵抗なく出来るようになった。それでも肉を一緒に削いでしまう事もあり、その辺はまだ練習が必要だ。

「そう言えば、尾形様の髪邪魔じゃないんですか?」

 尾形様は時折、前に垂れてきた前髪をかき上げては周りの髪と馴染むように撫で付けている。そんな作業をするくらいなら切ってしまえばいいのに。なんて気持ちで言うと、丁度進行方向に理髪店があり、そこからご老人二人が出てきた。

「…行ってくるか」
「私は毛皮をお金に変えてきちゃいますね」

 終わったら山本理髪店に行きます。と言って私達は別々の行動を取った。そして何故か、尾形様の外套を預かった。
 初めて一人で値段交渉をしなければならないのだが、大丈夫だろうか…?と不安に駆られつつもお店を探して、中に入り店主と値段交渉をする。
 結果は惨敗とは行かなくとも、まぁ、安いお金になってしまった。尾形様がやるともう少し高いお金に替えてくれるのだが…。

 やっぱり皮剥の技術を上げないと、ダメか。さっきの店主も肉が少し残っていると言っていたし。次は頑張ろう。と気合を入れて、山本理髪店を目指して歩く。すると店先に複数の制服を着た人と、法被を着た男達が立っていて、何事かと中を覗こうにも、野次馬で店の中が見えない。

「尾形様何かやったのかな?」

 私の予想は当たったようで、顎から血を流している男の人の髪を、容赦なく鷲掴んでいる尾形様が店の中から出て来て、横目で何かを見つけたのか、口の端を上げて挑戦的に微かに笑った。
 そして何を思ったのか、尾形様は歩兵銃を構えどこかに向かって撃った。それは櫓の鐘にあたり、甲高い音を鳴らす。そしてもう一発鐘にあてて、また甲高い音を鳴らす。

 え…っ?何、何があったの?

 呆然と尾形様を見てると、彼は私の後ろの方を見て、ははッ。と笑う。馬面の男性に先生と呼ばれている尾形様は私に気が付くと、口を動かした。

「来い」

 たった一言だけ。それだけで私を動かすには十分で、弾かれるように私は飛び出し尾形様の後ろについた。
 そして、ふと気づく。尾形様の髪型が別れる前となんら変わってない事を。
 変わってないですよね。と言いたいが、もしかしら変わっているのかもしれないとずっと尾形様を観察しているが、何一つ変わった所を探せない。

「鬱陶しい」
「尾形様こっち向いてください」

 尾形様は僅かに後を歩いている私の方を振り返るが、正面も何一つとして変わった所が分からない。
 これはもう言ってしまってもいいんじゃないだろうか。

「何処も変わってないですよね」
「さっぱりしただろ」
「……そうですか」

 尾形様は垂れる前髪をかきあげ、押さえつけるように撫でる。
 本人がそれでいいと思っているなら、私からは何も言えないが、私はその前髪が鬱陶しくはないのかと思い、サッパリさせればいいと理髪店を勧めたのに、これじゃなんの為に尾形様が理髪店に行ったのかが分からない。

 それに尾形様が未だに髪を鷲掴んでいる、スーツに蝶ネクタイの男の人や、馬面の男の人の事も分からない。

 私がいなかった数分に何があったというのだ。


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