渦巻く欲望と野望






 顎から血を流している男性は、署長らしく、尾形様はその人の頭部を鷲掴み、何やら脅していて、取り敢えず手に持っている尾形様の外套を渡してしまおうと、声をかけると尾形様は私に無慈悲な事を言う。

「此奴から刺青の情報を吐かせておけ」

 刺青とは何ぞや。くりからもんもん関係だったら私は関わり合いたくはない。が、そんな事を言った所で、私は尾形様に着いて行くと言ってしまった身だ。

「あの、血が出てると可哀想なので、コレを…」

 小袖の中から布を取り出し、背広を着て顎から血を流す男性に向かって、差し出すと、男は私の方を一瞥し更に顔色を悪くさせる。

「え?」
「そのケツアゴ、ぐるっとケツまで切り割いて全身ケツにしてやろうか?」
「意味がわかりません」
「刺青について知ってる事を全部話せ、ケツ署長」

 私の後にいた尾形様を見て、顎から血を流している署長は顔を青くさせたのか。それにしても刺青とはなんの事だろうか。ヤクザとか堅気の人じゃない人がしてるやつの事だろうか。とかは聞ける雰囲気でもなく、私は黙って署長の顎に布をあてた。

「大抵のニシン番屋は大量の売上金を保管してて…」

 と語り出したのは、馬面の男性だった。話を掻い摘むと、自分は元々日泥さんの右腕だったけど、日泥さんは賭場を自身の息子に譲ってしまって怒って出て行き、小競り合いに迄発展した。それに署長が馬面の男の人に肩入れしたと。そして、尾形様が求めている刺青はその日泥さんたちが持っていると。

「なんとか刺青の皮を引っ張り出す為に、日泥の妾を攫おうと思ったんですが、攫った所で、あそこは女将が実権を握っているので、親方が持ち出してくれるかどうか」

 妾さんを攫うって…正妻より妾さんの方に情が移ってるって事なのかな?どっちにしろ、この人達の考えてる事は理解出来ないし、男性の性とは分かっていても、自分の旦那さんが自分以外の人に現を抜かすなんて、考えたくない。

「妾の家に案内しろ」

 その一言で、私たちは日泥さんのお妾さんの家に移動する事となった。

「ひゃぁ…っ!!!」

 家の中には男の人の死体が数体転がっていて、初めて人の死体というものを見てその悲惨な光景に、血溜まりから発せられる匂いに全てに逸らしたくなる。何故私は尾形様の背中から、家の中を覗いてしまったのだろうか。
 力の抜けそうな私の体を支えたのは、意外にも尾形様で、乱雑ではあるが、足の力が抜けた私の二の腕を持ち上げ立たせてくれる。

「ここにいても邪魔だ。外で待ってろ」
「……は、い」

 気分が悪くなって、覚束無い足で外に出て、家の壁に背を預けそのまま座り込む。中からは仲間割れしたのか、や日泥が攻めてくるかも。と声が聞こえた。
 なんでこの人達は人の死体を見ても平気なんだと、言いたくなるが、この場合異質なのは私なのだろう。
 尾形様含め、ここにいる人達は死体を見るのは初めてでもなければ、珍しいものでもない。だから平然としていられる。

 住む世界が違うとは正にこういう事を言うのだろうな。

 ふとそんな事を思った。

「雪子」

 部屋の中の物色をし終えたのか、馬面さん達が家の中から出て来て、日泥さんを迎え撃つ為の準備をする為にと、本陣である旅館に向かうらしい。
 尾形様はと言うと、壁に背を預けてへたり込む私の横にしゃがみ、とある指示を出す。

「番屋に向かって、発砲音がした五分後にニシン番屋に向かって火をつけろ」
「っ!それ!」
「わかったな」

 有無を言わせぬ尾形様の雰囲気に、背筋が凍る。私を見る尾形様の目に温度なんかなく、あるのは冷たい凍てつく真っ暗闇の目だけだった。

 私は頷き、それを確認した尾形様は私に懐中時計を渡す。時計の見方は分かるし、よく燃える木材も、マッチも持っている。後はやる勇気を持って、罪悪感を殺すだけだ。

 立ちがあって先ずは白樺の皮を手に入れようと、適当な森の中に入る。白樺の木は割と何処にでも自生していて、探す手間が省ける。
 脇に刺した懐刀で白樺の皮を削り、ちょっとした棒の様なものを作る。それを二重まわしの影に隠しながら、ニシン番屋に向かう。道中誰とも会わなかったから皆どこかに行っているのだろう。
 後は銃声が聞こえるのを待つだけだと、ニシン番屋の前の通りを歩いていると、一発の発砲音が聞こえた。これが尾形様の言っていた合図の始まりだ。懐中時計を取り出し、五分過ぎるのを待ちマッチで白樺で使った棒に火をつけ、それを番屋の敷地内に放込む。

 運良く燃えやすい所にあたったのか、私が想像したよりも火の回りが早くて、これだと直ぐに家人が帰ってきてしまう。

「隠れなきゃ」

 家人が何処からやって来るのかが分からないから、近くの民家と民家の隙間に入り、身を潜めていると、男二人と女一人が走ってやって来て、怒鳴りあったと思いきや女の人が単身、番屋の中に入って行き、それを息子さんが追いかけた。
 聞こえた話だと、私が火を付けた所は物置のようで、本殿ではなかったらしい。それと、あの三人は親子の様だが、血の繋がりは母と子だけで、旦那さんの子種はないらしく、お妾さんとの間に出来た子供も本当は息子さんとの間に出来た子供らしい。

 それを今知ってしまった旦那さんは、静かに番屋の中に入って行く。

 これからどうしようと、途方に暮れていると、歩兵銃を肩に下げた尾形様がやって来た。よくよく見ると左肩から血が出ていて、民家の隙間から飛び出して近寄ると、尾形様は私の手を引きニシン番屋の中に入って行く。
 玄関から入って左手奥に中二階に続く梯子があり、そこに登り身を潜める。私は両肩から下げていた胴乱を床に置いて、中から襷を取り出し尾形様の腕に巻き止血する。余った襷は懐刀で切ってまた胴乱の中に仕舞う。
 尾形様は黙ってされるがままになっていてくれたお陰で、時間をかけずに最低限の処置が出来たが、正直腕から血が地面に垂れているのを見た時は心臓が止まるかと思った。

 いつ家人が戻って来てもおかしくないこの状況では、声を出して心配したなんて言えなくて、私に出来ることは、ただ声を押し殺して尾形様が生きてる事の安堵と、これから先もこの人は今回みたいに怪我をしてしまうんじゃないかという不安で涙を流す事だけだった。

「……っ、…」

 私の傍から離れて行かないで欲しい。
 尾形様の外套を掴む。彼は私を慰めもしないが、掴んだ手を振り払う事もしなかった。それが彼なりの優しさなのかと胸の奥が暖かくなる。

 俯いて、尾形様の外套を掴んでいた私の手が僅かに動いた。それは尾形様が体勢を変えたからだ。咄嗟に手を離し誰か来たのかと耳をすませると、女の人の声が聞こえ何かと何かがぶつかるような音が数回聞こえた。

「もういいッ!十分だろ!!」

 そんな若い声が聞こえ、微かに年老いた男性の声が聞こえたかと思いきや、また若い男性の叫ぶような声が聞こえる。その声は何かに怯えながも強がっているようで時折声が裏返っている。

「尾形様…」

 小声でつい尾形様の名前を呼んでしまったが、既に彼は私の近くにはいなくて、代わりに梯子に立って、歩兵銃をどこかに向かって構え一発の発砲音を響かせる。

「親殺しってのは……巣立ちの為の通過儀礼だぜ。テメェみたいな意気地の無い奴が一番むかつくんだ」

 さっさと行け。と尾形様が言うと一人分の足音が遠ざかって行った。
 尾形様が歩兵銃を肩から下げ、下に降りて行ったので、私も下に降りるとお妾さんの家で嗅いだ匂いと同じ匂いが鼻腔を通り過ぎていく。

 死体の匂いだ。

 尾形様は転がっている女の人の死体に近づき、足でその体を転がし下敷きになっていた何かを持ち上げる。そして私が立っている所まで戻ってきて、囲炉裏の近くに腰をおとす。胡座をかいて座る尾形様の後に私も腰を落とす。

 今こうしている間にも火の手は回っている。その恐怖もあるが、尾形様は誰かを待っているようで、どっしり腰を落としてから動かない。ならば私も此処から動かない。

 白い煙が僅かに見えてきた頃、二人のご老人が御殿の中に入って来た。

「どんなもんだい」

 頭に何かを乗せて言ったその台詞はどこか、勝ち誇っているような、自分は…俺はこんな事も出来るんだ。と言っているような風に受け取れる。

「ヤレヤレ……番屋に放火して女将に出させる方法は、イチかバチかで考えてはいた。ただ一つ狂えば刺青人皮が燃えてしまう危険な方法だからな…馬じゃなく私の頭を撃ち抜くことも出来たはずだ…何が狙いだ」

 刺青人皮…?

「茨戸まで来たのは刺青の噂を偶然耳にしたからなんだがね、床屋の前であんたらを見てすぐに分かった。俺は情報将校である鶴見中尉の下で働いていたからよく知ってるぜ。土方歳三さん、腕の立つ用心棒はいらねえかい」

 尾形様は頭に乗せていた刺青人皮を手に持って、ご老人たちに向かって差し出すように軽くあげる。

 だから“どんなもんだい”と言って、自分の有能さを見せつけたのか。と一人納得していると、ご老人の一人が私と目が合った。ご老人の眼光は鋭くシワの目立つ顔立ちなのに、高威圧的で老人と言う言葉には当てはまらないような男性だ。

「そこの女は」
「私は…」

 なんて答えたらいいか分からなくて、尻ぼみすると、尾形様の右手が僅かに動いた。私は後ろにいたから見えなかったが、正面に立っていた二人にはその動作だけで意味が伝わったのか、ほぉう。と一言漏らした。

「雪子」
「あ、はい!…私の名前は雪子と申します。訳あって尾形様と共に行動をさせて頂いております」

 よしなに。と三指をついて頭を下げる。
 刺青人皮とか、親殺しとか、訳の分からない言葉が頭上で交わされたような気がした。刺青人皮は一体なんのことなのか、親殺しは巣立ちの通過儀礼だとか、尾形様に聞いても答えてくれるものなのだろうか。

 私は一体何に身を投じたのだろうか。


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