熱を喰らう獣



「雲雀さん……吃驚しました……」
「そう」

 興味なさげに私の横を通り過ぎる雲雀さんの背中を追うように歩き出した。僅かに揺れる絹糸のような雲雀さんの烏色の髪に目がいく。雲雀さんの歩く方向を見る限り彼も応接室に向かっているのだろう。だったらこの手に持っている生徒会長からの書類を渡すにも丁度いい。と思い黙って雲雀さんの後に続くが、彼は私にトンファーを振るう事はなかった。群れるな。と雲雀さんは口癖のように言うが、黙ってついて行くだけなら何もしてこないのだろう。

 応接室に雲雀さんが先に入り、続けて私も中に入った。窓際にある社長机に腰かけた雲雀さんに手に持っていた書類を渡すと、彼は黙って書類に目を通した。
 端から端まで目を通した雲雀さんは、新しく追加した山分け%の数字の根拠となる書類にも目を通して、雲雀さんは机の前に立っている私を見上げた。

「……君が助言したの?」
「まぁ、ご存知の通り呼び出されたので」

 ふーん。と興味なさげにもう1度書類に目を通す雲雀さんを上から見下ろせば、彼は手に持っていた書類をつまらなそうに机に投げ出した。お気に召さなかったのだろうか。一応雲雀さんの好みの書類の書き方をしたつもりなんだが……。
 これがもしダメだったら、また生徒会室に行かないといかないのか。なんて考えただけで憂鬱なそれを表情に出しつつ、雲雀さんを見ていると彼は椅子から立ち上がって窓枠に軽く腰をかけ私を見た。

「まぁ、今回はこれで許してあげるよ。本当は君の力を借りないでやって欲しかったけどね」
「……なんで、ですか?」
「僕だって卒業するからね」

 ……卒業という概念がこの人にあったのか。なんて失礼なことを考えてしまったが、顔に出してしまわなかっただろうか。と頬に手を当てて確かめたがどんな表情をしたのかはわからなかった。雲雀さんは普段通りの無表情で私を見ていたのだが、窓の外に視線を向け腕を組んだ。

「……雲雀さんは今何年生なんですか?」
「僕は何時でも好きな学年だよ」
「……なんですか、それ」

 そんな理屈がまかり通ってたまるか。なんて思ったが雲雀さんならそんな事もまかり通るのかもしれない。なんて思い始めてきたのだから、私は雲雀さんという存在に慣れてきてしまったのかもしれない。夏服に身を包んだ雲雀さんの日に焼けていない白い腕に目がいき、咄嗟に目を逸らした。
 やましい気持ちがあったわけではない。それなのにどうしてか、見続けてはいけないと、何かが私に警告をしたのだ。

「生徒会と雲雀さんの卒業がなんの関係があるんですか?」

 何かから話題を逸らすように、先程の話題を引っ張り出すと、雲雀さんはやはり興味なさげに窓の外に広がる夕陽で赤く染まる空を見ながら、短く言葉を漏らした。

「しっかりしてもらわないと困るからだよ」
「……それはつまり、この学校の為に、って事ですか?」

 私からは雲雀さんの横顔しか見えない。だけれど私の質問に対し雲雀さんが少しだけ口角を上げたのはしっかりと見えた。
 自分が卒業した後も、この学校が回るように気にかけていたなんて思いもしなかった。いつから雲雀さんはそんな事をかんがえていたのだろうか。

「……卒業するつもりはあるんですね」
「僕にだってやりたい事があるさ。その為にはここは少し狭すぎる」
「やりたい事、ですか」

 並盛の治安維持以外にも雲雀さんがやりたい事があったなんて……。
 普段知りもしない雲雀さんの内面を今日は次々に知ることが出来ている。学校祭というイベントの熱がそうさせているのだろうか。
 いなくならないと思ってた人が、いなくなると思うと、どうしてだか寂しさが募る。雲雀さんと今まで仲良くしていた訳ではないというのに。

「君には関係のないことだ」

 夏のじめっとした暑さは、日が落ちかけているというのにまだ健在で、剥き出しの肌に湿気が纒わり付く。
 私には関係のない事と、拒絶されたのにも関わらず、不思議と嫌な気持ちは抱かなかった。それどころか、私を見て薄く笑う夕日を背負った雲雀さんに心臓が大きく跳ねたのだ。

 中学の時からこの人の事は知っている。暴君の名を欲しいままに愛用しているトンファーを振り回し、自分の意にそぐわない者を制裁して回る。近寄ったらいけない人、関わっては駄目な人。そんな印象だった。
 しかし、高校に入り母の紹介で知り合い、遠巻きに見ていたあの頃よりも近くで雲雀さんの姿を見ると、また違う印象が植え付けられる。
 この人は、愚直なまでに真っ直ぐな人なのだと思い知らされる。

「確かに私には関係のないことですね」
「聞き分けがいいね」
「そうでしょうか?……私はやりたい事がないので、そうですね……羨ましいと思いましたよ」
「ふーん」

 そう言って雲雀さんは私から視線を逸らし、文化祭準備で盛り上がっている校庭に目を向けた。
 賑やかな声がここまで聞こえてくるが、雲雀さんは窓枠に腰を掛けたまま動こうとはしない。

 私には雲雀 恭弥という人間を理解する事は一生かかっても出来ないのだろう。