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「そう言えば、私雲雀さんの連絡先知らないです」
「知る必要あるの?」
「……ないかも知れないですけど、知っておきたいです」

 何かあった時に直ぐに連絡が取れるように。と言わなかったのか、言えなかったのかはわからないが、今口から出た言葉は本心なのだ。こうして雲雀さんと関わるようになって知らなかったことを知れて。
 リボーンくんが言っていたように知る前には戻れないのだ。

 

 雲雀さんは黒いiPhoneを取り出しロック画面を解除する動作をしながら、もう片方の手を私に向かって差し出した。その行動に首を傾げると切れ長の錫色の瞳が私を見た。何の感情も表していない表情に私は困惑することしか出来ず、彼が先に口を開いた。

「スマホ」
「あ、はい」

 ロック画面を解除しそれを雲雀さんに渡すと、彼は迷うことなく親指を動かして私のiPhoneを操作する。番号が登録し終わった彼は私に向かって端末を投げ、それをキャッチし連絡帳を開くと“雲雀 恭弥”と言う名前が登録されていた。それが嬉しくて無意識に口角を上げるとそれを見た雲雀さんが、変わってるね。と言葉を漏らした。

「そうでしょうか?」
「うん」

 そんなに断言出来る程何かおかしいことをしただろうか?と考えたが幾ら考えても答えは出てこないから考えるのを止め私は足の低い長机の上に置かれた書類を片付けることにした。書類の内容は到底一委員会が手を出すような内容ではないものばかりで、この学校がおかしいのか、それとも風紀委員会がおかしいのかわからない。
 何で学校の資金運用を風紀委員がしているのかがわからない。

「この書類は……」
「あぁ、この資料を見てやって」

 黙々と2人しかいない応接室で作業すること1時間。壁に掛けられている時計を見るとそろそとディーノさんがこの応接室に来る時間で、手を止めてお茶を淹れる為に立ち上がると、雲雀さんも窓際の社長机から立ち上がり窓枠に腰をかけ下校している生徒たちを見下ろしながら腕を組んだ。これは雲雀さんの日課みたいなものである程度書類が片付いたら生徒の下校を見守っているのだ。勿論そんなことを知らない生徒は群れて下校しているわけだが、それを一々制裁に行くわけではない。

「雲雀さんは日本茶でいいですか?」
「ねぇ小動物」
「何ですか?」
「……いや、そろそろ行くよ」

 いつもはディーノさんがこの応接室に来て少しお茶をし、雲雀さんが文句を言いながら屋上に行く。と言うのがいつもの流れなのだが、今日の雲雀さんは先に屋上に行くようで、窓枠から腰を浮かして颯爽と応接室から出て行った。
 お湯を沸かしてしまったのでそれは自分で飲むことにし、棚から紅茶の葉を取り出してティーポットに入れお湯を注いだ。茶葉が躍るように注がれたお湯の中を舞い、蒸らすこと数分。ティーカップに紅茶を注ぐと茶葉のいい匂いが鼻孔を通り抜ける。

 廊下の方から2人の男性の聞き慣れた声が、ディーノとロマーリオさんがやって来たことを知り先に応接室の扉を開けると彼らは驚いた表情を見せた後、2人はすぐに笑顔を浮かべ挨拶してくれた。

「よ!」
「お嬢ちゃん坊主はいるか?」
「先に屋上に行っちゃいました」
「そうか……この匂いは紅茶か?」

 頷くとディーノさんが1杯貰えるか?と言ったので私は家主がいない応接室の中へ招き入れ黒い革張りのソファに座るディーノさんの前の足の低い長机にティーカップを置いた。ロマーリオさんはディーノさんの後ろに立っている為、何処かに置くわけにもいかないでので直接手で渡した。
 普段だったら雲雀さんとディーノさんが軽く話している間私は立っているのだが、今日は雲雀さんは先に屋上に行ってしまったので多少の緊張を抱えたままディーノさんの正面に座った。

「灯はいい奥さんになるな」
「へ?」
「ボス、それはセクハラになるぜ」
「ワリィワリィ。けど恭弥のこと好きなんだろ?」

 突然の話題に心臓が大きく跳ねた。あの海の日に雲雀さんとは付き合っていないと誤解を解いたものの、ディーノさんの中では私は雲雀さんのことを好いていると思っているのだろう。

 リボーンくんにも同じことを言われたけど他人から見ればそう見えるのだろうか……?

「好きかどうかはわかりません」
「そっか……だったら今のうちに離れた方が良いぞ」
「え?」

 どういうことだ?と口元まで近付けたティーカップを止めディーノさんを見た。彼は真剣な目つきで私を見ている。なんで好きじゃないなら雲雀さんと離れないといけないのだろうか、と必死に考えるがディーノさんの考えが皆目見当もつかない。

「恭弥と灯の住んでいる世界は違い過ぎる。俺たちの世界を知り過ぎる前に離れた方が良い……これは意地悪で言っているんじゃない」
「ボス……」

 リボーンくんが知ってしまったら知る前には戻れないと言っていた。これはディーノさんからの優しい忠告だ。私と雲雀さんの住む世界が違うけど、ディーノさんと雲雀さんの住む世界は同じで、私は立ち入ることが出来ない世界だからディーノさんは離れた方がいいと言ってくれている。

 それでも私の心は彼と離れたくないと思ってしまっている。

「私、は……」

 言い淀んでいるとディーノさんは腕を伸ばして私の頭を撫でた。その撫で方は王子様みたいな見かけに反して雑なもので髪が乱れてしまう。どんな表情を彼に向ければいいのかわからなくて俯いていると、ディーノさんは立ち上がり応接室から出て行った。

「また後でな!」
「……はい」

 また後で。その言葉が胸に重たく刺さる。刺さったそれは中々抜けそうになく奥につっかえって痛む。
 屋上に行くまでまだ時間はあるがそれまでに、この感覚をなくすことは出来るのだろうか。

 私はどんな顔をして雲雀さんに会えばいいのだろうか。