命短し乙女の悃



 ディーノさんの優しい警告から数日。頭の中で彼の言葉が駆け巡っては胸がちくりと傷んだ。折角雲雀さんと仲良くなってきたにも関わらず離れなきゃいけない理由を考えては“ボンゴレ”や“炎”と時折雲雀さんとディーノさんの会話から聞こえる単語に意識がいった。
 同じ単語を獄寺くんや山本くん、それにツナくんからもよく聞くし、それを考えると雲雀さんとツナくんたちは同じ世界の住人というわけで……。

「……教えてくれるかな」

 放課後ツナくんたちの補習を待って私はツナくんたちに近付いた。
 運良く3人とも揃っていて、更に雲雀さんからの呼び出しもなくゆっくりとお話することが出来そうだった。

「灯ちゃん?」
「教えて欲しいの」
「北村がか? 俺たちなんかよりもずっと頭いいじゃねぇか!」

 山本くんが勉強のことだと思って笑いながら言ったのがわかり、無言で首を振りツナくんに近寄り制服の裾を掴んだ。

「違うの、皆のことを……皆がやっていることを知りたいの」
「え?」
「“ボンゴレ”って何? “炎”って何のこと?」

 見上げたツナくんの表情は驚き固まっていて、あぁ、やっぱりこの人たちは知っているのだと私に確信を持たせた。

「えっ……いや、何のことか、わかんない……な」
「嘘つかないで!」
「テメェ10代目がわかんねェっつったらわかんねェンだよ!」
「じゃあ獄寺くんが教えてよ!」

 私を誤魔化そうとするツナくんを庇った獄寺くんに対し言葉の節を強く彼に詰め寄ると獄寺くんは言葉を詰まらせた。どうやら2人共私には教えたくないようで、山本くんの方に視線を向けたが彼は困ったように笑うだけだった。

「……そう」
「何か、あったの?」
「ただ気になった、だけだよ……」
「北村?」

 如何して私は何も知らないのだろう。
 知らないことの方が罪だと言わんばかりに私の中の何かが焦燥し駆り立てる。

「大丈夫か? 家まで送るぞ」
「大丈夫。ありがとう」

 頭を冷やしたくてツナくんたちの親切を断り、私は人気のない場所を目指して歩き出したがこの並盛高校において屋上は雲雀さんとディーノさんが使用している為使えず、残りの人気のない場所といえば応接室付近か、生徒会室付近。それと変態保健医のいる保健室だ。シャマル先生は私が中学生の時は並中の保健医だったのだが高校に進学すると並高の保健室にいたという謎多き先生で、女子しか診ないと断言しており男子女子共に変態として認識されている。
 ……応接室に備えている救急箱の中身がなくなったら、保健室に行って中身を補充しているので雲雀さんと関わってから何かとシャマル先生とも関わるようになったのだが、会う度に何かと絡まれるので成るべく行きたくないスポットなのだが、ここは仕方ないだろう。

「失礼します」
「何々灯ちゃーん、この間来たばっかりなのにもうなくなったの? それとも俺に会いに来てくれた?」
「……失礼しました」

 やっぱりここはダメだと、開いた扉を閉じようと半歩足を後ろに引いて出て行こうとすると、シャマル先生は慌てて近寄り閉まる扉に手をかけ、へらりと笑いながら謝って来た。

「ごめんって! 全く灯ちゃんは冗談が通じねぇんだから」
「私、1人になりたいんです」
「……まぁ先ず入りな」

 先生に促されるまま保健室に入りベッドに腰を掛けた。少し硬いマットには白いシーツが丁寧に敷かれていて、変態的な行動が目立つシャマル先生の丁寧な仕事が垣間見える。滑りがいいリネンのシーツを指でなぞりながらシャマル先生に視線を向けた。

「その目は誘ってる?」
「私は1人になりたいんです」
「じゃあ何で此処に来たんだ? 俺がいるのわかってたよな」
「それは……」

 わかっていたけど他に行く場所がないのだから仕方ない。と言えば頭の回転が無駄に早い先生には何か勘繰られそうで言葉を噤んだが、それが先生は答えと受け取ったらしく、先生は興味なさげに息を吐いた。

「はぁー。俺、俺以外の男の話聞きたくないんだけどよ」
「何で男の話になるんですか」
「どうせ雲雀の話だろ」
「……ちょっと、違います」

 無言を貫いたところでシャマル先生には私の悩みは手に取るようにわかるのだろう。推測だとしても何で雲雀さん関係だと思ったのかはわからないが、半分当たっていたのが悔しくてシャマル先生から目を逸らした。

 理念や考え、自分をしっかり持っていて圧倒的強さを持ちながらも更なる高みを目指す姿勢。他者を寄せ付けない鋭さの中に隠された優しさや笑みの柔らかさ。知らなければこんなにも悩む必要もなかったのに。あの日母の紹介で出会ってしまった瞬間から私の人生の歯車は狂いだしたまま動き始めてしまったように感じる。

 でもただそれだけなのだ。あの人は私に興味はないそして私のことを必要としていないと断言した。
 まさにその通りなのだ。雲雀さんの進む道に私という存在は必要なく、私の進む道と交わっているこの時間が長い時間の中の1部だとしたら一瞬の出来事なのだ。

 ベッドに上半身を寝かせ頬にリネンのシーツを押し付けると、鼻孔に石鹸の匂いが通り抜けている。嗅ぎ慣れた匂いではあるけれど落ち着く匂いではない。目を瞑り溜息を吐いて力を抜いていると足音が聞こえた。直ぐに扉が閉まる音が聞こえたからシャマル先生が気を利かせて保健室から出て行ってくれたのだろう。放課後は残っている生徒も部活をしている人ばかりで、滅多に人は来ない。

 興味、なかったのに……。

 あの時、雲雀さんは“私は雲雀さんに興味がない”と言ったその言葉を私は否定しなかった。畏怖の念を抱いている人に近付かない為に出来ることは興味を持たないことだと思っていたからだ。お互いに興味なくお互いを必要としていない関係の境界線は越えることがないと思っていた。それなのに私はそれを今か今かと越えようとしている。

「今ならまだ」

 引き返せる。傷は浅く時間と共に癒えていくものだ。

 ゆっくりと呼吸して考えを落ち着かせこれからのことを考えていると、ノックなしに扉が開いた。先日誰が入って来たか確認しないで声をかけた為に誤解を深めたことを思い出し、私はベッドから起き上がって誰が保健室に入って来たのかと確認し驚き目を見開いた。
 黒い学ランを肩に羽織った雲雀さんは所々怪我をしており、誰も治療をしていないようでこの保健室に何で来たのかも何となくわかったのだが、応接室にも救急箱があるからいつでも草壁さんに治療してもらえた筈だ。

「何で……」
「今日小動物が来ないから」
「え? だって草壁さんだっているのに」
「副委員長は巡回。それに手当は君の方が上手だ」

 彼の言葉に胸の奥が熱くなりそれが頬にまで伝染する。赤く染まった頬を隠そうとしてベッドから立ち上がり保健室に常備している救急箱を取り出し、適当な長いソファに座っている雲雀さんと少し距離を空け隣に腰を掛けた。

「痛かったら言ってくださいね」
「うん」

 私はいつまで雲雀さんの手当てをすることが出来るのだろうか。そんなことを考えながら私は白魚のような雲雀さんの腕に出来た傷から流れる血を脱脂綿で吸収させた。

「今日もディーノさんと屋上で?」
「うん」
「ここ最近ずっと傷だらけですね。後でディーノさんのところにも行きますね」
「行かなくていいよ」
「え?」
「君は彼と関わる必要がない」

 薄い唇から紡がれる台詞に言葉を失った。今までそんなことを言われたことはなかったのに突然関わる必要がないと言われたのは、私と彼らの住む世界が違うからなのだろうか。それともただ単に関わらせたくないからなのだろうか。
 今日も雲雀さんの真意を知れないまま時間だけが過ぎていく。