silent



 翌日の放課後、私はまた応接室の前に立っていた。なんでここに来る事を強要されたのだろうか。そもそもあの人は気まずさとかはないのだろうか。

 一応ではあるけれど、婚約しかけた仲なのに。

 昨日と同じように応接室の前で深呼吸を繰り返し、扉をノックした。中から返事はなくてどうしたものかと、頭を悩ませた。職員室や特別室ならそのまま入ってしまうが、この応接室はそういう訳にもいかない。
 もし勝手に入って、雲雀さんの機嫌を損ねようものなら、即病院即日入院コースだ。

「何突っ立ってるの」
「っ!……雲雀さん」
「入りなよ」

 頭を抱えるとまではいかないが、どうしようかと悩ませていると、背後から雲雀さんの声が聞こえた。その瞬間私の心臓は大きく音を立て、普段よりも早いスピードで鼓動を鳴らしている。

 足音がなかった……。

 咄嗟に後ろを振り返ると、切れ長の錫色の瞳が私を見下ろしていた。一瞬にして強ばった身体を無理やり動かし、応接室のドアの前からずれると、雲雀さんは応接室のドアノブに手をかけて扉を開けた。
 そのまま中に入り、私もそれに続くように中に入った。

「今日はこれをやって」

 雲雀さんは私に書類を渡して、自分は窓に近寄り、窓枠に腰をかけ窓の外を眺めている。確か、応接室は玄関口の真上にあるはずだから、この時間だと下校している生徒が見えるのだろう。

 雲雀さんはこの並盛が好きなのか、それともこの校舎が好きなのか。中学の時は異様に並盛中学の事が好きだったな。と思い出を懐古したが、ただ単純に雲雀 恭弥という存在に慣れてしまったのかもしれない。

「ワォ」
「何かありましたか?」
「少し出るよ。書類整理し終えたら帰っていいから」

 何か玩具でも見つけたような、そんな感嘆の声を上げ、雲雀さんは口元を少し上げ、黒い学ランを翻しながら応接室を出ていく。
 勿論私が書類整理をし終えたらどうしたらいいのかの指示を残してだ。

「きちんとしてるんだよな……」

 計算違いにも程がある書類を見た後だと、雲雀さんの的確さが浮き彫りになる。錯覚かもしれないが、風紀委員はやり方は兎も角、統率が取れている。それは一重に雲雀さんの管理体制がいいからだろう。

「横暴だけじゃないんだ……」
「オメーが雲雀の婚約者の北村 灯か?」
「は?!」

 少し感心しながら、書類を片手に電卓を打っていると、幼い子供の声が聞こえた。何処から聞こえたのかと辺りを見回していると、ついさっき出て行った、雲雀さんが腰掛けていた窓枠に、スーツを着てカメレオンが乗っかっているハット帽を被った、もみあげが特徴的な男の子が立っていた。

 一体何処から侵入したというのだ。

 いや、それよりも気になる発言があった。

「……どうしてそれを?」
「ボンゴレの情報網はスゲェからな」

 またボンゴレだ。中学の時からツナくんや獄寺くんが“ボンゴレ”や“ファミリー”と口にしていた。私には何の事なのか全く分からないが、彼らが時折怪我をしているのはその“ボンゴレ”の所為なのだろう。

「坊や、私と雲雀さんは何の縁もないの」
「…報告書通りだな。お前達の母親同士繋がりがあり、婚約に至るが当人同士その意思はなく、今は奇妙な関係が構築されつつある」

 確かにその通りだ。円な瞳を持つ男の子の言う通りだ。私達は他人と形容するには色濃く、知り合いと形容するには何も知らない。これを奇妙な関係と言うのだろう。
 カテゴライズされないこの関係は何という名前なのだろうか。

「本当によく知ってるね」
「お前、雲雀とどうなりてェんだ」
「どうも何も……雲雀さんが私を必要としていないように、私も雲雀さんに興味はないんだよ」

 初めて会ったあの日、雲雀さんが言っていた言葉だ。これが私たちの境界線なのだ。そしてお互いにこのラインは越えない。越えるつもりもない。

「けど、オメーにとって雲雀は必要な存在になるかもしれねェだろ」
「……ならないよ」

 私と雲雀さんは住む世界が違うもの。

 そう言うと男の子は面白そうに笑った。そして外からはツナくんの悲鳴と、獄寺くんの所持しているダイナマイトが爆発する音が聞こえた。
 慌てて窓の外を見ると、雲雀さんがトンファーを振り翳し、それがツナくんに当たり、ツナくんは勢いのまま地面に打ち付けられ、それを見た獄寺くんがダイナマイトを発火させたって所だろう。
 大方、制裁の理由は群れていたから、他ならない。

「あー……」
「ダメツナが」
「坊やツナくんのこと知ってるの?」

 窓枠に器用に立つスーツを着こなした子供にそう尋ねると、男の子はフン、と鼻で笑いハット帽のつばをその可愛らしい手で掴み、口元を挑戦的に上げて円な瞳で私を見てこう言った。

「俺はアイツの家庭教師、リボーンだ」
「……君今いくつなの?」
「教える義理はねェぞ」

 ……義理とな。普通に考えてこんな子供が高校生の家庭教師だなんておかしいに決まっているのに、リボーンくんは歳を教えてくれない。
 さしてそこまで興味のある事柄でもないから、気にはしないが、隠されると気になってくるのが、人間というものではないだろうか。

「じゃあな。北村 灯」

 リボーンくんはそう言うと窓から、ひらりと飛び降りた。

「え?!ここ三階っ!」

 慌てて手を差し伸ばすも、リボーンくんはもう私の事なんか見ていなくて、ただ重力に沿って下に落ちるだけだ。私は窓から身を乗り出し、精一杯腕を伸ばすと、リボーンくんのハット帽に乗っかっていたカメレオンのような生き物が変形し、パラグライダーになり風の抵抗を受けてリボーンくんがゆっくりと地面に降りていく。

「え……?」

 あれは一体なんだったのだ。と問いたくなるような瞬間に、白昼夢を見ていたのではないかと、自分で自分を疑いたくなる。

「カメレオンじゃないの……?」

 あれは置物や生き物ではないということなの?全くもって意味がわからない。私の知識を遥かに超えた何かがその瞬間にはあった。

「失礼します」

 応接室の扉がノックされ、野太い男の人の声が聞こえた。誰かが応接室に入ってくる。私は窓から乗り出した身体を正し、制服にシワが出来ないようにと軽く叩いて伸ばした。

「委員長報告が——」
「あ、雲雀さん今出払ってて……」

 ドアの向こうからは立派なリーゼントを頭に乗せた、黒い長ランを着こなし葉っぱを咥えた、如何にも一昔前のヤンキーのような格好をした風紀委員がやって来た。顔面や体格が厳つく、無意識に身体に力が入る。

「貴方は、確か」

 ヤンキーは私の事を知っているようで、応接室には異質である私の姿を見ても、目を見開き驚きはしたものの、殴りかかりには来ない。それどころか、部屋の様子を一瞥すると、慌てたようにお茶を淹れるとまで言い出した。

「いや!そこまでしてもらわなくとも!」
「いやしかし、我々の仕事を手伝って頂いているのですから」
「……っ、それを理由にするのは狡いと思います!」

 労働に対する礼だと言わんばかりにヤンキーは茶包みの蓋を開けようとするので、私はその手を押さえつけるように彼の動きを封じた。たかがお茶一杯に何でこんなに抵抗しているのかと、思われるかもしれないが、この労働に対する対価を受け取りでもしたら、風紀委員との繋がりが濃くなってしまうような気がしてならない。

「草壁何群れているの」
「委員長!!」

 音もなく現れたよく通る低い声は紛れもなく雲雀さんのもので、その瞬間ピタリと体が固まり壊れたブリキの人形のようにぎこちない動きで、声のした方を向いた。応接室の扉の前で片手でトンファーを持つ雲雀さんの瞳は鋭利なもので今にも殴りかかって来そうなものだった。

「——!今草壁って……」

 確か雲雀さんと初めて会った時に、気絶させられた私を運んでくれたのは草壁さんだったはず。あの時のお礼はまだしていない、と改めて草壁さんに向き合って頭を下げると、草壁さんの野太い唸り声をあげて倒れ込んだ。視界の端に黒い何かが映り、顔をあげると雲雀さんの背中が目の前にあった。思わず足を一歩後ろに下げて雲雀さんとの距離を取ると、彼はこちらに振り返り一気に距離を詰めてきた。そして首にトンファーを押し当てる。

「君も何群れてるの」

 雲雀さんはトンファーを持っている右手を振り上げた。私は両手で頭を抱えて来る衝撃に歯を食いしばっていると、耳元で雲雀さんの低い声が聞こえた。

「ガラ空きだよ」
「……っぐぁ……!!」

 横腹に抉れるような強い衝撃と痛みに、軽く頭の中が真っ白になり、次いで余りの痛さに涙も零れだした。前回は気絶する程の痛みだったが、今のは激痛が襲い続けて来るだけで、返って意識がはっきりしている。
 あの時はすぐに気絶したからわからなかったけど、雲雀さんのトンファーで殴られるとこんなにも痛いんだ。

「へぇ……君意外とタフだね」
「最……っ悪……!」

 両手でお腹を押さえながらしゃがみ込み、痛みが過ぎるのを待つ。痛みはお腹からじくじくと広がり収まる気配がない。視線を下げて目を瞑ると、靴音が聞こえた。すると私の肩の雲雀さんの手が置かれた。更にきつく目を瞑ると雲雀さんの笑い声が聞こえる。

「小動物さながらだ」
「……ッ!」

 顔をあげると、目の前には目線を合わせてしゃがむ雲雀さんがいて、その表情は挑発的に笑っている。その表情を見て冷たい汗が背中を流れた。