想像の斜め上



 夏休み半ば。夏真っ盛りのこの日私は応接室に向かって静かすぎる校内を歩いていた。
 ……はずだった。

 夏休みという事で、野球部やバスケ部等の運動系の部活が、練習しに来ているのだが、それは応接室とは距離がある為あまり音が聞こえない。場所的に応接室の上が屋上になっているのもあり、普段からとても静かな、否、静かすぎる空間が広がっているのだが、今日は何故か、静寂から打って変わり音が響く。

 誰かは知らないけど、雲雀さんに怒られちゃうよ。

 見ず知らずの生徒に心の中で注意し、私は応接室の扉をノックした。

「あれ……?」

 いつもなら中から雲雀さんの声が聞こえてくるはずなのに、全くと言っていい程に中から何も聞こえない。ドアノブを捻り、そっと扉を開けると中は無人で人の気配を感られない。
 言っちゃ悪いが、あの風紀委員の面々がいないだけで、あの恐怖の対象である応接室がただの1つの教室に感じる。

「酸素が美味しい」

 ……何も変わらないのにも関わらず、何故か酸素が美味しく感じのだから、普段の応接室の空気の重たさたるやだ。
 と、感傷に浸るよりも気になる事があった。それは天井から聞こえてくるうるさ過ぎる音だ。恐らく屋上から聞こえてくるそれが気にならないわけがなく、私は応接室を出て屋上に向かって歩き出した。

 屋上に続く階段を登っている最中、普段耳にしない音に、心臓が大きく跳ねる。
 縄のような何かが地面に弾く音や、フェンスが何かとぶつかる音、聞きなれない男性の笑い声が聞こえてくる中、僅かにだが雲雀さんの声も聞こえる。

 成程。この音は雲雀さんが元凶なのか。

 と、呑気に階段を登り屋上の扉を開けると、案の定雲雀さんはトンファーを振り翳していた。その相手は見たことのない人だったが、ムチのようなもので雲雀さんを応戦していて、思わず目を張った。
 この校内に、雲雀さんと互角に戦える人がいるなんて……!

 教師…否、校長でさえも恐怖に恐れ戦き、雲雀さんの言いなりで、ボクシング部主将の笹川先輩ですら、雲雀さんを倒せないのに……!

「……凄い」
「北村?!」

 草壁さんが私の声を拾ったようで、驚いた様子で私の名前を呼んだ。これは何事なのかと、半分開けたドアから顔を出すと、瞬間金髪のお兄さんが持っている鞭がしなやかに曲がり、私が開けたドアに直撃した。

「っ!」

 鞭がドアに当たった。文面にすればたったそれだけ。だけど、衝撃はその言葉だけでは到底表しきれないものだった。
 力を入れて押したはずのドアは、鞭が当たり僅かに押し戻され、鞭が当たった音がお腹に響いた。
 それだけで足が竦み、動きが停止する。

 一体なんなのだ。如何してこんな事になっているのだ。

「ねぇ跳ね馬。腕落ちたんじゃない?」
「ンなわけねぇよ!急に生徒が出てくるなんて思わねぇだろ」
「僕は足音で気が付いていたけどね」

 そうなると、雲雀さんは私という存在が近づいていることを知りながら、喧嘩を続けていたということか。
 なんと惨い。

 ドアの向こうで、色んな衝撃に顔を青くさせていると、急にドアが開き太陽光が差し込んだ。咄嗟に光が差し込む方向を見ると、私を見下ろす雲雀さんがそこに立っていて、逆光で表情が若干わからないが、恐らくつまらなさそうに私を見ているのだろう。

「なんでここにいるの?」
「……応接室に来たら、屋上から音が聞こえたので……何の音かな、と」

 でもこんな危ない現場だったら来なかったのに。とは思ったがとてもじゃないが、雲雀さんには言えそうになかった。

「おーい恭弥。その子は誰だ?」
「貴方には関係ないでしょ。それより続きをやろう」

 雲雀さんは私に背を向け、鞭を持った男の人の所に歩いていき、私はどうしたら良いものか、と視線を彷徨わせていると、草壁さんの隣に置いてある救急箱に目がいった。

 戦闘を開始してしまった雲雀さんと鞭の男の人の武器が飛んでこないように、と気を付けながら草壁さんの隣に移動した。

「草壁さん……これは一体」
「跳ね馬ディーノが委員長に特訓してるんだ。最も委員長にその意識はないがな」

 ……つまり、跳ね馬ディーノさんが雲雀さんを教育してるけど、雲雀さん的には闘える相手がいるから、闘っているだけってことか。
 という事は、この雲雀さんを育てたのは跳ね馬ディーノさんって事になるのだが、なんで彼は雲雀さんをこんな性格に育て上げてしまったのだろうか。

「雲雀さんのあの性格は、跳ね馬ディーノさんの教育の賜物ってことなんでしょうか?」
「いや、委員長を特訓し始めたのは中学の頃だ」
「……元からあんな性格なんですか」

 なんという事だ。あれは教育の跳ね馬ディーノさんの教育の賜物でも何でもなく、元から戦闘狂と言われても可笑しくない程の性格だったのか。
 あのおっとりとしたお母様から、よくこんな子供が出来上がるな……いや、お父様似なのかもしれない。なんて、見知らぬ方の顔を少しだけ想像したが、恐らく雲雀さんに似て整った顔をしているのだろう。という想像しかできなかった。

「お2人とも、所々怪我されているようですが…」
「あぁ……いつも何処かしら怪我しているな」

 たかが学生なのになんで雲雀さんはこんなことをしているのだろうか。そんなに強くなってどうなりたいのだろうか。跳ね馬ディーノさんにまで修行をつけて、何がしたいのだろうか。並盛の治安がそんなに大事なのだろうか。

 ……私には理解できない。

 私にとって並盛は住んでいる町で、住み慣れた好きな街ではあるが、こんなにまで守りたいという気持ちが湧かない。

 なんで、どうして。そんな言葉が頭の中を飛び交うが、やはり答えなんて出てこない。前にもこんなことを考えたが、やはりその時も理解が出来ないと思考を投げ捨てたはずだ。

 雲雀さんのトンファーを紙一重で避け、鞭で攻撃する跳ね馬ディーノさんの手慣れ具合には舌を巻く。大抵の人は恐怖に顔を歪ませ、背中を見せて逃げるというのに跳ね馬ディーノさんは、笑顔を浮かべて雲雀さんに話しかけている。

「恭弥、お前炎使わないのか?」
「使わない」

 夏休みで誰もいない校舎の屋上で、戦闘と呼ぶに相応しい戦いを繰り広げている2人を止めるでもなく、ただ興味本位で眺めていると、跳ね馬ディーノさんが操る鞭が雲雀さんの白魚のような頬を掠めた。

「あ……!」

 軽くではあるが、頬から血が流れている。雲雀さんは頬を伝う少量の血を白い袖で拭い、気に入らないと前面に出した表情のまま、またトンファーを構えた。
 好戦的で負けず嫌い。諦めるという単語をまるで知らない。そんな人間なんだろう。

「草壁さん、あの怪我あのままでいいんですか?」
「委員長はあの程度の怪我じゃ止まりもしない」
「……そうですか」

 だったらこの救急箱はなんの意味があるというのだ。血が出ても止めないというのなら、どんな怪我を負えば止めるのだ。それこそ、この救急箱では対処できないような怪我をしない限り止めはしないのではないか?
 雲雀さんがトンファーから棘のようなものを出し、それが跳ね馬ディーノさんの鞭に絡まる。そのまま雲雀さんは残った方の腕を振り、上げ跳ね馬ディーノさんのお腹目がけてトンファーを振り翳した。

「っ!」
「が……っ!」

 骨が折れたのではないか。と疑う程の音が屋上に響く。足の踏ん張りが効かないようで跳ね馬ディーノさんは膝から崩れ落ちた。私だったら呻き声もあげられない程の痛みだと思うのだが、鍛え方が違うのか、跳ね馬ディーノさんは少し眉間に皺を寄せてるものの、口元は笑っており、雲雀さんに向かって、成長したな。なんて言葉を告げている。

「きゅ、救急箱っ!」

 足元に置いてある救急箱を片手に、雲雀さんと跳ね馬ディーノさんの間に割って入り、手に持っている救急箱を跳ね馬ディーノさんに向かって突き出した。

「怪我っ!あの、手当しないと……!」
「お!ありがとうな!……名前を聞いてもいいか?」

 跳ね馬ディーノさんは、人当たりのいい笑顔を浮かべ、左手で自身の頭を撫でるように触りながら私に名前を尋ねてきた。

「北村 灯です」
「俺はディーノ! よろしくな灯!」

 眩しいくらいに明るいディーノさんの笑顔に一瞬惚けてしまった。普段接することがないタイプの人間に、困惑しながらも差し出された手を握り、握手を交わした。

 雲雀さんとは随分性格が違うのだな。なんて考えながらやっていた所為だろうか、彼の笑顔は見ていて楽しいものだが、私は何故が無愛想に私を見下す雲雀さんの顔が頭の中にチラついた。