果実のような甘さに溶ける

 どうしても手にはいらないと知っていても、手を伸ばさずにはいられない。そんな経験をした事があるだろうか?
 私は何年も手を伸ばし続けている。どうしても手に入れたくて、でも手に入らなくて。もっと近付きたいのに、拒絶されたくなくて……。今のこの関係に甘えている。つかず離れず、幼馴染として今日もかっちゃんの隣に立っている。

 そんなある日の出来事だった。

 仕事で出先に出ている時の事だった。街中でかっちゃんを見かけた。今や人気ヒーローとなったかっちゃんは街中に出かけるは軽く変装している。それでも彼を小さい頃から知っている私は瞬時にかっちゃんだ、と見抜く事が出来るのだ。
 仕事の用事も済んだ今、かっちゃんに話しかけたところで誰にも怒られはしないだろう。と判断し私はかっちゃんに気がつかれないようにと、足音を忍ばせて近寄ろうとした私の後ろから、1人の女の人の足音が聞こえ、それが私の横を通り抜けかっちゃんの隣に並んだ。

 ……え?

 親しげに話す2人に私は足を止めた。

 だって、知らないのだ。かっちゃんのあんな優しげな顔なんて。今までだってそんな表情を見せた事なんて1度もないのだから。

「……かの、じょなの?」

 彼女なんて出来た事ないくせに。
 だから、私だって幼馴染っていうポジションから脱する事が出来なくて……。

 ……違う。そんなのはただの言い訳だ。
 私はかっちゃんに拒絶されるのが怖くて、勇気が出せなくて幼馴染という甘い立場に甘えていただけなんだ。

「帰ろ……」

 今日は直帰してもいいと言われていて助かった。こんな情けない顔して職場になんて戻れないし、何よりこんな顔誰かに見せたくない。

 ……それだと言うのに。

「おい!いんだろ!開けろ!」

 私が借りているアパートの玄関から、よく耳に馴染んだ怒鳴り声が聞こえる。
 なんでこんな時に限ってうちに遊びに来るのか。と問い詰めてやりたいが、ここで玄関の扉を開けると私が帰ってきてる事がバレてしまうので、開ける事も出来ない。

 出来るだけ物音を立てないように息を殺し、ベッドに隠れていると不意に声が聞こえなくなった。

 帰ってくれたのかな?

 そんな考えは甘かったようで、ガチャガチャと玄関の施錠が解除される音が聞こえ始め、その音に驚き包まっていた身体を起こすと、タイミングよく玄関の扉が開いてしまった。

 ワンルームの作りであるこのアパートは玄関から私が隠れているベッドまで遮るものは何もない。とどのつまり、あの三白眼の赤い瞳と目が合ってしまったというわけで。

「やっぱりいるんじゃねェか!!!」
「なんで、ここにっ……てか鍵!なんで!」
「ァあ?!」

 元々つり上がっている目が怒りで更につり上がっていて、幾らかっちゃんの事を小さな頃から知っているとはいえ、怖いものは怖い。
 私は涙目になり、掛け布団を両腕に確りと抱えそこに頭を伏せた。

「うぅ……帰ってよぉ」
「あ?」
「今顔見たくないっ」

 ギシッとベッドのスプリングが鳴った。それはかっちゃんがベッドの上に乗った事を意味していて、更に抱えている掛け布団をきつくに抱き締めた。

「何泣いてんだ。あ?」
「泣いてない」
「泣いてんだろーが」

 無骨な手で私の頭を撫でるその手つきは驚く程に優しいもので、その温かさを知っているのは私だけだと思っていた。
 凶悪顔からは想像も出来ないような笑みを浮かべる事も、不器用ながらも優しさを持っている事も、持っているセンスに甘んじる事なく努力をしている事も、かっちゃんの体温が離れ難い位に心地いい事も……。
 でもそれは、私以外の人も知っているものになっていた。

 それどころか、幼馴染の私には見せない姿もあるのだと知ってしまった。

「かっちゃん……かっちゃん」
「んだよ。帰れっつったり名前呼んだり忙しいなァ。名前は」
「うん」

 泣いてる女の子を慰めるなんてしないくせに、私が泣き止むまで側にいてくれる。そんな優しさに何度も心を奪われてきた。

 狡い。狡いよ。
 私には見せない顔を見せる相手がいるのに、大切に扱ってくれる。例えそれが幼馴染としての扱いだとしても、私の心はかっちゃんへの想いを強めるだけだ。

「バカ」
「あ?」
「怒んないで」
「怒んねェよ」
「うん」

 知ってる。かっちゃんは私に対して簡単に怒ったりしないのを、ちゃんと知ってる。
 知ってるからこそ辛いじゃない……!
 なんで私じゃないんだろう。どうして、この気持ちは遠くに飛んで行ってくれないのだろう。どうしてかっちゃんの顔を見る度、優しさに、その掌に触れる度に想いが強くなっていくのだろう。

 好きだよって言えたら……そうしたらかっちゃんは私の事を見てくれる?
 小さい頃からずっと傍にいて、何をするにも一緒で、幼稚園から高校まで同じだった。夏にはお祭りに行ったし、春には2人きりでお花見だってした。学生故に細やかだけどクリスマスにプレゼントの交換もしていた。秋にはコンビニで買ったコーンスープを回し飲みしたっけ。

 あぁ……今気が付いた。
 全部、全部過去形じゃないか……。

「かっちゃぁん……!」
「ンだよ」

 好きだよ。大好きだよ。
 私は臆病だから、意気地なしだから、自分の気持ちを口に出すことは出来ないけれど、貴方の事を想っている気持ちだけは嘘を吐きたくないから、誇っていたいから。
 止めどなく涙が頬を伝い、頭に酸素が回らなくなってきている。かっちゃんからしてみれば、唐突に私が泣き始めていい迷惑だろう。

 ……あぁ、でも。昔から私は泣き虫だから、些細な事で泣いてはかっちゃんに慰めてもらっていたっけ。その時は決まって私を抱き締めてくれるんだ。

「名前」

 逞しい両腕が私の背中に回り、一定のリズムで背中を優しく叩かれる。壊れ物に触るような手つきは昔とは違って、何故か男の人を連想させる。

「今は寝ちまえ」

 その言葉に誘われるまま私は意識を沈めた。耳にはかっちゃんの心音を拾い強張っていた身体の力が抜けるのがわかった。

「ずっと傍にいてやるって言ってんだろ……バカが」

 額に暖かいものが触れたような気がしたが、それはきっと気の所為だろう。

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