泡沫に末路

01

「この人だって利用してました!!」
「えぇ……まぁ」

 この日、菊さんの仕事が終わるのをいつもの喫茶店で待っていた。いつも、と言っているように、この喫茶店はよく利用していて、店員さんとも顔馴染みなのだが、今日はその事が裏目に出たらしい。

 というのも、この喫茶店で殺人事件が起こってしまったからだ。被害者女性はトイレで絞殺されていたようで、首に何かで絞められた跡が残っていたようだ。
 ……ようだ。というのは私はその現場を直接見たわけではないからだ。そもそも、誰が死んだのかも分からないのだから、見たところで「あぁ、可哀想だな」位にしか思えない。

 そこで、トイレを利用したから。と言った理由で、殺人の容疑がかけられようとしている。

「この人店員さんと仲良かったですし、店員さんが清掃する時間とか知ってるんじゃないですか?!」
「いや、この喫茶店はよく利用するので店員さんとはお話しますけど、清掃時間等は知りませんよ」
「口では何とでも言えますよね!」

 あぁ、どうしたものか。と頭を回転させても私の脳は灰色ではないから、弁明しようにも的確な証言が思い浮かばない。この店には普段から一人で利用しているし、今日だって一人だから私の行動を見ていた証言者もいない。となれば私の証言はただの主張になってしまう。

 さて……どうしたものか。

 友人が殺された怒りを私にぶつけるように、髪を一つに束ねている女性が顔を赤くしてこちらを指差している。名前はなんと言っていただろうか……。山田さん? だっただろうか。隣で涙を流し警察に事情を離しているのは、田中さん、だったと思う。しかし、本当に何でこんな事に巻き込まれてしまったのだろうか。どうやってこの状況を切り抜けようか、と普段話してくれている店員さんに向かって声をかけた。

「私、トイレに行った時間そこまで長かったでしょうか?」
「えっ、わからないです……一ノ瀬さんがどのタイミングでお手洗いを利用したのかもわからないです」
「そう、ですか……」

 今日のお客さんの入りは、私をいれて六人だけだ。殺害された女性とその連れの山田さんと田中さん。そして、顔を青くしている女性と、その女性を守るように立つ金髪……ミルクティー色の髪をした男性だけで、客の行動を把握出来ないような人数ではない、と思うのだが、こればかりは店員ではない私には判断出来ない。
 状況は思わしくない。亡くなった本田さんの連れの二人はそれぞれ席は立ったものの、トイレに入って出て来ない本田さんに声をかけていたようで、その時にはまだ返事が返って来た。と証言している。私が用を済ませてもう一度席に座り、やや暫くした頃に悲鳴があがったのだ。私が何食わぬ顔して殺した、と言われても仕方がない……のだろう。
 犯罪は犯していないから完全な冤罪なわけだけど。と他人事のように壁にかかっているアナログ時計を見ると、菊さんの定時まで残り四半刻を過ぎていて、何度も時計を見ては溜息を吐くのを繰り返している。此処から迎えに行くと菊さんを待たせてしまう事になる。この事件を早々に収めたいなら、警察に捕まるのが一番早いのだが、そんな選択肢は最初から持っていない。

「あの女がやったのよ!!」
「山田さん、落ち着いてください。そんな証拠は何も……」
「だってあの女が出て来てから沙織は返事をしなくなったのよ?!」

 灰色の脳が欲しい。といよいよ本格的な現実逃避をし始めた時、色素の薄い髪の男が動き出した。徐に警察に近づき「僕、犯人がわかりました」と笑みを浮かべたのだ。警察は男の発言を怪しげな人物を見るかのような目で見るが、男の連れである女性が声を張って男の職業を口にした。

「彼、私立探偵で何度か事件も解決しているんです」
「安室 透と言います」

 そこからは膠着した時間を取り戻すようにあっと言う間に事件が解決した。私を散々責めていた山田さんが犯人だったようで、私は濡れ衣を着させられるところだったのだ。なんと惨い。と言葉にしても、左右警察に挟まれて警察車両に乗せられる姿を見れば、とてもじゃないがそんな事を言う気持ちにはなれなかった。項垂れている女性は犯してしまった罪の重さ故なのか、激情していたさっきまでと違い、酷く足取りが重たい。

 そんな彼女を見ていると、事件を解いてくれた男性が店から出ようとしているのが視界の端に映った。お礼を言わないと、と早歩きで男に近付き声をかけると、男は驚きはしたものの、すぐに笑顔を浮かべ、連れの女性に先に行くように促した。

「すみません。お急ぎのところ」
「いえ。貴方は一ノ瀬さんでしたね。災難でしたね。事件に巻き込まれてしまって」
「えぇ、まぁ……先程は事件を解決して下さりありがとうございます。何かお礼をさせてください」

 そう言うと、安室さんは両手を軽く上げて困ったように眉尻を下げて笑った。
 人当たりのいい笑い方だ。性根がいいのだろう。押せば受け入れてくれそうなタイプの人間に見えるが、実際はどうなのかわからない。

「いえ、探偵として当たり前の事をしたまでですから」
「ですが私は貴方に依頼していたわけではありませんし、此処でお礼を出来ずに帰った等と旦那様に知られれば怒られてしまいます」

 これは狡い言い方だと自分でも思う。この男は連れの女性の前に立ってあの状況から離そうとしていた。紳士的な面があるのだろう。と踏んで旦那様に叱られると言ってみた。実際菊さんから叱られる事はない……と思う。お礼の言葉は言えたが、品は贈れなかった。と言えば納得してくれるだろう。
 それこそ、少し困ったように「そうですか」と笑うに違いない。

「あ、それでしたら、僕ポアロという店で働いているんです。よろしければ今度いらしてください」
「ポアロって、米花町の毛利探偵事務所が入っている建物にある……?」
「はい。それと時間は大丈夫なんですか? 急ぎの用があったんじゃ」

 成程。あそこの店員さんだったのか。と頷いていると、安室さんは殺害現場となってしまった喫茶店の壁掛け時計に視線を向けた。つられて視線を時計に向けると、どう足掻いても菊さんとの待ち合わせ時間に遅刻する時間だ。
 これはいけない。と安室さんに向かって勢いよく頭を下げ、ポアロに行くと約束し、喫茶店から飛び出すように外に出た。近くに車を停めているとはいえ、菊さんの職場に行くのに時間はかかる。赤信号になったタイミングで菊さんに電話をすると。三回目のコール音の後に耳馴染みのある声が耳元で響いた。

“はい”
「菊さん! すみません。時間内に着けそうになくて……近くに着たらまた電話をしますので、建物の中で待っていてください。家に向かって勝手に帰ったりしないようにお願いします!」
“ふふ、桜乃さんは心配性ですね。わかりました。ゆっくりで構いませんよ”
「前科が沢山ありますからね。安全運転で至急向かいますので」

 伝えたい事だけ伝え通話を切ると丁度良く、信号が青に変わり、手に持っていたiPhoneを助手席に投げやりアクセルを踏む足に力を入れた。

 


小鹿