それを何と言うのだろうか


 六日七晩眠らずに過ごせば奇跡を見せると言った起こらなかった。それはギルガメッシュが六日目の晩に眠りについてしまったからだ。
 この箱庭に老人以外何もない。神が創りし野山はこれは良いと目を楽しませていたものの二日で飽き、舌鼓を打っていた果実や魚も次第に楽しませる存在ではなくなり、飽きが回り横になった六日目の晩。アンナは寝息を立てているギルガメッシュを発見しそのまま三日放置した。

「起こさないのですか?」
「どうして」
「貴方様はギルガメッシュ王を気に入っているように見えましたので」
「……気に入ってはいないわ。アレは選択を間違えたもの」

 そう。ギルガメッシュは選択を間違えた。半神半人の男は神であることを捨て人間として生きることを決めたのだ。その瞬間、アンナは己の存在理由と己の役割について理解をしたのだ。
 ただ、そうして己が神であるにも関わらず人の女の腹から生まれたのか、それだけがわからなかった。

「お前は知っているのか。アレが不老不死を求めるに至った訳を」
「はい。私は長い間この楽園よりメソポタミアの歴史を眺めて参りましたので」
「であれば話すがいい。この私が生まれた理由を。私は何の後継機なのだ」

 老人は語った。ウルクを治めていた暴君は神々に向かって宣言した「神と決別し人の世を作る」と。神々は怒り、悲しみ、嘆き、そうして神々はギルガメッシュを神々側に戻そうと泥から人形を作った。その名をエルキドゥ。暴君に成り下がっていたギルガメッシュがエルキドゥを気に入り旅に出たこと。エルキドゥと出会って暴君は政を正常に回し、民は歓喜しエルキドゥを称えた。しかしイシュタルが天の雄牛――グガランナを放ちこれを屠った罪でエルキドゥが元の泥になったことを。

「私はそのエルキドゥの後継機、泥が駄目なら同じ半神半人を作ったってわけね。お父様ってちょっと頭が悪いのかしら」

 イシュタルの件にしたって判断が良いとはお世辞にも言えない。
 だが、ジウスドゥラの話を聞いてアンナは己の成すべきことが正しいことなのだと再認識することは出来た。

 ――私の使命は、ギルガメッシュを裁くことだわ。
 それが作られた存在意義であり、女神としての在り方である。

 神々はたった一人の男の為に神を創ったのだ。であれば、その意思を引き継ぎ正しく仕事を熟すべきだろう。

 アンナがひらりと飛び、青草の上で横になって寝息を立てている傍らに降り立ってそのまましゃがみ、ギルガメッシュの頬を指の背で撫でた。
 キメ細かい肌は抵抗がないかのようにするりと指の背が頬の上を滑り、そのまま首筋に指先が触れるもギルガメッシュはまるで術に掛かっているかのように起きる気配を全く見せない。

「どうしてお止めになったのですか?」

 二度目の問いだった。
 アンナはそのまま青草の上に腰を落ち着かせて青空を仰ぐように首を仰け反らせた。

「…………此処は、気持ち良い場所だわ」
「はい」
「でも間違っている。時間は平等に与えられそれを享受する器に差があるのよ。それに抗うのは罪だわ」

 世界という時間と空間から切り離されたこの楽園自体が罪の象徴である。故にアンナはこの楽園を毛嫌いしているし、ギルガメッシュが不老不死の霊草を手に入れることだって反対だ。
 もっと言えば、神々から離れることだって納得していない。

「貴方にも、この人にもそれ相応の罰を与えるから楽しみにしていることね」
「エンキ神より与えられた祝福を罪と申されますと、貴方様にも罰が下ってしまいます」
「何を言っているの? 私は裁きの女神よ。エンキが何よ、関係ないでしょ。そんなもの」

 ギルガメッシュが起きていれば姉妹揃って我儘な所がそっくりだと言っただろうが、生憎今は夢の中だ。一体いつまで夢の中にいる気なのだろうかとアンナがギルガメッシュの顔を覗き数秒、整った顔を眺めているとゆっくりと瞼が開き、深紅の瞳が姿を現した。
 寝ぼけ眼で数秒アンナの顔を見つめていたギルガメッシュも、意識が覚醒すると同時に己の状況を理解したらしく、勢いよく上半身を起こしたと同時に右手でアンナの頭を鷲掴んだ。

「痛たただただ」
「……今は何日目だ」
「痛たただただ!! 痛いってば!!」
「さっさと答えぬか貴様。まさか、我が寝ていたのをそのまま見ていたわけじゃあるまいな」

 そのまさかだ。アンナは横になって深く眠っているギルガメッシュを三日程度放置した。その間何をしていたかと言えば、ジウスドゥラの昔話を聞いたくらいで他には何もしていない。空を飛んでみたり、木に実っている果実を口にしてみたり、川を泳いでいる魚や野を駆けている小動物にちょっかいをかけてみたりと生産性のない日々を送っていた。

「寝たのはギルガメッシュの責任でしょう」
「ぐっ……!」
「それに私は貴方の意見には反対だもの、妨害する理由はあっても協力する理由なんて何処にもないでしょう?」

 既に力の入っていない手を退かして深紅の瞳を覗き込めば、切れ長の眉尻がピクリと跳ねあがった。隠しもしない苛立ちを抱えながらも威勢のいい反論をしないのはそう言うことなのだ。
 それをいい気味だと口の端を上げるアンナを前にギルガメッシュはジウスドゥラを見つけ、杖をついている老人を見据えて目を細めた。笑っているわけでも怒っているわけでもない。ただ、ジウスドゥラの判定を待っているのだ。己の感情を極限まで殺しているギルガメッシュを見て人々は何を思うのだろう。

「ウルクの王よ、貴方は私との約束を違えました。故に貴方様に奇跡をお見せすることは叶いません」
「…………そうで、あろうな……」
「ですが、若返りの霊草なら知っております」

 恭しくもギルガメッシュに頭を下げるジウスドゥラは一つの希望を模索する王に与えた。
 不老不死にはなれずとも、その命を長引かせることは出来ると夢を与えた。

「ジウスドゥラ!! 貴様!」
「女神エンヘドゥアンナよ。人はいずれ不死を求めるでしょう。それが今なのです」
「そんなの認められるわけが――」
「それは何処にある」
「地上で最も低き場所にあると聞いております」

 それを聞いたギルガメッシュはすぐさま立ち上がり、楽園から出て行こうとジウスドゥラに背を向けた。
 しかしすぐに足を止め老人の名を呼んだ。

「粘土板と窯を出せ」
「ご意思のままに」

 加工前の粘土板を手にしたギルガメッシュは、それに文字を書き込みジウスドゥラに手渡した。
 その横でアンナがジウスドゥラに裁きを与える。

「ジウスドゥラ、貴方には罰を与えるわ。此処を出て冥界の働き手となりなさい。そうして貴方の罪が許された時、貴方はあの槍監の一つとなるのです」
「女神の意向のままに」

 老人は一筋の涙を流すと少女の姿をしているアンナに向かって頭を下げる。次々と流れる涙はギルガメッシュから手渡された粘土板に落ちた。それはまるで時間の果てまでも続く呪縛から解き放たれたような安堵感を伴って、いつか来るであろう死に対し拒絶するのではなく待ち遠しいと涙は語っていた。
 楽園――深淵から帰るのはいたく簡単だ。来る時に開けた穴から出ればいいのだ。ついでにエレシュキガルのいる冥界も素通りすれば面倒なことにならず、一石二鳥というもので、アンナはギルガメッシュを抱えて冥界からクタ市に降り立つと、ギルガメッシュは暮れなずむの空を見上げすっと息を吸った。

「決めたぞ。我は霊草を手に入れ肉体の滅びを止める」
「……なんでそこまで死を恐れる必要があるの?」

 茜色に染まる景色の中、背中に影を作るギルガメッシュを見てアンナは首を傾げた。
 死が生命の活動の停止を示しているのであればアンナには理解の出来ないものだった。アンナの身体は人のものなれどその中身はメソポタミアに存在する神たちとなんら変わらない。故に死という概念がない。

「人は生まれ、栄え、いずれ滅びる。時限的な肉体は幾ら屈強であろうが間違いなく終わりがある。偉業を成せば、功績を残せば、愛する者を作ればそれらを手放して朽ちてゆくのだ。これをどうして恐れずにいられようか」
「人間は不完全なものだわ。それを今更足掻いたところで不完全は不完全しか生み出さないわ」
「だからお前は駄女神なのだ。いいか。人は不完全なのではない、未完成なのだ」

 確かに人は不完全な生き物だ。神とは違い寿命があり労働力としての機能しかない。何も出来ない木偶の棒が人間であり、それに施しを与えるのが完成された存在である神だ。
 それだというのにギルガメッシュは人間を未完成な生き物だと呼称した。その意味が分からずアンナは夕陽色にも負けない深紅の瞳を見つめた。その真意を見定める為に。

「人は神から知恵を与えらなくとも己で考えることが出来る。年代を重ね、時代を超えて、進化を遂げていく。それはお前たち神には出来ないものだ……人に完成なんてものは存在せず、完成に近付こうと藻掻き、足掻き、苦心し、求める。故に未完成なのだ」
「進化をし続けるから、未完成……私にはいつの時代の人間も変わらないように思える」

 神として産まれて間もないけれど、それでもわかる圧倒的な生命体としての違い。深い渓谷のような溝はこの先何千、何万年と時間をかけても埋まることなんて絶対にない。それなのにギルガメッシュは人間は進化していくと言ったのだ。
 であれば、私は見定める必要がある。その進化――神から離れ人間の世界を築くことが果たして正しいのかを。

「わかったわ。その若返りの霊草が人間の進化とやらに必要なのかどうか、私が見定めて裁いてあげる」

 アンナ――エンヘドゥアンナは全てを裁く女神なのだから。