楽園の淵に立つ


 ――落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて落ちて、そうして落ちる。
 何処まで続くのかもわからない深淵。光さえ届かない奈落に果たして底などあるのだろうか。背中から感じる風は永久に続くような気すらしてくる。
 嗚呼。このまま落ち続けて、そうして、カタチを失くしていくのだろうか。方向感覚を失い、暗闇の視界を手放し、落ちていく感覚に希望を捨て、そうしてゆっくりと手放すのだ。明日という朝陽を忘れて宵闇の中で息をしていくのだ。

 ――これが人であるのならば。

「ギルガメッシュ!!」

 声を張り上げ人の名前を呼んだ。
 何処もかしこも暗く何も見えずギルガメッシュが何処にいるのかもわからない。声が届く範囲にいるのであれば、この手が届くかも知れない。

「早く我の手を掴まぬか! この駄女神!」
「ッ! 助けてあげないわよ!」

 声は案外近くから聞こえ、必死に腕を伸ばすもギルガメッシュの何処かに触れることすら出来ない。こっちから聞こえて来た筈なのに、手が届かない場所にいるんだ。そうなるとこの宵闇の中で見つけるのは至難の業だ。

 だったら明るくすればいい。僅かな時間だけでも瞬きの間だけでも光が差し込めばギルガメッシュが何処にいるかはわかるはずだから。

「命ずる。星海よその声を響かせろ。我が名はエンヘドゥアンナ。天明の星は明星の暁ならば、我は宵闇の混沌に七剣星を翳さん」

 光が届かぬのなら轟かせればいい。ついでにジウスドゥラの居場所もわかる方法だ。アンナは策を巡らせ一つの可能性を見出しそれに賭けた。
 星のマナを使用するこの力はアヌより与えられた権能の一つだ。ギルガメッシュの探し人を探す時に使用したこれはアンナの星読みの能力。
 あの時は天空の星を利用したが今回は違う。この深淵がスクロール上にあるから使用出来るマナの光。

 アンナが頭上に向かって腕を伸ばし、天に向かって掌を平行にさせるとマナの残滓のような頼りない光が掌の上に集まってきた。

 もっと、もっと。
 まだ足りない。こんな量じゃ導けない。もっと! もっと!

 メソポタミア大地だけじゃ足りない。一つの星だけじゃ足りない。そうなのであれば天にまで続く大きな穴を開ければいい。

「――大いなる滅びを与えんゲート・オブ・ゲヘナ

 胸部の真ん中が光だし、炎の玉が胸の内から浮かび上がる。次第に大きくなっていく火の玉はアンナの顔よりも大きくなると、真ん中にある重力に引き寄せられたように刹那的速さで握り拳よりも小さくなった。

「行っけぇえ!!!」

 凝縮された火の玉が方向のない深淵の中を突き進んでいく。ギルガメッシュはトップスピードで飛んでいく火の玉を視界の端に捉え目で追いかけた。
 火の玉が完全に見えなくなってから瞬きを一度。強烈な爆発音が聞こえ地面が崩壊する音が二人の鼓膜を大きく震わせる。

「ほぅ」

 爆発音は一回だけに留まらず、再び地面を轟かせる音を響かせた。

「――命ずる。星海よその声を響かせろ。我が名はエンヘドゥアンナ。天明の星は明星の暁ならば、我は宵闇の混沌に七剣星を翳さん」

 穴に向かってアンナが掌を向ければ、いつかのように星屑の粒子が集まり目が眩むほどの球体を作り上げる。それを胸元に近付け息を吹きかける己の魔力を移し、星のマナと混じり合うと光の球体の中から深淵に空けた大きな穴に向かって伸びる。

 その一瞬、奈落の中で二人の視線が絡み合った。

「ギルガメッシュっ」
「この我を待たせるとは、貴様何様のつもりだ」
「何よ。助け甲斐のない王様」

 手を伸ばしても到底届かない二人の距離。遮るものが何も無かったから声が届いていただけで、アンナとギルガメッシュの距離は随分遠く離れていた。
 光が失ってしまう前にアンナがギルガメッシュの方に向かって飛び、ギルガメッシュはそれに応えるようにアンナに向かって手を伸ばす。

 深淵からは見えぬ月に到着した光が跳ね返ってくる刹那の暗闇の中、アンナは暗闇にのまれたギルガメッシュに向かって目一杯腕を伸ばす。もう少しなのか、まだ先なのか。それすらもわからない果てのない暗闇。導きの光が深淵に一筋の光を作りだす。
 瞬間深紅の瞳がアンナを射抜いた。

 己の手とは違う筋肉質で硬い手がアンナの手を掴み引き寄せる。
 緩く落下していく深淵の片隅なのか真ん中なのか分からない暗闇の中、二人は漸く再び互いの手を取り合うことが出来た。――これまでも互いの手を取り合ったことなどは特にないが、アンナにとってこの瞬間は漸くと表現するに相応しいものだった。

「あの光の先にジウスドゥラがいるのだな」
「間違いないわ」

 光の筋だけを残して彼方へ消えていく道標の先には扉が一つ。この扉の向こうにジウスドゥラがいる。そんな確信を持ったのはアンナだけじゃない。ギルガメッシュは何も言わず、否、何かを発するという行為を忘れてしまったかのように扉を開けた。

 光が届かない暗闇に慣れ切った目に痛いくらいの光が容赦なく射し込み、アンナは咄嗟に目を光から守るように手を持ち上げるも、指の隙間から漏れる光が余りにも強く目を閉じた。
 強烈な光が落ち着きゆっくりと目を開ければ、今まで見たことのない景色が広がっていた。

 絨毯のように柔らかい草はどれも青々をしていて、近くを流れる小川は光を反射し輝いている。遠くを見れば色んな色の果実が生っている木が幾つもあり、更に遠くの方では山並みが見える。小鳥の泣き声が耳を掠め、見えないが他にも動物がいるのだろう。
 まさにここは楽園という名に相応しい空間だ。

「ここに、ジウスドゥラがいるのね」
「……そのようだな」

 とある一点を見つめて話すギルガメッシュ。その視線の先に何があるのかと見れば、一人の老人の姿がそこに在った。
 木の杖をついて腰を丸めて立っているその老人はアンナの目に異質に映った。痩せ細り骨が目立つ手の甲に男にしては薄い肩がローブの上からでもわかる。不老不死をエンキより与えられたにしては、ジウスドゥラの姿は死に近い。

「ようこそおいで下さりました、ウルクの王よ」
「貴様がジウスドゥラだな」
「こんな老いぼれを探しに深淵にまで来るとは……何用でしょうか?」
「全てを見通すこの世の賢者である貴様に問う。不老不死とは何だ。貴様は何故不老不死になった」

 憤りと希望と後ろめたさを無理矢理押し込んだような声だった。何に怒り、どんな希望に縋り、何から目を逸らしているのか未だアンナにはわからない。だが、ギルガメッシュが“不老不死”を求めているということだけは理解出来た。都市国家を支配する王としての立場を手放したくないのか、興味故の気紛れなのか、それを判断することもアンナには出来ない。

「……王よ、不老不死をお求めになる理由は何でしょう」
「――人は生まれいずれは死に至り、魂と身体が引き剝がされる。冥界の槍監の中で輝くだけの存在となる。これがどうして許せようか。我はそれを認められん。故に貴様を探し求めた。ジウスドゥラよ、答えよ。その命の根本は何処にある」
「ウルクの王よ。私は全てを真実に話します。この身は神の祝福であり私自身望んで手に入れたものではありません」
「神の祝福だと? 大洪水の功績故に与えられた褒美であり奇跡であると、そう言っているのか……!!」

 老人のローブを掴み引き寄せたギルガメッシュの整った顔が怒りで歪んでいる。首元を締め付けられている老人が苦しく息を吐き出すも、ローブを掴むその手が開くことがない。
 ジウスドゥラによって憤りと絶望が同時に与えられたギルガメッシュは、大きな舌打ちをすると同時にジウスドゥラの首元を締めていた手を振り払うように離した。覚束ない足取りでゆらりとギルガメッシュから三歩程度離れたジウスドゥラは両膝を地面に付け息を整ている。

「それ以外の方法はないのか!」
「でしたら、六日七晩寝ずにお過ごしください」
「なに?」
「そうすれば私めが貴方に奇跡をご覧に入れましょう。六日七晩、これを守ってくださればの話しです」

 多分ギルガメッシュはこの話をのむのだろう。アンナの予想通り人の王は六日七晩目を瞑らぬとジウスドゥラに誓った。

 二人の話に口を挟まず、ただギルガメッシュの背中を押し見つめてたアンナは不意に肩越しに“楽園”を覗いた。
 ジウスドゥラの為だけに用意されたこの世界は、地上とは違う独自の時間があるようだが、成程確かにジウスドゥラは不老不死になるわけだと空を見上げた。

 この空間は狂っている。この世の理の中にありながら、この世の理から外れている。
 一秒が一時間――否、十年のような時の流れ。
 作りものの空に作りものの動植物。これを人は自然と呼ぶのだろうか。神の箱庭と呼ぶのだろうか。
 神が可愛がる為だけに作られたこの空間は“楽園”なのだろうが、その中に住まうのは罪である。

 不老不死のジウスドゥラ。その男の正体は生きながらの屍人だ。

 ――嗚呼、なんて許し難い。