見定めしは王なれば


 ヌジに着いて腹ごしらえをし、さて、霊草——シーブ・イッサヒル・アメルを知っている人間、つまり染料の取引をしている業者か、カナン人を見つけなければならないが、顔の違いで区別出来るほど遺伝子が遠いわけでもない。手当たり次第道行く人に「カナン人ですか? 知りませんか?」なんて聞くわけにもいかず、さてどうしたものか。とふわりと飛んでいれば、隣に立っていたギルガメッシュが何も言わずに、何処かに向かってふらりと歩き出す。
 置いて行かれまいとそのすぐ後ろを浮遊していれば、商店が立ち並ぶ路地に辿り着いた。

 ——色んな露店が出ているのね。

 ウルクではまともに街も見ることが出来ないまま連れ出され、挙句の果てには冥界やら深淵やらと地下に潜り、出て来たと思いきや移動の連続。街の中を通ることはあっても、物資の補給と聞き込みが主であって、ゆっくりと街を見ることなんてあまり出来ないでいた。
 今回も何かのついでであるが、商店を少しは見て回れるかもしれない。——そんな淡い期待を裏切るようにギルガメッシュは一人の男に声を掛ける。ぼんやりと周りを見ていたアンナの耳に二人の会話は聞こえなかったが、話し掛けられた男は顔面蒼白した後、引き攣った笑いを浮かべ忙しなく唇を動かす。それを仁王立ちしながら耳を傾けるギルガメッシュの尊大たる態度は、自身の王権がない地域であっても、自国の王のように振る舞う。自分以外の人間は皆、自分の下に仕えるべきなのだと信じて疑わない、そんな普遍的な立ち居振る舞いは恐らく死ぬまで変わらない。
 それが支配者たる生き物ギルガメッシュという男の在り方なのだろう。

 自分を強く信じれる心というのは、人の心に生まれた時から備わっているものではない。心の寄る辺がなければ、ヒトという不完全な生き物は前を向いて生きていけない。自分の理解を越える自然の摂理を前に、神ではない生き物はどうしようもない恐怖を抱くことしか出来ない。知性もないくせに原因を探ろうとするのだ。だったら、それらを全て“神の所為”“神の気紛れ”“神の怒り”そう考えて、信仰し導かれ守られていればいい。

 そうしたらずっと幸せにいられるのに。苦しい道を歩まなくていいのに。
 なのに、どうして、この男はウルク市民を巻き込んで神と袂を別とうとするのか。

「……馬鹿な王様」

 独り言ちた呟きは乾いた風に攫われ、そこまでも広がる青い空に消えていった。









「移動するぞ」

 その一言でアンナの散歩にも満たない徘徊は終わりを迎えた。どうやら早々にカナンに行くルートを聴き出したらしい。なんと手際が良いと皮肉を込めて伝えれば、ギルガメッシュは「当然だろう」と文字通り褒め言葉として受け取った。
 この金ピカには皮肉は通じないのか。これは誤算。アンナは本格的にメソポタミア大地を出ることに抵抗らしい抵抗をすることも諦め、果たしてどのくらいの旅になるのか。とぼんやりと空を見上げてみるも、数十分前に見た空と殆ど変わらない青が広がっているだけだ。

「空を見上げたところでアンが答えてくれぬだろうよ」
「わかっているわよ。多分、癖になっているのね」
「フン、くだらぬ。貴様といいイシュタルといい、親離れが出来ぬらしいな」
「親離れ、かぁ……シドゥリに会いたいなぁ」
「…………今頃、ウルクは滅びているかもしれんな」

 支配者が、先導者がいなくなった地域に何十年と住めるわけもない。なまじ、ギルガメッシュは圧政という政を行っていたのだ。後継者なんてものを育てているとも思えない。そうなればウルク市民は居を移すしかあるまい。
 ——事実上の滅亡だ。

「悲しい?」
「なんと言った?」
「自分が支配していた都市が滅びて、帰る場所が無くなったのだから、もう、何処にも帰れない、でしょう。人はそれを悲しいと思うんじゃないの」

 深淵の楽園で十年以上の時間を過ごしていただろう。もっと、時間が流れていたかもしれない。人がいなくなった街は荒廃し、ウルクには荒れた大地しか残っていない。今まで自分が、先祖が築き上げた全てが失われているのだ。それを目の当たりにして泪を流さない人はいないだろう。
 アンナなりに人に寄り添ってみた結果の発言だったわけだが、ヒトという枠に当てはまらないのがギルガメッシュという男だ。

「ハハハハハハッ!! 思うわけがなかろう!」
「…………なんて?」
「帰る場所があるのではない。作るのだ。そして我にとってウルクとは、我がそこに王権を持ってこそウルクという都市になる。人がいようといなかろうと、ウルクとは、我がそこに立つだけで存在するのだ」
「えー、と、つまり?」
「ウルクをまた作ればいい、ただそれだけの話だ」

 簡単な話だとギルガメッシュは言うけれど、一つの都市を一から創るというのは想像するよりもうんと大変なことに違いないはずだ。王がいて、民がいて、経済が回り、土地を肥やして、文化を作る。そうして歴史を作って後世にウルクという都市を残していく。
 それらを“それだけの話”と片付けるギルガメッシュという男の在り方を、私はまだわかっていないようだ。
 隣に腰をかけてロバの手綱を握るギルガメッシュを横目に見る。深紅の瞳に映る世界はどんな姿形をしているのだろうか。その景色を私も見てみたい。
 口の端を緩く上げ、一先ず今は眼前に広がる景色を眺めていよう。今、この瞬間だけは同じ景色を見ているはずだから。

 ——迎えた夜。適当に持って来た枯れ枝に火を点けて焚火にし、ヌジで貰って来た食料を適当に食べる。
 荒野の中でぽつりと留まる荷台の中でギルガメッシュはアンナを抱いて目を閉じた。

「ねぇ、ギル」
「……なんだ」

 ギルガメッシュの胸板に額を当てていたアンナが、気怠いげな動きでゆっくりと離れ、朧げな双眸で深紅の瞳を隠しているギルガメッシュを見つめた。規則正しく肩を上下に動かす男は、一瞬だけ寝たふりをしてやろうかとも思ったが、普段とは違う懐かしい呼び名に違和感を覚え、片目だけ開き間近にいるアンナを見やる。

「前にね、星読みをした時に、未来が見えたの」

 初めてジウスドゥラの居場所を探ろうと星を読んだあの日。楽園で佇む老人の他に、断片的にギルガメッシュの身体が射抜かれ、血飛沫が上がりそのまま倒れるものだ。
 あの時は別に何も思わなかったが、同じ景色を見てみたいと思った今、阻止出来る未来なのであれば、阻止してみせようとまでアンナは思い始めている。

「それがなんだ」
「貴方がまた傷付く未来だったわ。だから、私が、守ってあげる。貴方が未来で創るウルクの都市神として、ね」

 ——だから安心して眠りなさい。

 ギルガメッシュの腕に抱かれて横たわっているアンナの口ぶりは、まるで子供をあやしている母親のもので、ちぐはぐな状況にギルガメッシュは一瞬、双眸を大きくするも、くだらぬと一蹴し瞳を閉じた。
 瞳を伏せたことでより強調される長い睫毛。動かねばこの世が生み出した最高傑作の造形美とも神々に賞賛されるが、如何せんあの性格故に、エルキドゥを作り、後継機としてアンナが生まれた。それでもこの男は神と袂を別とうとする。否、エルキドゥが神によって殺されたからかもしれない。不信は信仰を阻害する。それは目に見える神であろうとも同じだ。
 そこに神がいようと、信仰されねばなんの意味もない。信仰は力だ。故にこのままギルガメッシュが人の世界を創れば、神々への信仰は廃れ、人と神を繋ぐ道が閉ざされてしまう。そうなってはやはり人間にとって導く存在がいなくなるのと同義だ。

 だったら、私が天界と人とを繋ぐ架け橋になる。
 私は天の主人アヌから天において讃えられる女主人エンヘドゥアンナと名付けられた女神、裁きの女神。ギルガメッシュの行く末を見定めるまでは、私が裁きの女神として無関係の人間を守ってあげないと。
 そうですよね? お父様。

 己の背中に回る腕の熱に目を閉じる。
 そうしてアンナはギルガメッシュに向かってほくそ笑む。

 ──あんたなんてそのついでなんだからね。