王者の紫


 カナンまでの道のりは大凡二週間。その間、都市で宿泊することもあったが、大半は野宿だった。
 ギルガメッシュへの貢物で腹を満たし──とはいえ、アンナにとって食事は不要なものだが──二人で身を寄せ合って眠った。
 そうして朝陽に瞼が刺激されて目を覚ます。軽口を叩き合いながらロバ車に揺られ、目的地を目指す。
 その間、アンナは夜空を眺めては眉間に皺を寄せる。星詠みで見える未来が限りなく鮮明になっていくからだ。

 最初はギルガメッシュが何かに射抜かれるだけだった。その周りは白く、ただギルガメッシュという存在だけが浮いていた。だが、次に見た時、ギルガメッシュを射抜くものが大きな剣であることがわかった。その時は緑が生い茂る中に一人倒れるギルガメッシュの姿が見えた。青々としている草花が真っ赤に染まっている。
 せめて、どこであのギルガメッシュが討たれるのかだけでも知りたいが、星詠みは気紛れなのか、アンナの力が不足しているのか、断片的な情報しか与えられない。

 ──なるべくしてなる未来なのか、変えられる未来なのか。

 星座を指先でなぞるアンナにはどちらが正解なのか、判断することが出来ぬまま、最後の夜を過ごした。

 一面の荒野から緑が生い茂る景色に変わり、気が付けば随分と背の高い木々が道の左右に聳え立っている。ロバが牽く荷車の中でアンナは、肌に張り付く空気がじんわりとひりつくのを感じていた。土地柄の問題なのか、神の問題なのか、おそらくそのどちらもなのだろう。異国の神という存在をこの地域の神が受け入れるわけもない。
 殺気と呼ぶにはあまりにも生ぬいが、歓迎というには些か鋭い棘がある。

 ──こんな異界の地で何もしないわよ。失礼ね。
 そんなアンナの呟きは口の中で溶けるだけだった。

 ガラガラと音を立てながら荷車が前に進む。ヌジとの貿易の関係もあり、道はちゃんと整備されていてカナンの中心部までは迷うことなく行けそうである。ロバの為の休憩をいくつか取りつつも、ギルガメッシュとアンナはカナンの地に足を踏み入れた。
 中心街は流石の賑わいで、メインの通りには店先の露天が左右向かい合うように列を成している。聞き慣れぬ言葉に本当に違う都市に来てしまったのだとガックリと肩を落とし項垂れる。居心地の悪さを覚えながらも、この暴君の為についてきた自分はなんて慈悲深いのか、と気持ちだけでも盛り上げていれば、緑色の天幕が張られている露店が目に入った。
 白い髭を長く伸ばした老人が様々な色の布に埋もれるように座っている。アンナは隣に立っているギルガメッシュの手を握り、老人に向かって指をさす。

「あれなに?」
「あれは生地屋だ。おおかたああやって生地を店先で売って、店内で衣服を作っているのであろう」
「ふーん。少し見ていくからついて来て。私こっちの言葉わからないし」
「断る。何故我が貴様に付き合わねばならんのだ」
「良いから行くわよ」

 男の手を握ったまま露店商に近付くと、無理矢理引っ張られたギルガメッシュが、一つの商品に目を留め、アンナに轢きづられる形ではなく自らの足で白髭と蓄えた老人の顔に影を作った。

「それはツロのものか」
「はい。そうでございます」

 地面に腰を下ろしていた老人は体が重たいらしく、ギルガメッシュの姿を見て只人ではないと無意識に感じとったらしく、恭しく地面と額を近付けて答える。
 ツロというのはどういう意味なのかもわからないアンナは、自発的に店内に入って行くギルガメッシュの後ろをついて行くだけになってしまったアンナは、チリンと小さな音が耳を掠めたのもさして気にしないまま、毛の短い深い赤色の絨毯の上を歩きながら様々な布が飾られている店内を忙しなく目で追い、店の奥に飾られている紫色を見つけて目を留めた。

「ほう、それに目をつけるとは、貴様案外目が良いではないか。腐ってもあのイシュタルの妹ということか」

 最も、あの女も貢物としての価値ちかわかってないだろうがな。と付け加えたギルガメッシュは、徐に紫の布に手を伸ばす。

「一着、お仕立て致しますか?」
「この店で最も王に相応しい紫を出すが良い。我が許す」
「かしこまりました」
「それと適当に何か作れ」
「お時間を頂きますが、よろしいでしょうか」
「七日だ。それ以上は待たん」

 仕立て屋に対し七日で一着作れというのだから、無茶な話にも程がある。浅黒い肌をした女店員、おそらくこの店の店主が困り顔で一瞬固まったが、ギルガメッシュの有無を言わせぬ態度を前に、ただ了承しました。と答えることしか出来ず、木の板で出来た物差しを取り出しギルガメッシュに向かって頭を垂れながら男の体に板を当てる。

「……なんでこのお店にしたの?」

 他にも露店はあったし、客引きをしていた老人だって綺麗ななりをしていたわけではない。
 最高品質を望むギルガメッシュらしからぬ行動に、アンナは首を傾げたままギルガメッシュに問えば、サイズを測る為に腕を伸ばしたまま、紫色の布を一瞥し鼻で笑う。

「あの露店に出ていた商品の大半は、我からしてみれば価値などないに等しいものばかりであったが、あの布、ツロの紫だけは一級品よ」
「ふーん」
「あの老人、ツロの紫に触れた者だけを正しい空間に入れ、それ以外を無価値な商品が並ぶ店に入れているのであろう。全くまわりくどいことをする」
「……あぁ、あの音ね」

 チリンと軽いあの音を合図に魔術が発動しているのだろう。と、なれば、ここは魔術師が経営している店で、かつ店で人を選ぶ権利を持っている老人は魔術師兼店主ということか。
 ただの老人ではなかった、ということか。
 確かに店先の露店にいる老人は地面に腰を掛けていたが、店の中には隙間なく絨毯が張られている。違和感があるといえばあったようにも思えるが、店の中にある商品に目を奪われていたアンナは、その違和感すら見落とし、考えればすぐにわかる質問をギルガメッシュに問いかけたということだ。その行為はアンナにとって恥であるが、それをそのまま態度に出せば、ギルガメッシュに揶揄われるのは目に見えている為、喉元まで出かかった悔し声をグッと堪えて口を開いた。

「まぁ、そんなのはどうでもいいわ。私にも何か一つ買ってよ」
「嫌だ。と言ってやりたいところだが、先ほどの貴様の顔は道化よりもうつけであった。なに、褒美にくれてやろう」
「こんのクソ野郎!」

 アンナの努力も虚しく、ギルガメッシュには心情を察せられていた上に、それを楽しまれていた。こればかりは堪えられなかったアンナは、我慢をするよりも先にギルガメッシュに罵声を浴びせたが、どこ吹く風で、男は高らかに笑うだけだった。

 採寸を終えたギルガメッシュの手元には、真っ白の布袋が一つ。それは手のひら大の大きさで、中から何が入っているのかわからないが、間違いなくギルガメッシュが求めた“最高級のツロの紫”なのだろう。染料か顔料、またはそれの同等品だろうが、どうせ粉を見たところで違いなんてわからないアンナは、その小袋への興味をすぐさま無くし、期待の眼差しをギルガメッシュに向ける。
 小袋の中身を確認し終えたギルガメッシュは、背後に出した宝物庫の中にそれを半ば放り投げるように仕舞い、気怠げにツロの紫に向かって人差し指をさした。

「あれもだ」
「かしこまりました。……お嬢様用、でお間違いないでしょうか」

 アンナの姿形は少女だが、中身は神だ。それをお嬢様、と口にするのはなんたる無礼かと一瞬で頭に血が上ったアンナだったが、宗教圏が違う国で神であるアンナが何かをするわけにもいかず、これまたグッと怒りを堪えたというのに、金色の髪を持つ男が、これはいいと肩を大きく振るわせた。

「よかったではないか小娘!」
「殺すわよ」
「よい、無理して虚勢を張らずとも良い。貴様に神の威厳なんてものは微塵にもない。それが事実だ。そこな女が間違えたのは姿形故ではない。貴様に神たるものがない故よ」

 声高らかに笑うギルガメッシュと、今にも人を射殺さんばかりの殺気を放っているアンナを前に、只人が冷静でいられるわけもなく、女は顔の色をごっそりと落とし地面に額を擦りつけんばかりに頭を下げた。

「大変、申し、訳、ご、ございません」

 その声は震え聞き取るのが難しいくらいではあったが、アンナの耳には女の言わんとしていることが入った。

「……私は、決して心が狭い神ではないわ。でも、二度目はないと思いなさい」
「私の体に間違いなくその寛大なお言葉が刻まれました。二度と、貴方様を侮辱する言葉を発しないと誓います」
「よろしい。顔をあげなさい。そして私に似合う髪飾りを」
「は、はい」

 ヒトの女の胎盤より生まれ出この方、自分の役目も何もわからない状態のまま着飾ることも出来なかったアンナだったが、己が何を為すべきかをわかった今、初めて自分を着飾る、もとい神格を整えたのだった。
 アンナの髪にはツロの紫と呼ばれる紫色のリボンが一つ。視界の端にリボンが見えるだけで口元を緩める幼い姿をした女神は、のちにキリスト教圏内から軽蔑と穢れの象徴である異名で呼ばれるようになったが、アンナに誓いを立てた女だけは、死ぬまでアンナの異名を口にすることはなかった。