指針を探す
ギルガメッシュがアンナを連れてウルクを出て一週間。
下半身に金の鎧を身に着け、上裸のギルガメッシュはアンナを小脇に抱えたまま旅をしていた。
目的はただ一つ。不老不死の霊草“シーブ・イッサヒル・アメル”を手に入れる為だった。
ギルガメッシュの宝、友人、理解者、相棒、兄弟。様々な関係性を築いたエルキドゥの死がギルガメッシュを突き動かした。死とは無縁の存在だった。常に圧倒的強者であるギルガメッシュには恐れるものがなかった。恐れという感情すら知らなかったのだ。
しかし心からの友が死に、初めてギルガメッシュは死を目の当たりにし、身近に感じたのだ。
――死ぬのは怖い。
誰しもが一度は抱く恐怖を、ギルガメッシュは初めて感じた。
生き続けられたら良い。人が営みを続ける世で。永遠に。
それこそが人の夢なのだと。
メソポタミアの大地は広大だ。見渡す先には一面の砂の大地。緑もあるが圧倒的に緑が少ない。舗装されている道はバビロンと比べて雑であり、荷台を引くロバが進む度に、木製の荷台が揺れている。
「あうあっ!」
「これしきの揺れくらい我慢しろ」
「ぎーるぅー」
まだ赤子のアンナは何かとギルガメッシュの名前を呼ぶ。ただの人であればしないような行為だってアンナは平然として行う。
例えば今、アンナはギルガメッシュの膝の上に座っている。その光景を見た御者の老人は、赤子の無鉄砲さに数秒意識を失い、慌ててギルガメッシュからアンナを取りあげ、自分の横に座らせた。
最初こそ「きゃっきゃっ」と喜び、目を糸にしていたアンナだったが、ギルガメッシュが近くにいないことを悟り、御者の太腿の上に乗っていたアンナがふわりと浮いた。
「えっ?! あっ! ちょっと!!」
「ぎーるっ!」
御者の上から荷台に飛び乗ったアンナは、四つん這いになり、小さな手足を動かしながらギルガメッシュに近付く。
他人がみればアンナの可愛さと懸命さに、思わず「頑張れっ! あとちょっと!」と応援するだろうが、ことギルガメッシュにそんな人間らしい感情なんてものは持ち合わせていない。
「寄るな。童」
「やー」
一所懸命、短い手足を前に出して進むアンナの動きを妨害するように、ギルガメッシュの人差し指がアンナの額に触れる。すると、アンナが悔しげに顔を顰めた。
どんなに前に進もうとしても、押し返す力が強く、面白くないほど前に進まないのだ。
「やぁー! あ!」
「フハハハッ! さぞ悔しかろう! だがな、我は気分が良い!」
容赦ないな、この王様は……。と御者が内心アンナに同情した。
幼い考えでは一度離れてみる。というのは考え付かないのか、アンナは首を反り返らせながらも前に進もうと足掻いている。そんなアンナを嘲笑うように――否。嘲笑いながら見下すギルガメッシュ。我が王は、幼女を虐げる趣味でもあるのだろうか。とバビロンの行く末が心配になる御者と別れて、二人はとある町に辿り着いた。
クタと呼ばれる街だった。
何故このクタ市に? とアンナは首を傾げながらギルガメッシュを見上げた。
その視線を知ってか知らずか、ギルガメッシュはアンナに説明するようにクタの街を眺めながら説明した。
「ウルクがイシュタルの都市だとすれば、此処クタはエレシュキガルの街。冥界に行くにはここが一番近かろうよ」
「あー、あっ!」
「何? そんなことは知っているとでも言いたいのか? 戯け。我とてお前が神であることくらい知っているわ」
そう。アンナが説明を求めたのは、何故冥界に行くか。ということだった。
ギルガメッシュの思いつきで、半ば誘拐されるように連行されたアンナには、ギルガメッシュの考えなど知る由もなく、ぐずるように、憎たらしい視線をギルガメッシュに送ることしか出来ない。
アンナの視線など痛くも痒くもないといった態度のギルガメッシュは、堂々たる足取りでクタ市の大きな通りを歩いている。何の前触れもなく表れた王を前に市民は頭を下げ、王が己の眼前を通り過ぎていくのを息を殺して待っていた。
もし万が一目が合ってしまえば、次に訪れるのは死しかないのかもしれないのだから。
国を導く偉大なる王で畏敬の念を向けるに値する唯一の王。だが、間違いなくギルガメッシュは暴君なのだ。
――だというのに……!
なんだあの幼い神は……!!
クタ市の人間は一瞬見た幼い神の姿に目を見張った。偉大なる王の隣を浮遊している幼子。人々は一目でわかった。新しい都市神が誕生したのだと。神々はまだ、この国をお捨てになってはいないのだと。
さて、ギルガメッシュは物見遊山するわけでもなく、真っ直ぐに目的地に向かって歩いている。時刻は夕方過ぎ。今から宿でも探すのだろうか。と首を傾げるアンナは初めて見るクタ市の景色に、忙しなく目玉を左右に動かしている。家の軒先に商品を並べる商人もいれば、荷車に小麦や葉物野菜を入れて移動している商人もいる。
他にも鎧を身に着け盾と槍を持って街を警備している兵士もいれば、路地に座り込む宿無しの人間もいる。
各々が、それぞれの役割を果たし、市内の活気を循環させている。
そこには確かに人の世だけに許された循環方法があった。
民家の窓から明かりが零れだした頃、ギルガメッシュは神殿の中に入っていった。
続くようにアンナがギルガメッシュの背中を追いかけ、肩越しに見た景色は女の園だった。
「食事と酒を用意しろ」
「はい。こちらでお身体をお清めくださいませ」
「そこな小娘の寝具も用意しておけよ」
「畏まりました」
困惑するアンナを他所に、ギルガメッシュが奥の部屋に消えていく。その途中、目に留まった女を呼び寄せていた。その光景を見てアンナは悟った。なるほど、此処は巫女処か……と。
古代メソポタミアの巫女と言えば、娼婦の役割も果たしていた。宗教上の儀式とされていて、神聖娼婦とも呼ばれている。
ウルクにいた時にアンナが育てられていた場所も同じ役割を持っている施設だ。
イシュタルのお膝元である施設は、寄進した人間に対し、神の活力を授ける目的がある。まさに、愛の女神に相応しい施設……。と体の良いことを言っているが、イシュタルへの貢物が途切れないようにするシステムである。
効率的。と言ってしまえばそれだけだが、イシュタルは父から与えられた役目も果たせて、己の欲も満たされて万々歳ってところだろう。
――私は、私の役目をまだわかっていないというのに。
どうして私はこの世に生み出されたのだろうか。それを知るのはいつのことなのか。私は父に何を求められているのかもわからないまま、あと何日この姿で息をしていくのだろうか。
虚無感に似た不安がアンナの小さな体を蝕んでいく。腹の奥からじわじわと、爪の先にまで。
神は人とは全く違う。人は役目がなくとも生きていける。それは、人の世の営みに意味なんてないのだから。意味もなく生まれ、その瞬間から死に向かって時間を進めていく。人の命には終わりがあり、やがて生から解放される。
神は違う。役目と共に生まれるのだ。果たさなければならない役目があるから生まれて来る。と言ってもいい。永久に役目を果たす為に生き続ける。その生に終わりなんてない。
沐浴が済んだアンナは神殿を出た。
巫女たちに外に出る。とは伝えなかったが、寝台で休んでいると思ってくれているだろう。丁度いい。少しだけでも散歩しておこう。
ギルガメッシュを誘いたいところだが、今夜はあの巫女と楽しくやっているだろうし、そんな中入っていけるのは、イシュタルくらいなものだ。
「あー、ぶっ!」
煉瓦で出来た神殿を抜けた先には満天の星空。
星の数と人の数、どちらが多いのだろうか。と考えてしまう程宵闇にいくつもの小さな輝きが散りばめられている。
あの空の向こうにアンナの父が暮らしている。
アンナは息を吸い込んだ。
満天の星空に両手を伸ばすも、到底届きはしない。役目がないこの身では権能も力もない。あの空高い天に行くことなど夢のまた夢。
「父よ。私にお教えください。私は……わたしくしの成すべき役目とは一体何なのでしょうか。どうか。大いなる天よ。わたくしに知恵をお与えください」
神殿の窓から赤い目が見ていることに気が付いていないアンナの瞳に、六等星がきらりと輝いた。