夢の中で息をする


 当たり前だが舗装されていない道を荷車で移動すれば意図しない方向に揺れる為酔うのも必須。
 イシュタルのように浮いて移動出来ればいいのだが、アンナは星読みで魔力を使い長時間飛ぶ元気もない。そんなわけで荷車の上で横になっていたのだが、見事に車酔いし顔を青くさせギルガメッシュの目的地は今か今かと待ちわびた。

 数刻。夜も深けた頃。何も無いところで荷車が止まり、アンナは漸く息を吐いた。
 深い深い森の中で深い深い溜息を吐くこと一回。三半規管がやられて視界が回る中でアンナはひらりと飛んだ。

「ほぉ」

 ギルガメッシュが地を這うように低空飛行するアンナに視線を向け、感心の声を漏らした。
 
「まだ飛ぶ体力があったか」

 飛んでいるのか這いずっているのかもわからないくらいの低空飛行。一応地面から僅かに浮いているから飛んでいるに分類されるのかもしれないが、飛ぶと言えばどうしたってイシュタルの姿がチラつく。それを知ってか知らずか――おそらく知っているうえでギルガメッシュは言ったのだ。だとしたら皮肉以外のなにものでもないが、ある意味ギルガメッシュは素直な性格をしていることを考えると、本当に感心しているのかもしれない。
 地面すれすれの位置から見上げる赤い目にどんな感情が宿っているのかを読み取りたかったが、生まれて間もない女神にその術はなく、まだ赤子のアンナには察し想像する経験もなかった。

「あーぅ?」
「今日は此処で野宿だ。枯れ枝を持って来るがいい」
「…………あーい」

 とぼとぼと訓練帰りの新米兵士のように力を失くしながらも低空飛行するアンナは蛇行しながら飛んでいる。
 野営が出来る開けた場所から生い茂る草木の中に入って行くその姿は神を語るには頼りない。シドゥリがいればアンナと共に枯れ枝を探しに行っただろうが、残念なことにシドゥリはいないし、ギルガメッシュがわざわざ自分で取りに行くわけもない。
 未だに軽く車酔いしているアンナはギルガメッシュに使われていることに気が付かないまま枯れ枝をいくつか拾い集めて帰り、組み立て火をつけた。

「このまま絶えず火を灯し続けておけよ」
「ぁー」

 そう言うや否や荷台に横たわり目を閉じる。
 暴君。なんたる暴君。神に寝ずの番をさせるなんて。
 パチパチとバチバチの間の音がする。乾いた枝を拾ったつもりだったが水分が抜けきっていないみたいで、大なり小なり枝から弾ける音がする。
 荷車を引いていたロバは脚を畳み既に夢の中だ。

 不規則に弾ける水に耳を傾ければ、ギルガメッシュの暴君っぷりに対する不満も何処かへ消え去り、揺れる火の動きを前にアンナの目がとろりと溶け始めた。

 眠い……けど。頑張らなきゃ……。

 夜特有の静けさと肌を撫でる炎の温もり。それらが合間見え強烈な眠気がアンナを包み込む。
 上瞼を気合で開けようと奮闘するも、虚しくアンナは静かに寝息を立て始めた。

「……神とはいえ、赤子は赤子か」

 薄く張った幕のような意識が最後に拾った声は、我先にと荷台で横になっていたギルガメッシュのものだった。

 遠くの方で焚火に使っている枯れ枝が燃えている音がする。さっきまで聞いていた音と違って水音が爆ぜる音の感覚がうんと開いている。枝が無くなってきているんだ……拾いに、行かない、と。またあの、暴君に……文句を……。
 文句を…………。文句を言われる!

 アンナは飛び起きた。寝ていた床板から数センチ浮くくらいには文字通り飛び起きた。
 辺りを見回せば森の木々の隙間から昇り始めた太陽の光が漏れてきている。それが眩しくてアンナは一瞬顔を顰めた。暗闇ばかりを見ていた目にその日差しは些か刺激が強ったが、数秒を待たずして目が慣れ、今度は遠くにいる太陽を見た。

「朝だ……」

 紫色に染まる雲と空。何処までも遠くまで広がる空は父であるアンの支配する全て。あの大空を駆け回るイシュタルにはどんな世界を見ているのだろうか。空は飛べることは出来てもあの姉のように飛ぶことは出来ない。大空には行けない。

 紫がだんだんと姿を消していく。暁の終わりだ。
 この後もあの星を目指して行くのだから、早めに行動しておいた方がいいとギルガメッシュを起こそうと再び辺りを見回すと不意に赤い目玉と目が合った。しかも距離が近い。ギルガメッシュが腕を伸ばせばアンナに届くくらいの距離だ。

「ぎぃる?」
「……否、そんなことはあり得ぬか」
「あーう?」

 なんの話か全く読めないアンナは首を傾げながらも、気にするだけ無駄だと結論付けて今度は自分が何処に浮いているのか確認した。思っていたよりも近くにギルガメッシュがいたからだ。
 最後の記憶ではギルガメッシュは荷台に横になっていたし、アンナはそれを横目に焚火の揺らめく炎を見ていた。だというのに今。ギルガメッシュの近くにいる。
 無意識に飛んで行った……のかもしれない。これは聞くのが怖い。
 何も知らない……気が付かないかったというスタンスでいこう。

 再び星が落ちたところを目指して移動し始めた。
 起きてから出発するまで一刻以上の時間が掛かったのは言うに及ばずだが、少しだけ触れておこう。
 ギルガメッシュがその辺にいた動物を採ってきた。さぁ調理しようかとなったところ、アンナは「あーう!」と眉間に皺を寄せた。直訳すれば「女神が飢餓を覚えるわけがない」と言い張り肉に触ることを拒否。ギルガメッシュは「何故我が手を汚さねばならぬ」と言って調理することを女神であるアンナに押し付けた。
 エルキドゥと旅をしていた時どうやって食い凌いだのよ。と、緑の泥の存在を知っていればアンナはギルガメッシュに詰め寄っただろうが、知らないものを口に出来る訳もなく、怒りのまま肉を燃やし炭となった元肉を見たギルガメッシュが要約すると「使えぬ女神め。役に立たないところは姉妹そっくりよのう」と罵った。
 そこからまた言い合いになり出発時間が遅れたというわけだ。

 そんな日々を繰り返しながらも二人とロバ一頭は旅を続けた。ギルガメッシュがウルクを発って丁度三十日の夜の出来事だった。
 その日は朝から雲行きが怪しかった。どんよりとした重たい雲が空を覆って青空を隠していた。
 星が落ちた目的地には地上から空に向かって光柱が真っ直ぐに伸びている。ギルガメッシュが望んでいるジウスドラがいるところまでもう少しだというのに、曇天の空から水瓶がひっくり返ったように土砂降りの雨が容赦なく二人の肌を打つ。荷台の天井に張った幕は雨でしとどに濡れ、雨除けの機能をとうの昔に失くしている。
 頭から足先までぐっしょりと濡れてしまった二人と一頭は至急雨宿り出来る場所を探して、土砂降りの中佇む光柱を横目に方向転換した。

 辿り着いた場所は岩場の洞窟で、湿気た岩壁は触れると冷たいが雨に打たれ続けるよりはずっといい。
 洞窟の外は雨のカーテンが出来ていて、僅かに見える空は重く厚い雲に覆われている。

「止まぬな」

 こくりとアンナが頷けば、ギルガメッシュは洞窟の奥に進んでいき、適当な岩場に腰を掛けた。
 肌寒いが今焚火を付けようにも適当な枯れ枝が何処にもない。外は土砂降り洞窟の中は湿っていて乾燥していない。水分を含んでいる枝に火が付くわけがない。火がないと暖をとることが出来ないのは考えるまでもなくわかる。

「ふむ。寒いな。そこの小童こっちに来い」
「なーむ」
「さっさと動かぬか。我を待たせるとは貴様何を考えている」

 私神なんですけど。と振り返りギルガメッシュを見るも、金色の輝かしい髪を持つ男は平然とした態度を取っている。アンナとギルガメッシュは数メートルの間がある。詰めるのは簡単だがなんだか癪な話だ。とは言え、詰めないとまたあの鎖で拘束されるかもしれない。そう考えれば、ギルガメッシュに従った方がまだマシだろう。あくまでどっちがマシという話であって、ギルガメッシュの言うことを素直に聞いているわけでない。断じて。

 ふらりと飛んでギルガメッシュに近付き隣に落ち着こうと高度を下げれば、ギルガメッシュはアンナの首根っこを掴んで自分足の間に置いた。まるで物を扱うような手つきで、だ。

「ぎーあ?」
「外見に左右されるらしいな。ハッ、これはこれで便利か」

 剥き出しのギルガメッシュの肌が触れて冷たい。人間の身体に長時間の雨はきつかったらしい。
 暖をくれと言わないのがどうも彼らしいのだが、言ってくれた方が素直に温石になってやるというのに。

「おーう、なーん」
「宝物庫にストールはないのか、だと? たわけ。それらは家臣が用意するものであって、我手ずから用意しておくものではないわ」
「…………へー」
「貴様今、幼子のフリを止めたな? なんだその冷めた目は。不敬であるぞ」

 「もうよい。我は寝る」と言ってギルガメッシュは深紅の瞳を瞼で隠して寝に入った。
 右腕でアンナを後ろから抱え、左腕で頬をついている。アンナは背中をギルガメッシュに預けて意識を手放した。
 明日は晴れていたらいい。そう願いながらゆっくりと底に向かって息を吐いた。