深淵の楽園に住む者よ
サソリ人間に辛勝し、ジウスドゥラがいる楽園と呼ばれる場所を目指して歩く。
地上にはない楽園は冥界の更に下。奈落の底である深淵。どうしてそこをサソリ人間たちが楽園と称したのかはわからないが、少なくともジウスドゥラにとって深淵が楽園だったのだろう。
――……同じ時を歩める人間はもういないのだから。
「して、その姿はなんだ」
「さぁ? 神格が上がったとか?」
「貴様を崇拝するような民が存在するわけなかろう」
「一応これでも神なのだから、崇拝されてもおかしくないでしょう? 何よ、藪から棒に」
神に向かって何を言ってるのかしらこの愚王は。
冥界に続くなだらかな坂を降るギルガメッシュの横で、握り拳一つ分の高さで浮いているアンナはわけが分からないと小首を傾げて、訝しげにギルガメッシュの深紅の瞳を仰ぎ見た。
幼子の身体から少女の身体への変貌を遂げたアンナの身長はまだギルガメッシュの腰ほどしかなく、また顔付きも幼い為、神というよりは人間の子と言われた方が違和感がない。
「…………まぁいい。して、この先にジウスドゥラがいるのは間違いがないのだな?」
「知らないけど」
「は?」
電池が切れたようにピタリと足を止めたギルガメッシュが深紅の目を大きくさせてこちらを見返した。
困惑しているわ。いい気味だこと!
アンナは握り拳一つ分の高さからふらりと更に浮上させてギルガメッシュの前に回り込み、それと同時に人や神からご尊顔と崇められる彫刻のように整った顔を見下した。
フッ。と小さく鼻で笑えばギルガメッシュの大きな手が目にも止まらぬ速さでアンナの顔面を握り、指の筋肉に力を入れる。
余りの痛さに悲鳴をあげる中頭蓋骨が軋む音が僅かに聞こえ、アンナは己の耳を疑った。
嘘! この人こんなに力強いの?! 野人じゃないの?!
「離してっ!」
「我の問に正しく答えたならな」
「知らないってば! 私の星読みはあの地点までで、それから先のことは占ってないもの!」
「この戯けが!!」
アンナの頭をを鷲掴んだまま腕を振り上げた所為で体が大きく揺れる。瞬間、両腕で必死にギルガメッシュの手首にしがみつくも、意に介さないギルガメッシュはアンナを放り投げようと勢いを付けた。
「待って待って!」
「待たぬわッ! 少し先のことを考えて行動してみせよ、この駄女神が!」
「女神に対する何たる暴言!」
「だったら少しは女神らしく役に立ってみせいッ!!」
大きく振りかぶったギルガメッシュがアンナを前方に向かって放り投げつけ、横流れに見える景色の中アンナはいつの間にか出現していた冥界の門に背中を強打し、ずるりと地面に落ちた。
「痛たたた……」
「ほう、これがあのイシュタルに辱めを与えたかの門か」
腕を組んで門の前で仁王立ちするギルガメッシュは何やら感心したような笑みを浮かべ、正面に聳え立つ岩石で出来たような門を見上げた。
あのイシュタルを辱めた門? なんのことだろうか。内心首を傾げ強く打ち付けられた背中を擦りながら岩石の門を見上げれば、どこからともなく「かーえーれー」と帰宅を促すアナウンスが流れた。
「エレシュキガル」
「かーえーれー」
「ここまで来て我が帰ると思うか。我の眼前にジウスドラを差し出せ。拝謁を許す」
「……ジウスドゥラがいるのは深淵の楽園よ。私が支配している冥界の底の底。時間という理を絶たれた人理の錆びれた理想郷。一度踏み入れればギルガメッシュ、貴方の時間も狂っていくわ……貴方に行く覚悟があって?」
人と時間がズレていく。気が付かぬ内にひっそりとじっくりと、甘い毒が身体を蝕むように数え切れない幸福を抱え、愛した者たちと共に時間を過ごし、そして気が付いた頃にはこの世全てからの孤独。
それはどれだけの恐怖なのだろうか。皆、先に年老い死に絶え喜びを分かちあったあの日を思い出せぬまま他人として目の前からいなくなっていく。
それはとても……悲しくて苦しいことなのだろう。
アンナには苦楽を共にした友人はおらず、愛する者もいない。だから想像することしか出来ないが、それでも胸の奥が鈍く痛むのだから、実際、人理と時間の理から外れたとなると、引き裂かれるように胸が痛むのだろう。
朝日がまた来てしまったと、不死の身を恨みながら息をしていくのだろう。神の祝福を受けた身では自殺も叶うまい。
己の喉に剣先を突き立てることも叶わない箱庭の住人を見て神は満足したと微笑むのだろう。
善良な行いをした人間を祝福したのだから。祝福したあとどうやって生きるかなんて神には関係のない話だ。
だって、私たち――神の生は永久だから。有限な生き物の気持ちなんて考えられない。
気持ちを考えることは出来る。が、しかしその気持ちをは理解することなど到底出来ないのだ。神は永久であり権能の支配者であり、人に崇め奉られる存在である。反対に人は有限であり神の労働者であり、神を崇め奉る存在だ。
神は人を不完全に完成された意思を持つ泥人形としてしか見ていない。
さて、この男はどちらなのだろうか。神の一柱なのか人なのか。
どちらを選択するのだろうか。
見上げた深紅の瞳は迷いなどなかった。
「我に二言はない」
――男は人である事を選んだ。
その瞬間、アンナは自身が何をすべきなのかを理解した。
「半神のその身体で不死を望むか。ならぬ、ならぬぞ……!」
「くどい! 我は我の望みを叶える! 貴様の事情も神の事情も人の事情も知ってなるものか!」
「ではこの門を通過せよ! 万人の命を奪った死の霊気、青き炎で出来た魂の成れの果て。我らの問いに答えてみせるがいい!」
――え……?
「……く、クイズ、なんです、か?」
今の流れでクイズを出題してくるの? 驚愕で固まるアンナを他所にギルガメッシュが声高らかに笑い声を上げる。そこに爪の先程度の驚きもなく、誰かからこの問題について聞いていたのかも知れない。と推測したところでアンナの脳裏に同じように声高らかに笑う女の顔が浮かんだ。
そう言えばさっきイシュタル姉さんがエレシュキガル姉さんに辱めを受けたって言っていたな……。あれ? もしかしてクイズを間違えた罰は誰が受けるの? 回答者が当然罰を受けるのよね? そうだよね?
まさかそんなことはないだろうと大口を開けて笑うギルガメッシュを見つめれば、片方の口の端を上げて厭らしく笑う男がそこに一人。
「問題は聞くまでもない! 答えは我!」
「はーずーれー」
外れればどうなるのか。アンナが考えるよりも先に電撃が四方から襲い掛かり、雷のような一撃がアンナの身体に強烈な痛みを与え痺れを余韻に残した。
――七つの門と対になるように用意された七つの答えを全て通過し終えた頃にはアンナの身体が焦げだらけになっていた。反対にギルガメッシュは身綺麗なままで、恨めしく尊顔を睨みつけるもギルガメッシュはアンナの視線など蚊よりも気にならないらしく、冥界の祭壇の前に立ち辺りを見回した。
そう言えばこの男、坂を下っている最中も何かを探すように周りを見ていたが、誰か知り合いでも死んだのだろうか。冥界に来た際につい探してしまうような親しい友人、恋人、親……そのどれもアンナが知っているギルガメッシュという男の生き方にはない存在のようで内心首を傾げた。
そんなことよりもこの傷だらけの身体をどうにかしないと。
女神として余りにもはしたないし、ギルガメッシュにいいように使われて悔しい。
腕に付着した煤を叩き落して、未だに痺れる下半身を叱咤して立ち上がると、軽い靴音が聞こえて来た。
一人分の足音、軽い足音は女のものだ。
「来てしまったのね。本当に」
何処か諦めたような、呆れたようなそんな表情を浮かべている女神は間違いなくこの冥界において最高の権力を持った女神エレシュキガル。アンナのもう一人の姉。
「……ジウスドゥラの元に行く前に一つ、彼奴は保管されているのだろうな」
「エルキドゥの身体ならちゃんと冥界で保管しているわ」
そう言ってエレシュキガルは祭壇の奥を指差した。槍監の中で輝く青い魂の炎に囲まれながら眠る緑色の髪の人。白の緩い服を着てはいるが、指が欠けていたり足が捥げていたりしているから、服の中の身体って五体満足というわけではないだろう。
これがギルガメッシュの何か。
「そうか」
「それで本当に深淵の楽園に行くの? 人として終わりを迎えるのかも知れないのよ」
「くどい! その陰気さと慎重をイシュタルと分けてやれ。彼奴にも慎重さがあれば天の雄牛など放たなかったものの……」
「わーぉ」
イシュタル姉さんそんなことやってたんだ……。
地形すら変える破壊力を持つ天の雄牛を人の地に放つなんて、一体何があったのだろうか。あ、結婚を断られったって言ってたっけ。もしかしてそれが原因なの……? こんな男と結婚したいだなんてイシュタル姉さん趣味が悪い。
絶対にないな。うん。ギルガメッシュの顔を見て一人頷くアンナに怪訝な顔で見る男が一人。
「餓鬼なんだその目は」
「……なんでもない」
アンナが首を左右に振って口を閉じればエレシュキガルが「それで?」とギルガメッシュに問うた。
「この子も連れて行くの?」
「何を当たり前のことを」
「えッ?!」
聞いてない! 深淵に行くなんて聞いてない! そう驚きの声を上げるアンナを他所に二人の会話が先に進んでしまう。
「ま、あの子を連れて行った方がまだマシかもしれないわね」
エレシュキガルが黒の槍を祭壇に突き刺すと第八の門が出現し問題を出さないまま一人でに扉が開く。扉の先は光すら届かない世界なのか、暗闇が広がっていてアンナは思わず息を止めた。
痺れる足で逃げようと門に背中を向けて飛び立とうとするも、門が辺りのものを吸い込むように風を作りだす。
アンナの足の指先が地面から離れた瞬間、勢いよく吸い込む風に足を取られ叫び声を上げながら門に吸収され、ギルガメッシュはというと、アンナが足を取られた瞬間に自身の意思で門に近付き暗闇の中に落ちて行った。
暗闇の中必死に腕を伸ばした先に、金色に輝く光があったような気がした。