淡い喜びの仄暗さ


 急に膝の上に現れた三歳児こと、アン外見年齢三歳から五歳は、随分と大きくなった己の手足を見て、頬を赤らめている。
 爛々と輝く目は、先程まで見ていた目の色とはまた違う輝きだった。
 その輝きを見れば、これが彼女にとって初めての経験である事は、手に取るように分かったが、一応念の為に、大きくなった自分の身体に触れているアンに問うた。

「凄いわ!」
「……一応確認するけど、キミ……アンは、今までこうなった経験はおありかな?」
「ないわね。初めての経験よ! もっと大きくなったりするのかしら?」

 幼子特有のむっちりとした四肢。ボンレスハムのようだと言ったら、機嫌を損ねるだろうから口にはしないが、関節だけ細くなっているその様はソレにしか見えなかった。

 膝の上に座るアンにこれ以上お菓子を与えてもいいものなのか。と、アンの隅々まで見ようと、目を凝らすと、未だに高揚し頬を上気させているアンと目が合った。
 大きな瞳を細めて笑うアンを見て、妖精とはいえ、異性を凝視するのはマナー違反か。と一度アンから目を離して、再び大きな双眸を見つめた。

 然し……こうして見ると、まるで人間の子供のようだ。辛うじて背中に生えている蝶のような羽根があるから妖精と言われてもおかしくはないが、その羽根がなければただの幼子だ。
 否、仮に元々羽根がなかったとしても、この歳の子供はこんなにも上手に口は回らないか。

「それにしても、どうしてそこまで大きくなったんだろうね」
「んー……、どうしてかはわからないけれど、悪い気はしないわよ。とても満たされているもの」

 “満たされている”ねぇ。
 アンの言葉は酷く抽象的で的を得ない。この現象には何かしらの理由があるはず、だと、自分の身体に飽きて、クッキーをもそもそと食べているアンを眺めた。
 
 もう、ボクが半分に折ってやらなくても、アンはその紅葉の両手で確りとクッキーを持つ事が出来るようになっていた。

 小さい妖精が魔力を得て、身体のサイズが変わる事があるのか。とボクは先ず学園の中にある図書館で妖精について調べる事にした。
 小さな妖精について調べていると、気になる項目が何個も出てくる。
 例えば小さな妖精と会話をするには翻訳機が必要だとか、妖精のギフトだとか……その他にも色々あるが、どの本を漁ってみても、小さな妖精の身体が大きくなるとは書いてはいなかった。
 そもそも、魔力の供給についてなんて書かれていない。

 ──それもその筈だ。

 思わず背もたれに頭を預けて天井を見上げた。オレンジに色に光る灯りが煩わしくて、両目を隠すように腕を目の上に乗せた。

 妖精とは魔力を保持している存在であり、供給されるような存在ではない。魔力があるからその姿を保持出来ていると言ってもいい。
 ……いや待て。アンの魔力が足りないとしたら?
 本来の姿を保てない程魔力が足りないから、ボクの魔力を受け入れ姿を変えたとも考えられるのではないだろうか。
 だからこそ小さな妖精と会話する為の翻訳機も要らないのではないか?

「答えの出ない問題はあまり好きではないな」

 真上に向かって吐き出した溜息は、そのまま落下してまたボクの顔に降りかかった。

 それから数時間。図書館にある妖精に関連する本を読み漁ったが、結局ボクが欲しかった情報は何一つ得られなかった。
 花の妖精はいても、アンのように花に依存しているわけではない。アンのあれは白薔薇の妖精というよりは、白薔薇の眷属と言われた方がまだ納得出来る。
 ボクの知る限り花の妖精は、その身が花の代わりであり、何者にも変え難い身なのだ。花と妖精の身体が別々に存在しているわけではない。
 魔力と人ではない身体と花。これらを持って花の妖精と呼ばれる。三位一体……とでも言えばいいのだろうか。

「だとしたらアンは一体……」

 不可解な事が多すぎる。妖精とは何たるかを指し示す項目と異なる事が多い。

 本当に妖精なのか? それとも未発見の妖精なのか?
 どちらにしろ、今のボクにアンを知る事はまだ出来そうになかった。

 複数の本が宙に浮いている。生徒の一人が浮いている本を取ろうと腕を伸ばすも、浮いている本は伸びてきた手を避けるように飛んでいく。
 本に意思でも宿っているようなその動きだったが、先程の生徒がマジカルペンを取り出して宙に浮いている本を引き寄せていた。

 さて、どうしたものか。と図書室を出て広い廊下を歩いて鏡舎を目指した。何かと因縁を付けられる事が多いこの学園だが、このボクに喧嘩を売るような生徒は少なく、ハーツラビュル寮生はボクを見て「お疲れ様です。ローズハート寮長」と挨拶をしている。

 これが普通だというのに、あの時のエースとデュースは勇気があったと評価しても差し支え……は、あるな。
 あの時エースもデュースも半ば勢いなところもあった。まぁ、それでも挑んできた無謀さだけは評価してあげてもいい。

 夕日が校舎に茜色の日射しを射し込む頃、ボクは鏡を通してハーツラビュル寮に戻った。
 クロッケーの練習が出来なくなっている時間帯。ハーツラビュル寮の庭は酷く静かだ。
 それそろ、薔薇の花の歌が聞こえてきてもおかしくないくらいに……なんてボクらしくもなく考えてしまうのは、アンの存在が大きいのだろうね。

 突然ボクが治めるハーツラビュル寮にやって来て、薔薇を赤く染めるな。と怒った彼女は呆れるくらいに表情が豊かで、笑った顔がとても印象的だ。

 制服を着たまま、ハーツラビュル寮に戻る事も考えたが、ボクは寮までの一本道を外れ、短く切り揃えられている芝生を踏む。
 靴裏に地面よりも僅かに柔らかい感触を感じながら、薔薇の迷路の中にある四阿を通り過ぎ、唯一の出口である薔薇のアーチを通り抜けると、白薔薇の潅木がある。
 潅木で咲く白薔薇の一つにアンが眠っている――筈なのだが……。

「どこに行ったんだい?」

 白薔薇が咲いている灌木の周りを見ても、あの妖精……否、幼子の姿は見当たらない。本格的に何処に行ったのだ。と灌木の周りをくるりと歩いてみたが、何処にもいない。まさか、木の中で寝ているわけじゃあないだろうね。と小さく棘のなっている葉を掻き分けて灌木の中を見るも、そこにアンの姿はなかった。

 まさか、調子に乗ってこの白薔薇から離れすぎて戻って来れないわけじゃあないだろうね。と焦る気持ちをそのままにして駆け出した。何処にアンがいるかなんてわからないが、早く見つけないと弱ってしまう。と薔薇の迷路に近付く。何か変化はないか。と小さな異変も見逃さないように、視線を動かしていると、草垣の向こうに人影が見えた。

「アン!」

 咄嗟に名前を呼んで駆け出すと、人影はボクの声に反応したようにピクリと止まり、辺りを見回している。生憎ボクからは頭の天辺しか見えていない為に、その人影がどんな表情をしているのかはわからなかったが、震える声でボクの名前を呼んだ事だけはしっかりと聞こえた。

「リドルくん……?」
「今行くからそこから動かないように! いいね!」

 迷路の中に迷い込んでしまい、出れなくなってしまっただのだろう。駆け出した勢いを殺す事なく走ってアンの姿を探す。と言っても、此処は薔薇の迷路。ボクの庭である。アンが迷って立ち止まってしまった場所に迷う事なく行ける。それでもボクは不安な気持ちを抱えたまま走り続けた。
 草垣を曲がってアンの姿を双眸で捕らえた。大きな瞳に薄い水の膜を張っているのか、西日が反射して煌めいている。その頬も普段よりも紅を差していて、白薔薇の妖精よりは赤薔薇の妖精の方が似合っている気すらする。

「リドルくん!」
「アン! 一体どうしてこんな所にいるんだい。あれ程白薔薇から離れるなって言ったじゃないか」
「今は怒らないでぇ……!」

 幼子の身体をしているアンは、その背中に生えた羽根を大きく動かして、酷く不安定な飛行でボクの胸にしがみつく。それを両腕で抱えれば、蝶のようなアンの羽根は垂れ下がり役目を終えたと言わんばかりに休めている。
 強い口調でアンを責めると、彼女は大粒の涙を流しながら小さな額をボクの胸に擦り付ける。イヤイヤと駄々を捏ねる子供のようで、安心して甘えている猫のようにも見えるその様は、女性らしさなんて何処にもない。
 兎に角無事に見つける事が出来た。と安堵の息を吐けば、溜息を勘違いしたアンが、涙の幕を大きな瞳に張ったままボクを見上げた。

「違うの……。いや、違う事はないんだけど、あのね、貴方が私に見せたがっていたものがどうしても気になって、それでね、今なら行けるような気がしたから出歩いてみたんだけど、迷路になっているの知らなくて、それで――」
「もうわかったよ。全くキミはどうしてこうもボクを驚かせるんだ」

 紅葉のような小さな手で制服を固く握り絞めるアンの頭をそっと撫でてやれば、彼女は安心したように力を抜いた笑みを浮かべ、そのまま眠りについた。体力の限界だったのか、もう日が落ち始め一番星が見えるような時間になったからなのか。
 そのどちらもなのだろう。

 腕の中で深く眠るアンは小さな姿の頃と比べれば質量が増えたが、それでも人間の幼子に比べればうんと軽い。
 この小さくて守ってやらないと何処かに飛んで行ってしまうそうな存在に、ボクは今日初めて焦りを抱いた。
 そこに必ずあると信じて疑わない存在が、忽然と姿を消した。必ずそこにいる確証なんて何処にもないのに、この灌木がある限り、アンはこの場所から動かない――動けないと思っていた。
 ボクはそれにどうしようもない安心感を抱いていたのだろう。

 彼女の行動範囲が広がりつつある事に、ボクは素直に喜べそうになかった。
 





Bambi