ストライプに沈んで


 クルーウェル先生の魔法薬学の授業が行われる日がやって来た。
 前回、一年生が作った金の混合水があまりにも出来が悪すぎて、薬学室のあちこちから黒煙が上がっていたが、今回はどうなるのだろうか。と白衣を身に纏い厚手の手袋を付ける。
 色んな植物が鉢の中に植えられていて、三年になるとどれが何の植物で、どういう効力を持つのか全て暗記出来るようになっているらしいのだが、トレイは兎も角、ケイトは本当に覚えているのだろうか。
 ざっと見ただけで百種類はありそうだが……。と眺めていると、靴音を鳴らしながらクルーウェル先生が教室の中に入って来た。先生が教室に入ると同時に授業開始の合図を告げる鐘が鳴る。

「仔犬ども、前回の続きからだ。今日は栄養剤を完璧に仕上げるようにしろ」

 手早く材料と道具を揃えて、先ずは金の混合水の真贋から入る。前回使ったのはエースとデュースが作った不完全な混合水だったが、今回のは一年生が新たに作り直した混合水のようで、ジェイドは淡々と真贋を確かめる為にアルコールランプに硫酸マグネシウムを振りかけている。
 白色の炎を灯すアルコールランプを三脚の下に移動させ、こまごめピペットでエースとデュースが作った金の混合水を少し吸い取り、枝付きフラスコの中に入れる。フラスコを魔法で浮かせながら炙ると蒸留した混合水が枝を通って、枝付きフラスコに接続された試験管の中に入って行く。
 枝付きフラスコから試験管を取り外し、シャロンケ溶液を一滴垂らすと、青に限りなく近い緑――ターコイズブルーになった。
 ほんの僅かだが、十年生きた二枚貝の粉が多かったようだが、この位の誤差であれば、魔力で捻じ伏せる事だって出来る。

「上等な金の混合水、というわけではありませんが……」
「どうにもならないわけでもないね」

 ジェイドはボクの科白に頷くと、口元に指を当てて困り顔を作った。
 こういう表情をしている時大体碌な事を考えていない事は、この二年でわかって来たつもりだ。

「リドルさんのお叱りが効いたのでしょうか」
「……あんな実験結果を残すなんてあり得ない事だ。先輩として、寮長として叱るのは当然の事だ」
「おやおや、随分と寮生を大事に扱ってらっしゃるようで、羨ましいですね」
「思ってもいない事をべらべらと話し続けるなら、首をはねてしまうよ」
「それは困りましたね」

 困ってもいないのに「困りました」と言うジェイドの口角は上がっていて、とてもじゃないが困っているようには見えない。然し、ジェイドはとても優秀な人物でもある。スーパー秘書と名高い彼は、テキパキと次の工程に進む為に材料を計っている。
 釜の中にすりおろしたフィフスの実を入れ、人肌になるまで焦がさないように掻き混ぜる。次に金の混合水を入れて煮立たせ黒猫の抜け髭を三本。完全に黒猫の抜け髭が融けきってから乾燥マンドレイクを一摘まみ。
 この中の材料全てが調和しないと、どろどろの液体が出来上がるのだが、金の混合水が不完全である事がわかってる状況で馬鹿正直に何もせず釜の中を掻き混ぜる魔法士が何処にいようか。

「ジェイドは中和をメインに。ボクは制御に力を入れる。いいね?」
「かしこまりました」

 大釜の中を二人で掻き混ぜると、とろみをつける事なく緑色の栄養剤が仕上がった。
 出来上がった栄養剤の真贋を確かめる為に、またアルコールランプに硫酸マグネシウムを振りかけ白色の炎を作り、枝付きフラスコの中に栄養剤を入れた。
 真贋を行う時は、必ず白の炎でなくてはならない。万が一、黒の炎で確かめれば真逆の結果を出してしまうのだ。
 金の混合水の真贋を確かめた方法と同じようにして、蒸留された栄養剤が入っている試験管の中にシャロンケ溶液を一滴垂らす。栄養剤も青色に変化していれば成功だ。

「うん。完璧だ」

 試験管の中の栄養剤は透き通るような鮮やかな青をしていた。
 クルーウェル先生に提出する為の小瓶の中に栄養剤を入れ、余ったものは捨てるも持ち帰るもよし。との事だったのでボクは小瓶の中に栄養剤を注ぎ持ち帰る事にした。
 魔法薬学で作ったものは基本的に持ち帰らないジェイドも、珍しく持ち帰るようでわざとらしくない自然な笑みを浮かべている。

「珍しいね。キミが作り笑い以外をしているなんて」
「おや、心外です。僕はいつだって感情のまま表情を浮かべていますよ。ですが、喜んでいるのは確かです。これでキノコの収穫が期待できます」

 そう言えば、ジェイドは陸に上がってから山とキノコに夢中になっていて、気持ちが悪い。とフロイドがその長い舌を口から出してげんなりしながらボクに愚痴っていた記憶がある。
 またフロイドが被害に遭うのかと思うと、正直いい気味だとしか思えないが、その憂さ晴らしにボクが被害を被る事だけは御免被りたい。後日キノコの成果はどうだったのか聞いておいて損はないだろう。

 この日最後の授業を終え、栄養剤を片手に鏡舎を目指していると、トレイとケイトの後ろ姿を見つけた。ケイトがトレイに向かってスマホの画面を見せて何かの情報を共有しているようだった。
 何をしているんだい? と声を掛けてもよかっただろうが、笑い合っている二人の間に入るのは忍びないと、二人の後ろ、数メートルを歩いていると後ろからエースの声が聞こえた。

「リドル寮長も今から帰りっすか?」
「そうだけど、デュースは一緒じゃないのかい?」
「あれ? 二人とも偶然じゃん! 帰る時間が揃うなんて滅多にないし、記念に写真撮らない?」
「いいっすけど、マジカメに投稿するんですか?」

 スマホの画面をカメラ機能に手早く変えたケイトは、瞬きの間に写真を撮って長い指を素早く動かしている。
 いつもの事ながら、その手腕と器用さには呆れと感服の視線を向けてしまう。

「#仲良し、#ハーツラビュル寮、#あれ、一人足りない、#デュースくん何処に行ったの? ……これで良しっと!」
「デュースは監督生とグリムと一緒に補習なんすよぉ〜。一人で帰ろうとしてたら、リドル寮長を見つけたってワケっす」
「リドルもいたなら話しかけてくれれば良かったのに」

 眉尻を下げて笑うトレイの台詞に賛同するように、ケイトが首を縦に振った。自分の目線よりも高いところにある二人の目を一度見つめ、すぐに目を逸らした。
 何も罪悪感があったわけじゃない。ただ、未だに自分の胸の内を話す事に慣れていないからだ。

「……折角二人で話しているのに、ボクが間に入るのは何か違う気がして」
「寮長ってそんな事を気にするような人でしたっけ?」
「失礼な事を言うのはこの口かい? 首をはねてしまおうか」

 エースの頬を思いっきり抓ると、涙目を浮かべながら早口で「すみません! 寮長!」と言った。
 頬を抓っている指を離してやると、エースは掌を頬に当て不満そうな顔を隠す事なく浮かべている。唇を前に突き出してはいるが、文句を言わない辺り自分に非がある事を認めているのだろう。

 確かにエースの言う通り、少し前のボクだったら気にせず二人の間に入って行くだろう。例え二人だけで共有しておきたい話をしていたとしても、そんな雰囲気に気が付かずに間に入り、二人を困らせていたに違いない。
 然し今のボクは違う。他人の気持ちを察する事が出来るようになったとかではなく、単純に自分に置き換える事が出来るようになったからだ。

 先程のトレイとケイトのやりとりを、ボクとアンに置き換えてみた時、ボクは“嫌だ”と思った。
 あの薔薇の迷路を抜けた人気のないあの場所を知るのはボクだけがいい。灌木の白薔薇の中で眠る妖精の存在を知るのはボクだけでいい。と何を考えるよりも先に思ってしまっていた。

「誰にも知られたくないやり取りの、一つや二つ誰にでもあるだろう」
「まぁそうかも知れないけど、けーくんはリドルくんが話しかけてくれる方が嬉しいかなっ!」
「俺もケイトと同意見だな。にしても、リドルがそんな事を考えるなんて何かあったのか?」

 小首を傾げるトレイを横目にボクはハーツラビュル寮に続く鏡の前に立ち、後ろを振り返った。
 鏡の前は階段が数段。いずれも蹴上が低く階段の上に立っているのはボクだけだというのに、トレイたちよりもまだ下にボクの目線がある。

「これ以上何かボクの事を詮索するようなら、首をはねてしまうからね」
「はい、寮長」
「え〜、折角面白そうな話が聞けそうだったのに〜」

 あからさまに肩を落とすケイトを無視し、ボクは鏡の中に足を踏み入れた。一瞬だけ真っ白な視界になるが瞬きの間に、見慣れたハーツラビュル寮が見える。靴裏から伝わる感覚が、鏡の前に敷かれた絨毯のものではなく、土の感覚になっている。そのまま歩き出せば、後ろから何かを話しながら鏡から姿を現す三人。

「にしても、何がウチの寮長を変えたんすかね」
「それ〜! 気になってけーくん夜も眠れない」
「ほーんと、意地悪っすよね〜」
「お前たちいい加減にしないと、またリドルに怒られるぞ」

 どんなにしつこく聞かれたって言うものか。
 あの白薔薇の妖精と過ごす緩やかに過ぎていく時間を、穏やかな景色を、アンと触れ合う胸の暖かさなど知っているのはボクだけでいい。

 誰にも教えてあげない。
 ボクは意地悪だからね。
 





Bambi