今だけ


 マカロンを与えたその翌週にハーツラビュル寮にとっての一大行事にして、恒例行事が行われようとしていた。
 それは、なんでもない日のパーティーだ。

 準備に数日要するこのパーティーは一週間前から始まる。内容としては、先ずは庭の白薔薇を赤く染める事から始まり、クロッケー大会の会場を整える事、パーティー会場の飾りつけはケイトの発案で出来る限り毎回違う飾りつけをしている為に、準備にも手がかかっている。
 日に日に赤く染まる庭の薔薇を見ては、なんでもない日が滞りなく終わる事を願っている。そんなある日の事。

「リドルくんはどうして庭の薔薇を赤く染めるのかしら?」
「なんでもない日のパーティーでは、庭の薔薇を赤く染める事が決まりだからだよ。前にも言ったと思うけどね」
「……特例を作ってくれるって話でしょう? でも私は納得していないのよ」
「――というか、キミまた大きくなったんじゃないのか?」
「あら、赤薔薇さんの身長を越す日も近いのかしら」

 幼子だったアンは立派な大人と言っても差し支えがない程大きくなっていた。
 ちょっと目を離した隙に、こんなにも大きくなるなんて聞いていない。もしこのまま大きくなってボクの身長を越し、フロイドやジェイドのようになってしまったら……と考えるだけでも、頭が痛くなる。
 差し入れを控えた方が良いか。あぁ、でも、アンはボクが持ってくるお菓子を気に入っているようだし、頬が落ちそうになる程、屈託なく破顔しているアンを見るのも気に入っている時間の一つだ。
 魔力を込めてお菓子を作っているならいざ知らず、こっちは魔力を意識しないで作っていても、アンが勝手に魔力を吸収しているのだから質が悪い。

 小人の時は掌の中に、幼子の時はこの両腕に抱えてやれたけど、今ボクの目の前に立つ少女……否、女性はもう両腕で抱える事は出来ないだろう。
 他人の子供の成長は早いと言うが、此処まで早いとは誰も思わないだろう。たった三日、たった三日合わなかっただけで此処まで成長したのだから。

 彼女の成長についての疑問を深堀しては時間がないと気が付いたボクは、彼女の手を取り薔薇の迷路に向かって歩き出した。

「体調が悪くなったらすぐに言うように」
「何処に行くのかしら? 何か見せてくれるの?」
「キミ――アンにハーツラビュル寮の薔薇園を見て欲しいんだ。この期間だからこそ見れる景色だよ」

 薔薇の迷路の真ん中には四阿がある。普段そこは寮生が利用しているスペースなのだが、この期間はどの寮生もパーティーの準備に追われ、四阿を利用している生徒は皆無に等しい。
 パーティー会場と四阿は距離があるが、なんでもない日のパーティーでは庭の薔薇を赤く。それは会場以外の薔薇にも適応される習わしだ。

 アンの手を取ったまま、ゆっくりと歩くボクの隣を少しだけ身体を浮かせたアンが付いて来る。本当は腰に手を当て支えながらエスコートするのが礼儀なのだろうが、アンの移動の仕方を見るに、そういった行為は邪魔になるだけだろう。
 革手袋越しに感じるのは、アンの手の柔らかさだけであって体温までは感じない。そこまで分厚い手袋ではない筈なのにだ。実際、温かいものや冷たいものを持った時はちゃんと温度を手袋越しに感じる。
 純粋に、アンの体温がないのだろう。

 左手でアンの手を取り軽く握る。何かアンが急に立ち止まったら解けてしまうくらいに軽く握った手。何も体温は感じないというのに、どうしてかボクにはそれでも嬉しかったのだ。
 二人だけの時間というのを、ボクは求めている。誰にも邪魔されないこの時間をボクは守りたいと、壊したくないと思っている。
 踏み出す足が薔薇の迷路の出口――アンにとっての入り口を跨いだ。横目でアンを見るも変わった様子はなく、瞳を爛々と輝かせている。幼子の姿の時も入っていたというのに、そこまで楽しめるものだろうか。と内心小首を傾げるも、あの時は迷路に迷い周りの景色を楽しむ余裕もなかったのだろう。と一人納得して、更に足を奥へと伸ばした。

「ここら辺はまだ白薔薇なのね」
「あぁ、なんでもない日のパーティーまではまだ時間もあるから、寮生も此処までは塗っていないんだろう」
「なんでもない日のパーティーって?」

 その事も忘れてしまったのか。と眉尻を一瞬だけ下げボクは唇を動かした。

「誰の誕生日でもない日を祝うパーティーで、ハートの女王が治めていた国では行われていたんだ」
「ふーん。その時に白薔薇を赤に染めるのね。それって楽しいの?」
「楽しい……かは、わからないな。少し前までは気を張っていたけど、今は少しだけ……楽しめる余裕が出て来た……かな」
「それは良い事なのよ。変わる事は良い事だわ。不変なんてつまらないじゃない」

 重ねているだけの手を強く握ったアンは、身体に不釣り合いな羽根を動かしてボクの前に立った。
 女性の身体とはいえ、ボクよりも少し小さなその身体はまるで重力なんてものはないと言いたげに浮いていて、しっかり捕まえていないと、何処かに飛んで行きそうでもあった。
 咄嗟に正面に立つアンに腕を伸ばすと、彼女の手がボクの手を包み勢いよく引き上げる。突然の事に驚き大きく目を見開きながら、勢いのまま足を前に突き出した。眼前にはアンの顔があり、その表情は得意気に笑っている。
 重力をものともしないアンとは違い、ボクの両足は芝生の上にある。
 片腕を斜め上に突き出し、片足を前に一歩踏み出しているボクは、傍から見れば変なポーズを取っている人にしか見えないだろう。

「私、リドルくんの笑った顔見てみたい」
「何を言っているんだい?」

 こんな奥まで誰も来ないだろうが、ボクはすぐさま一歩前に踏み出した足に揃えるように立ち、アンに引っ張られた腕を下ろした。それでも二人の距離は変わらず、目と鼻の先にアンが浮いている。
 流石に近すぎると揃えた足を後ろに乱すと、アンの小さな手がボクの手を掴んだ。捕まれている感覚だけがする。体温をそぎ落としたアンの小さな手にボクの全身が支配されているような気さえした。

「何処に行くのかしら?」
「……この距離だと会話もし難いだろう。わかったら手を離してくれないか」
「うーん。このまま繋いでいたいわ」

 ボクを掴んでいる手とは反対の手で、顎に指を当て何処か遠くの空を見て何かを考える素振りを見せたアンはへらり、と笑ってボクの手を掴んだまま、見せつけるように持ち上げた。
 繋いでいたい。という要望を伝えるだけ伝えたみアンは何処に行くかも知らないまま、ボクの手を引きながら歩き出す。その背中に生えた不釣り合いの羽根が、アンを重力から切り離そうと優雅に動いている。
 風に揺れるアンの髪が、太陽の光に当たって艶やかだ。

「そっちに行くと行き止まりだよ」
「そうなの? リドルくんがいると迷わなくて済むけど、面白みがないわ」
「ボクはこの迷路、全て頭の中に入っているから当然だよ。帰りはアンの力で帰るといい。見たところ身体も大丈夫そうだしね」

 アンが道に迷ったタイミングで主導権を握ったボクは、繋いだ手を離す事なく四阿まで歩いた。なんでもない日のパーティー会場までは距離があるものの、その騒がしい声は離れている四阿まで届いている。
 いつもならもっと静かに出来ないものか。と呆れているところだが、寮生の賑やかな声を聞いて静かに笑っているアンを前にすると、風に乗ってくる微かな笑い声も気にならないのだから、出会いとは不思議なものだとしか言いようがない。
 もし、アン以外の妖精と出会っていたら、この笑い声も煩いと一蹴していたに違いない。

 四阿に着くと、アンは周りに咲いている薔薇の花に目を輝かせていた。
 この期間にしか見えない景色とは、白と赤に染まる薔薇が入り乱れながら、ハートの木に生えている光景の事だ。
 生徒がマジカルペンで色を変えたり、ペンキで色を変えたりしている所為か、色が赤ではなくピンクになっていたり、ペンキで塗られた白薔薇は掠れた赤薔薇になっていたりと、他では見る事の出来ないものが眼前に広がっている。

「この白薔薇たち……なんだか嬉しそう」
「アンは花の気持ちがわかるの?」
「なんとなく、だけどね。毎日世話をしてくれるって言ってるわ」

 この薔薇園を世話している生徒と言えば、真っ先に思いつくのはトレイだ。彼は、この庭に出ては薔薇の世話をしている。

「だからかな、私の視界に入る薔薇は皆生き生きとしているわ」
「そう。それはよかったよ」
「赤く染めないで。なんて私のエゴ、独りよがりでしかなかったのかな」

 ふらりと低空飛行するアンは、ゆったりとした動きで一輪の白薔薇に近付き、鼻先を花弁に近付けた。ポツリと小さく吐き出された思いやりに、ボクは彼女隣にしゃがみ、すっかり大きくなった妖精の横顔を隠している髪の一房を手に取り耳に掛け、アンが手に取った白薔薇の輪郭をそっと指先で撫でた。

「そうかも知れないが、悪い事ではないだよ。それを人は優しさと呼ぶんだ」
「優しさ?」

 言葉の意味が分かっていないのか、ボクの言葉に満足していないのか、アンは小首を傾げながらボクの顔を見て、次に白薔薇に向き合った。

「そっかぁ。優しさか」

 春の花が蕾から花弁を広げるような笑みを浮かべたアンの横顔は、今まで見てきた誰よりも美しいものだった。
 





Bambi