覆る仮定


 アンがいつハーツラビュル寮に植えられたのかが気になったボクは、ハーツラビュル寮内の資料室に足を向けた。
 この資料室はハーツラビュル寮に関わる歴代の書類が置いてあり、鍵を管理しているのは、寮長であるボクと、学園長の二人だけだ。

 重厚な扉には魔法で出来た鍵が掛けられており、歴代の寮長から受け継がれてきた鍵でないと絶対に開かない仕組みになっているらしく、噂では、数十年前、とあるハーツラビュル寮生がこの鍵なしに資料室の扉を開けようとし、ピッキングを試みたが、鍵穴に針金を入れた瞬間雷が落ちたらしい。
 なんでそんな愚かな事を……。と呆れ果ててしまう噂だが、誰も雷を喰らいたくはないのか、それ以来愚か者は出ていないらしい。

 そもそも、何故この資料室に不法侵入しようとしたかと言えば、ハーツラビュルの宝が眠っているからだ。
 まぁ、雷を食らってもいいから盗みたいと思えるようなものでもない上に、宝が眠っているとは誰も思っていない。
 あの生徒はとてもおかしな事をした。とても愚かだ。と思われている。

 然し、ボクの目的はハーツラビュル寮の宝ではない。
 マジカルペンを軽く振れば、宙に浮いているランプに明かりが灯る。オレンジ色の淡い灯りが暗い資料室を照らせば、目的のものが置かれている場所がすぐに分かる。
 自分の背丈よりも大きい本棚を三つ通り越せば、目当ての資料が仕舞ってある本棚が目に入る。可動式の本棚を一人分入る隙間を開けてそこに身体を滑り込ませる。ファイルの背表紙にラベルの文字を追い続けると、今年の資料が纏められた分厚いファイルを見つけた。

「アンが来たのは……恐らくこの辺りからだろう」

 ボクがオーバーブロットを起こした九月から、今までの記録を一枚一枚隅を突く様に、文字を指でなぞるように読み込んでいく。
 おかしな点はないか。見た事もない書類は入っていないか。

 ボクはこの寮に纏わる事は全て頭の中に入っている。それこそ、文字の一文字すら零さずに覚えている自信がある。これも寮長の務めだ。

 黙々と淡々とページを捲る。静かな部屋には紙が擦れる音しかしない。文字を見続けている事どのくらいの時間が経ったのだろうか。ボクは一枚の書類に目が留まった。そこには見た事もない内容が書かれていたからだ。
 書類には学園長のサインと、ボクのサインがが記されていて、この内容に同意した事になっているが、ボクはこの書類を見た記憶もないし、サインした記憶もない。それに……。

 マジカルペンを振ってとある紋章を浮かび上がらせるも、この書類に紋章は浮かびあがらない。その前の書類には青白く薔薇がデザインされたシールリングの紋章が浮かび上がるというのに。
 ボクはサインと同時に目に見えない、魔法で感知するもの難しいインクを使ってシールリングで判を押している。その印がないこの書類はボクが確認していないという何よりの証拠である。

 内容は――薔薇の迷路に新しく白薔薇を設置する事だ。この新しい白薔薇とは、アンの事だろう。アンは何処からやって来たのか。と次のページを捲ると、とある貴族の名前が記されていた。
 薔薇の王国、ランカスター伯爵家の庭より譲渡……か。何故そんな貴族の邸宅から? いや、待て、ランカスター伯爵家と言えば、あの薔薇の呪いのランカスター家じゃないのか? 

 あの呪い詳しい事は何もわからない。教科書に載っているのは概要だけで詳細は乗っていない。そもそも、薔薇の王国では都市伝説扱いになっているのだ。恐らく書面で残っている事柄はないに等しいだろう。何せ、五世紀以上も前の出来事なのだから。

 妖精の呪いか……。妖精の事ならマレウス先輩やリリア先輩に聞く方が早いな。アンとランカスター家の事何か繋がりがあるのかはわからないが、仮にランカスター家の庭で咲いていた事を思い出せれば、何か大きな進展に繋がるかもしれない。
 さては、あの学園長はそれを狙ってアンをハーツラビュル寮に植えたのか? もし、アンが記憶を取り戻したら、薔薇の呪いについて進展するかも知れないという可能性にかけたのか? ナイトレイブンガレッジの名を有名にさせようとしているのか? 木を隠すなら森に。薔薇を隠すなら薔薇の庭に。だからハーツラビュル寮に植えたのか? 納得出来ない部分は勿論ある。アンの記憶が蘇る可能性は限りなく少ない。その限りなく少ない可能性にあの学園長が賭けるだろうか。
 そんなまどろっこしい手を使うような人間だっただろうか。

 ボクの記憶によればそんな事をするような人ではない。だが、同時にあの学園長はその本心を人に見せるような人間でもない。ボクが見ているのは、学園長の一面に過ぎないのだから。

「兎に角、薔薇の呪いについて調べてみよう」

 妖精のギフト、薔薇の呪い。言い方は複数あるが、妖精の仕業である事に変わりはない。
 急にディアソムニア寮に行くのはマナー違反だ。手紙を出してから行くべくだ。とボクは自室に篭り、リリア先輩宛てに手紙を書いた。
 待っている。という返信を貰ってから二日後。ボクはディアソムニア寮に向かった。
 寮に続く道の脇には茨が生い茂っており、不気味な雰囲気を醸し出している。どんよりとした分厚い雲が空を覆い、太陽の光が地上に降り注がない。石造りで出来た寮の扉は木製だった。その扉を片手で開けると緑の明かりが灯っている広間が目に入った。
 ディアソムニア寮生がボクの姿を見て、一度大きく目を開くと眉間に皺を寄せて詰め寄った。

「ハーツラビュル寮長がディアソムニアに何の用だ」
「リリア先輩か、マレウス先輩はいるだろうか」
「お二人はとても忙しい身だ。お取り引き願おうか」

 端からボクの要件を聞く耳を持たない寮生を見下すように見れば、寮生は癪に障ったのか、肩を震わせてボクを睨みつけた。腰に差している軽棒状のマジカルペンに触れた寮生は大きく口を開いた。

「貴様! なんだその目は!」
「約束はしている。取次ぎを願おうか」
「すまない待たせたな。そこのお主、茶の準備をしてくれないかの」
「わ、わかりましたっ!」

 マジカルペンを構えていたディアソムニア寮生は、慌てたように警棒状のマジカルペンを腰に戻してボクに背中を向けて何処かに走って行った。
 サイズオーバーの寮服を着ているリリア先輩は、少し困ったように笑って「すまんのう」と口を動かした。

「上手く伝達出来ていなかったようじゃ」
「いや、構わないよ」
「先ずは座るといい」

 リリア先輩が案内するようにヒールを鳴らして歩き出す。その後ろを付いて行くと、数人のディアソムニア寮生とすれ違う。ボクの顔を見ては怪訝に顔を顰めていく姿を見ては不快感が募っていくが、他の寮生にマナーを仕込んでいる時間はないから、今は目を瞑るとしよう。

 石造りの廊下にはワインレッドの絨毯が敷かれている。その上を歩いていると、大きな扉の前に辿り着いた。リリア先輩がその扉を開けると、応接室が目に入る。足の低い長方形のテーブルには革張りのソファが二つ。そのうちの一つに座ると、正面にリリア先輩が腰を掛けた。

「相談か何かがあるのじゃろう? 茶でも飲みながら聞いてやろう」
「……ありがとうございます」

 タイミングよく運ばれてきたティーカップを取り、口元に近付ければ嗅いだ事のない匂いが鼻孔を通り抜ける。次いで少量口に含むと、今まで飲んだ事のない味が口に広がった。茨の国では良く飲まれる紅茶なのだろうか。
 飲みなれない味ではあったが、好ましい味ではあった。

「リリア先輩の知恵を借りたいのですが。薔薇の呪いの事です」
「あぁ……悲惨な事件であったな」
「ランカスター家の令嬢は、薔薇の妖精に好かれて呪われました。そして薔薇の蔓と棘で出来たドームの中で生き続けています。同じ妖精の先輩方は、この件について何か知りませんか?」

 カチャリとカップとソーサーがぶつかる音が小さく響く。緑の明かりが灯る談話室には静寂が広がっている。ボクも、リリア先輩も口を開こうとはしない。否、リリア先輩は目を細め笑っている。

「すまんが何も知らんのじゃ」
「そうですか……では、もう一つ聞きたい事が――」

 ボクの言葉を遮るように、木製の扉が声を上げて開いた。
 開いた扉の隙間から零れ感じる威圧感は間違いなく、マレウス先輩のものだ。
 ソファに座ったまま背の高い男を見上げると、ライムグリーンの双眸と目が合った。

「リドル、どうして此処にいる」
「そうじゃマレウス。ちと、リドルの話を聞いてやってくれないか?」
「……わかった」

 ボクが口を挟む間もなく、話が決まっていく。マレウス先輩がリリア先輩の隣に腰を掛けると、足を組み、胸の前で腕も組んだ。

「それで、聞きたい事とは?」
「……ボクが知り合った妖精の事ですが――」

 アンの特徴を余す事なく伝えると、マレウス先輩は首を傾げた。

「それは本当に妖精の話しか?」
「はい?」

 何を言っているんだ。この人は……。
 じゃあ、彼女は一体何者だというのだ。

 マレウス先輩に向かって言葉を吐き出そうとするも、ボクの口は開閉するだけで何も音を発する事が出来ない。談話室には静寂が広がっているのに、ボクの耳殻には心臓が忙しなく動いている音だけ拾っていた。
 





Bambi