お茶会反対!
はくはく、と口を開閉する事しか出来ない私とは違って、赤薔薇の男の子は眉間に皺を寄せて私の姿を観察している。石盤色の双眸がじっと私を見つめている。その状況に私は冷や汗を背中に垂らした。
一体、何がどうなっているの?
人の子は私の姿を見る事は出来なんじゃないの?
なんでこの男の子は私の事が見えているの?
もしかしてこの子も妖精なのかしら? いやいや、彼からは人の気配しかしない。
じゃあなんで?
色んな疑問が私の脳内を駆け巡っては、花弁が散るようにはらりと消えて行く。どの答えもしっくりこないうえに、この状況があまりにも気まずくて、私はぎゅっと握り拳を作って、赤薔薇の男の子に威勢よく口を開いた。
「ここにある白薔薇を赤く染めるのを止めてください!」
「それは出来ない相談だ。なんでもない日のパーティの日は庭の薔薇を赤く染める。それがハートの女王が制定した法律の規則だ」
「誰ですか! そのハートの女王って!」
「キミ、グレートセブンを知らないのかい?!」
再び男の子は驚き瞳を大きくさせた。しかも今度は身体を後ろに反らせるオプション付きである。
そんな事知らなくても生きてこれたもの……と小さくぼやくと、再び私を訝しげに見つめる。その視線から逃れたくて目を逸らすも、見られている事を知っているこの状況、視線を強く感じてしまうのは当然で、私は再び石盤色の瞳を見つめた。
「キミは何処からやって来たんだい?」
「……わからない。気が付いたら此処にいたの。そうねもう八回は此処で朝陽を浴びたと思うんだけど……」
「ふざけているのか?」
赤薔薇の男の子は赤い石が填められている棒のような何かを振るった。それは何か輝かしい粒子を出したと思ったら、一瞬で私の本体の隣に咲いていた白薔薇を赤く染め上げた。
「ちょっと!」
「キミが何処から来ようが、このハーツラビュル寮にいる限りハートの女王の法律には従ってもらうよ。さぁ、そこを退けるんだ」
「嫌よ! 貴方が遵守するハートの女王には人の……妖精の心がないのかしら?!」
自分の本体である白薔薇にしがみつく私の背中から生えている蝶のような羽を摘まみ引っ張る赤薔薇の男の子。存外強い力で引っ張るから、薔薇にしがみついている腕が捥げそうになる。それでも負けてなるものか。と意地で抵抗する私を見かねた男の子が、羽から手を離して溜息を吐いた。
はぁ。とあからさまな深い息は私の髪を僅かに揺らした。
「もう時間がないんだ。今日の所は見逃してあげよう」
「次だって染めさせたりしないんだから!」
「……キミが何者なのかは、明日聞く事にしよう」
明日? 明日も白薔薇を赤く染めるつもりなの? と顔の色を失い青くなる私を他所に、赤薔薇の男の子は私に背を向け、何処かに向かって歩いて行った。
まさに一難去ってまた一難だった。
白薔薇にしがみついていた手を離すと、重力に従って私は短く切り揃えられている草の上にお尻を付けた。立ち上がろうと掌を地面に付けて、腕を伸ばしてみるも何処にも力が入った気がしない。
試しに羽を動かしてみようとするも、緩く動くだけで、これじゃあ飛び立つ事は出来ない。
完全に腰が抜けてしまっている。
私まで穢されてしまうのかもしれない、と。息苦しい目に遭うのかもしれない。と頭の片隅で考えていた為に、赤薔薇の男の子に対する恐怖心が爆発していたのだ。
それでも立ち向かえたのは、恐怖に屈しない意思だったのか、私が無謀な妖精だったからなのか……。
あぁ考えるのは止めよう。どうしてか凄く虚しくなってくる。
どちらにせよ遅効性の恐怖心が今更私の心を揺さぶり、暗闇に突き落とそうとしてくるのだ。
疲れた。今日は一段と疲れた。もうこのまま眠ってしまいたい。でも、腰が抜けてしまっていて飛べそうにもない。幾ら灌木とはいえ、私は私の本体である白薔薇よりも小さいのだから、人から見て灌木なこの薔薇の木でも、私からして見れば、十分に背の高い木である。
うーん。これはひと眠りした方が良いかもしれない。いや。違うの。日頃の習慣で眠たいとかそういうわけではなくて、腰を、腰を抜かしてしまっているからで!
なんて心の中で必死に言い訳の言葉を並べた私は、薔薇の木の中に身体を隠して羽を休めた。
切り揃えられた草の上は存外居心地が良く、身体を横たわせて三つ数える間に私は真綿の中に微睡んだ。
ほんの少し。ほんの少しだけよ。体力が回復したらすぐにでも本体がある白薔薇まで飛んで行ってやるんだから。と規則正しく肩と胸を上下させる事、どのくらいの時間が経ったのだろうか。
草を踏み潰す微かな音が聞こえたと思いきや、その音はピタリと止まった。誰かが来たのかもしれない。と眠たい目を擦っていると身体が急激に浮上した。何事かと辺りを見渡すと、また石盤色の瞳と目が合った。
「キミ、警備に向いていないんじゃないかい?」
「なんで……っ!」
「こんな所で眠っていては風邪を引いてしまうよ。巣か何かはあるのかい?」
赤薔薇の男の子の掌に乗せられた私は、普段飛んでいる高さと同じような景色を視界に収めた。それでも赤薔薇の男の子の方がまだ高く、私を見降ろしている。
人の手は存外冷たいのか、それとも赤薔薇の男の子が手に着けている黒の手袋が、熱を閉じ込めてしまっているのか……つるりとした肌触りは嫌いではない。
「巣……。私は普段あの白薔薇の中で寝ているの」
「だったらすぐにそこに帰ればよかっただろう」
「貴方が怖くて! 変な脅し文句を言って来るから……その、腰が……」
腰が抜けたなんて恥ずかしくて、咄嗟に赤薔薇の男の子から視線を逸らすも、羞恥心で真っ赤に染まった顔までは隠す事が出来なくて、それを見た男の子がおかしそうに肩を揺らして笑った。
「フフっ、強気何だかそうじゃないんだか、さっぱりわからないじゃないか」
「そんなに笑わなくたっていいじゃない! ……あ」
赤薔薇の男の子に笑われたのが悔しくて、私は立ち上がって思いっきり羽に力を入れて飛び立ち、その石盤色の双眸と同じ高さまで飛んで非難の言葉を口にした。
腰を抜かしていた記憶が強く暫くは飛べない。と思っていた私は自力で飛べた事に驚いて、間抜けな声を上げてしまった。
そうするとまた、赤薔薇の男の子が肩を揺らして笑うのだ。
「いや、失礼。女性に対してこんなに笑うのはマナーがなっていなかったね」
「なによぉ」
「明日も此処に来ると言ったけど、何時に来るなんて言っていなかったからね。昼の三時にまた来るよ」
来なくてもいい。とは言わなかった。
私は知る必要があるからだ。何故白薔薇が赤く染められないといけないのか。その理由を。
明日を心待ちに眠る事は出来なさそうだ。と両目を瞑るけど、そもそも明日を心待ちに今日を眠る日があっただろうか。と記憶を掘り返してみるも、思い当たる記憶がない。ぼんやりと靄がかかっていて、鮮明に思い出せそうにないのだ。
思い出せない記憶は掘り返す必要はない。と言わんばかりに私は白薔薇の中に潜り込んで身体を休めた。
まだ月も昇っていない時間帯だって? そんなものに拘るのは人間だけよ。
人間には死という隣人がいるから時間に拘るのよ。生まれてこの方、死という存在が遥か遠くにある私は時間に拘った事なんて一度もない。私が目を覚ました時間が朝で、活動している時間が昼で、身体を休めている時間が夜よ。
例え太陽がなくとも私には朝になるし、月が輝いていなくても私には夜になる。
……そう言えば赤薔薇の男の子は昼の三時に来るって言っていたけれど、私、時間感覚がないから、いつが昼の三時かわからないのだった。
まぁ、何とかなるでしょう。
子供じゃあるまいし。
そう思って白薔薇の中で眠った私は、翌日こっ酷く怒られる事になる。