学生生活の一面でしかない


「ステイ! 騒ぐな仔犬ども!」

 教鞭が乾いた音を立てるが、騒がしさは依然と変わらない。
 全くもって無駄な時間である。こんな時間を楽しんでいる人の気が知れない。

 実験服に身を包んだボクは、呆れたように短い溜息を吐き、クルーウェル先生に注意を受けた生徒を見ていると、ボクに近付いて来る大きな影が一つ。同じく実験服に身を包んだジェイドが、クスクスと口元に手を当て肩を揺らしながらボクを見て笑っている。

「何か用かい?」
「おや、ペアであるリドルさんに話し掛けてはいけないと? 悲しいです。しくしく……」
「よくもまぁ、思ってもいない事がスラスラと出てくるものだね」
「本心なのに酷いですねぇ」

 表情と言葉が噛み合っていないジェイドを無視して、壁にかかっている時計を見ると、授業開始から一分と四十二秒が経過していた。
 つまり、その時間をドブに捨てたと同じである。

 つくつぐ時間に対してルーズな連中ばかりだ。

 再びクルーウェル先生が教鞭を振るう。先程よりも強い乾いた音が数回。漸く大人しくなった生徒に向かってクルーウェル先生はいつものように「駄犬どもステイ! 俺様の授業の妨害をするとはいい度胸だな!」と目を吊り上げ大きく口を開けて怒鳴り声をあげる。

 額に青筋を浮かべている様は、これから先後何度この目にするのだろうか。
 ボクが卒業する頃にはあの青筋は山脈のようになっているに違いない。なんてクルーウェル先生を見ていると、先生は更に教鞭を振るって音を弾かせる。さながら調教師のようなその乾いた音に、何やら自分までもが先生の言うところの駄犬にでもなったようで、大変不快である。

 ボクはあいつ等とは違う。

 怒りを通り越して呆れるボクの耳には、黒板とチョークが掠れる音が入る。
 クルーウェル先生の文字は、水が流れるような文字を書く。見やすい字なのは間違いないが、崩している文字は真似をしようとは思わない。

「今日の魔法薬学はフィフスの実と、黒猫の抜け髭、乾燥マンドレイク、それに金の混合水を使った魔法薬を生成する。この材料で出来るのは何だ……答えろローズハート」
「はい。乾燥マンドレイクが入っているので栄養剤が出来ます」
「では金の混合水の材料を答えろ。リーチ兄」
「兄ではないのですが……。金の混合水とは、ピュルケの葉の煮汁と十年生きた二枚貝の粉を混ぜたものを、鶏の金の卵で濾過させたものの名称です。この混合水は作業工程にある金の卵と、何にでも使える凡庸性の高さから、金の混合水と呼ばれています」
「グッボーイ!」

 先程まで浮かべていた額の青筋はなりを顰めている。端麗な顔立ちをしていると言ったのは、どこぞの誰だっただろうか。興味の欠片もなさ過ぎてすっかり忘れてしまった。

「では薬品棚から必要な材料を取り出して来い」

 再び振るわれる教鞭が行動開始の合図のように、ボクたちは移動し始める。何もあの教師は怒鳴る時だけに乾いた音を響かせるわけではない。気分で振るうのだ。

 魔法薬学室に置いてある薬品棚は少しばかり背が高い。一番上の棚なんて、手前の物は爪先立ちをすれば届くが、奥にある薬品はどうやたって届く気がしない。背の高い棚に恨み節を吐けば小さくなってくれるのであれば、ボクだって一つや二つ言うが、そんな事をしたって意味がないのは重々知っている。
 が、ボクは今、眉尻を吊り上げて口を開けた。

「誰だ! 金の混合水をこんな奥に置いた馬鹿は!」

 金の混合水は魔法薬において欠かせない材料の一つだ。その数は多く、金の混合水を使用しないレシピをリストアップした方が早いくらいだ。そのくらい使用頻度の高い金の混合水をこんな取り難い所に置く愚か者がいるだなんて。と憤慨し目尻を吊り上げていた。

「おやおや。お困りならば力を貸しますよ。えぇ。僕は身長が高いのでお役に立てるかと」
「……そうだね。そもそもキミはボクのパートナーだ。ボクだけが材料を揃える道理はない。その無駄に長い手足でも役に立てる機会があってよかったじゃないか」
「ふふっ、リドルさんは可愛らしいサイズで羨ましいです」
「ボクを……ハァ、思ってもいない事を口にしない方が良い」

 侮辱するな。とジェイドに向かって怒鳴ってもよかったが、そうすればジェイドを喜ばすだけだと気が付き、無駄な会話はここまでだ。と切り捨てると、ジェイドは大人しく薬品棚の奥にある金の混合水を取り出した。
 ウツボの人魚である彼の手は大きく、金の混合水が入った瓶はすっぽりと隠れた。

 最初っから手伝ってくれればいいものを、やはり双子なだけある。己の快楽の為には手間など気にしない質なのだろう。
 それにボクを巻き込まないでくれないか。と両肩を落とすも、ジェイドはフロイドに比べたらまだ話が幾らか通じる分マシだと思い直して、他の材料を調達しに歩き出す。フィフスの実と黒猫の抜け髭、乾燥したマンドレイクの三つを調達したボクは、シャーレや乳鉢、こまごめピペット等を用意していたジェイドに近付いた。

「うん。材料と必要器具は全て揃っているね」
「えぇ。ですが確認しながらやった方が良いかと」
「何故だい?」

 材料にはそれぞれラベルシールが張られていて、間違えようがないし、分量を守れば完成品が出来る。だというのに、何故ジェイドはそんな事を言うのだろう。と首を傾げると、ヘテクロミアを持った男は困ったようにーー実際困ってはいないだろうが。表面上困った表情を浮かべて、金の混合水が入った瓶をボクに向かって差し出した。
 瓶の中には並々と混合水が入っている。見た目にも異常がないようだが……。とラベルを見てボクは大きく目を見開いた。

 作成者の欄には、デュース・スペード、エース・トラッポラと書かれていたからだ。
 ジェイドの言わんとしている事を察したボクは、額に手を当てると同時に先程のジェイドの言葉に頷いた。

「そうだね。此処は慎重に行った方が良いね」
「それにしても、今まで一年生が作った混合水なんて使用した事がなかったのに、どうしたのでしょうか」
「何かの手違い……ではなさそうだね」

 クルーウェル先生は滅多に間違いなんて起こさない。それは魔法薬学には危険が伴うからだ。材料一つ間違えるだけで違う薬品が出来上がり、多く入れたり少なく入れるだけでも、中には爆発するようなものまである。実際にトレイが二年の時、ふざけた生徒が先生の話を聞かずに適当に材料を鍋に入れ、あわや死亡事故に繋がる寸前までいったそうだ。
 ーー死亡事故寸前、というよりは、身体の何処かしらが吹き飛んだのだろう。その後確か変な時期に退学者が出ていた記憶がある。

 だからこれは事故ではなく、故意に行われているのだ。
 それに気が付かない生徒が黒煙を一つ、二つと上げたところで、乾いた音が響き、直後にクルーウェル先生の声が聞こえた。

「バッドボーイ! これから先良質な材料を使えると思うな。何があるのかわからないんだからな。ーーと、いうわけで今年は一年生が作った金の混合液を用意した。使用した感想を纏めるのも忘れすなよ、仔犬ども」

 そう言い放った直後、苦情の声が教室から上がるのは必然だ。誰が好き好んでこんな不安定な金の混合水を使いたいものか。
 金の混合水とは癖がないのが特徴なのに、周りの様子を見ている限り癖しかなさそうだ。

「どうしましょうか」
「やるしかないだろう。先ずは、混合水の解析からだな」
「こちらに材料を用意しています」
「あ、あぁ……すまないね」

 三脚に枝付きフラスコ、硫酸マグネシウムとアルコールランプに試験管とシャロンケ溶液。先ずはこれで混合水の出来を確かめる。
 アルコールランプに炎を灯し、硫酸マグネシウムを振りかけると赤い炎が白く燃える。真贋を確かめる際は炎の色は必ず白でなければならない。これは一年の時に習う内容だ。
 次に白色の炎を灯すアルコールランプを三脚の下に移動させ、こまごめピペットで採取した一年生が作った混合水を枝付きフラスコの中に入れ、魔法でフラスコを浮かせながら炙る。すると蒸留された混合水が枝の中を通り、枝付きフラスコに接続された試験管の中に入って行く。
 十分な量になった蒸留混合水が入った試験管の中に、シャロンケ溶液を一滴垂らす。

 良質な金の混合水であれば鮮やかな青に変わる、のだが……。

「これは……紫ですね。しかも綺麗な」

 シャロンケ溶液入れた混合水が赤に近ければ、ピュルゲの葉の煮汁が多く、黄色に近ければ十年生きた二枚貝の粉が多いという事になる。今回紫色だった事を考えると、あの二人が作った金の混合水は煮汁が多かったという結果になる。
 これでは黒煙が上がるのも不思議ではない。
 さて、どうやって調整していこうか。と顎に指を当てた瞬間、無情にも授業終了の鐘が鳴り響いた。

「そこまでだ! 栄養剤が出来た仔犬は……いないようだな。次回までに一年が作った金の混合水についてのレポートを提出しておく事だ」

 その日の放課後、ハーツラビュル寮で一年生の悲鳴が寮内に響いたのは語るまでもない。
 





Bambi