久し振りの再会


「だから言ったじゃん! 炎は黒じゃなくて白だって!」
「粉を多く入れるように言ったのはお前なんだから同罪だろ!」
「いい加減におしい! これに懲りたら次からは間違えないように」

 反省しているのかしていないのかわからない一年生コンビに説教を垂れる事何分経っただろうか。始めに時計を見てから少なくとも三十分は経過していた。
 この時間では白薔薇──アンに会いに行く事は出来ないか。とトレイから手渡された書類の多さに、薔薇の迷路にいる掌サイズの白薔薇の妖精を頭の中に思い浮かべた。何も毎日、毎週会いに行くなんて約束はしていない。
 ……していないが、ボクが寮長として治めているハーツラビュル寮の一画に妖精と自称する物体がいるのだから、気にならないわけがない。

 明日は無理にでも会いに行くべきか……いいや、明日は寮長の定例会議があったんだった。
 また学園長の愚痴を聞くだけのあんな会議、開くだけ時間の無駄としか思えないが、定例会議はその名の通り定例で開催されるものだから、文句を言ったところで何も変わりはしない。
 どのタイミングで行くべきなのか。とエースとデュースを叱った広間でハーブティーを片手に眉間に皺を寄せていると、派手なスマホケースを片手にケイトが眉尻を下げてやって来た。

「まーまー! リドルくん間違いなんて誰にもあるし!」
「ん? あぁ、二人の事はもういいんだ。悩んでいるのはその事じゃなくて……いや、何でもない」
「何か悩み事ならケイくんいつでも話聞くからねっ!」

 二本立てた指を目元に持っていき、いつものように軽く笑うケイトを尻目にボクはハーブティーが入っているティーカップと、先程トレイから手渡された書類を持って自室に向かった。書類を小脇に挟んで、真鍮で出来たドアハンドに手をかけて扉を押し開けた。
 明かりが灯っている廊下とは違い、部屋の中は酷く暗い。窓の隣には背の高い本棚があり、本棚に備え付けられた机がある。その机の上には分厚い本が数冊。それらの隣にティーカップを置いて、分厚いを本を本棚に戻せば、書類を広げるだけのスペースが出来る。
 明かりを灯す為にマジカルペンを振るえば、部屋の明かりがつく。

「先ずは、今月の出費額からか……」

 毎月毎月何で何マドル出費したのかを計上している。年度末に纏めて学園長に報告し、新しい予算を組み立てる時の資料にしてもらうからだ。
 ハーツラビュル寮は何かと出費が多い。なんでもない日のお茶会のケーキの材料に、フラミンゴやハリネズミの餌代。薔薇の迷路の管理費と他の寮に比べて何かと出費が多い故に学園長に小言を言われる原因だ。
 とはいえ、なんでもない日のパーティやクロッケー大会、薔薇の迷路は、かの有名なハートの女王が行っていた大事な行事だ。ボクの代で廃れさせるわけにはいかない。

「さて、何処の予算を減らそうか……」

 そう言えば、あの灌木……新しい薔薇を植えるなんて聞いてないし予定にも立ててなかったのにどうして。学園長の采配か? にしては此方に資料や通知が届いていない。だが確実にあの場所に白薔薇の灌木はなかった筈だ。
 ……学園長に確認するべきか? いや、した所で事後報告を受けるだけだ。正直あの人にはもっとしっかりとしてもらいたいものだが、何を言っても聞く耳は持たなそうだ。
 資料を捲っていると、寮生の成績表が出て来た。落第者や留年者がいないかを調べないといけない。ボクが寮長でいるうちはハーツラビュルからはそんな寮生を出すつもりもない。
 寮生が自主的に勉強をするような空間、時間を作れないものか。ケイトも勉強方法一つでテストの点数が変わったんだから、自分に合ったやり方を見つけられないか、手伝える方法を考えたいものだが……。果たしてボクに出来るのだろうか。いいや、弱気になるな。ボクになら出来ると信じて疑うな。

「……甘い物が食べたいな」

 そう言えば彼女は、トレイが作ったクッキーを確か、魔力だけ貰っているって言っていたな。魔力を栄養として捉えているのか? そもそも魔力に味があるのか? トレイの作ったクッキーだから美味しいのか。
 まだボクは彼女の事について知らない事ばかりだ。

 人間とは違う妖精の事を……彼女の事をもう少しだけ知ってみたいとも思う。彼女の事が気がかり。というよりは、ハーツラビュル寮に来てしまった“白薔薇の妖精”という存在が気になる。そもそもどうしてうちの寮に来てしまったのか。学園長に薔薇の数を増やして欲しいなんて発注をかけた記憶も記録もない。

 まぁ、どうせ彼の事だ。気紛れとかそういう事なのだろうが。

 寮長会議が終わった時、時間があったら行ってみよう。
 前回行った時、クッキーがなかったのをとても残念がっていたから、明日は何か持っていこう。トレイが作ったタルトがまだ冷蔵庫の中に入っていた筈だ。
 あ、でもあのサイズに合うカトラリーがないな。だったら小さく割れるクッキーの方が良いだろう。

 机の上にある書類との睨み合いに疲れていた頃、椅子の背凭れに力を預けて、ベッドの横の大きな窓から見える景色を眺めた。
 真っ暗と表現するのに相応しい夜空には、半月が浮かんでいる。その周りには数えきれない星が輝いていて、ボクは思わず席を立ち、窓辺に近付いて窓台に手をかける。眼下には薔薇の迷路が広がっていて、その更に向こう側にあの白薔薇の妖精であるアンがいるのだろう。

 この月を眺める事なんてしないで、白薔薇の中で眠りこけているであろうアンを想像するだけで、小さな笑いが込み上げてくる。
 彼女は良い。実に自由な存在だ。誰にも縛られないでいる。それが羨ましいとは、今のボクには思えないけど……でも、過去のボクだったら凄く羨ましかったに違いない。

 うん。明日は会いに行こう。

 そう思ってボクは身体を休める事にした。

 翌日。何も議題が進まない寮長会議を早々に終わらせて、ボクはハーツラビュル寮に急いだ。寮服に身を包み壁に掛けられている時計を見れば、午後の5時まで時間はまだ十分にある。これならアンの所に行って話す時間は十分に確保出来る。
 台所にある冷蔵庫の中には、トレイが作ったクッキーがある。
 今もお菓子を作り続けているトレイに声をかければ、穏やかな笑みを浮かべると共に首を縦に振ってくれた。

「いいぞ。好きなだけ持って行ってくれ」
「ありがとう。では少しだけ頂くよ」

 紅茶を淹れる為にお湯を沸かし茶葉を用意する。お湯が沸くのを待っている間に持ち運び用のポットを用意した。その様子を見ていたトレイは「何処かに出掛けるのか?」と首を傾げた。

「あぁ。庭で紅茶でも飲もうかと思ってね」
「一人でか? 俺も行こうか?」
「いやいい。ボク一人ではないんだ。……いつかトレイにも紹介するよ」
「──わかった」

 納得はしていないだろうに深く追求しないでくれるのは、トレイの美徳だとボクは思っている。深く追求されたくない時というのは、誰にでもあって、その境界を彼はとても心得ている。対人関係が高いのだろう。

 その分、他人を優先しすぎでもあるから、そこはよろしくはないけれどね。

 そうこうしている間にお湯が沸き、茶葉を入れたポットにゆっくりとお湯を注ぐと、僅かに茶色の色が付いたお湯が底に溜まっていく。二人分の量を入れると、茶葉が開き始める。暫く蒸していい頃合いになったら、移動用のポットに入れ替えて、簡易コップと一緒に籠の中に入れた。
 勿論トレイの作ったクッキーも忘れてはいけない。ハンカチに包んで籠の中に入れ、割れてしまったり、紅茶が零れてしまわないように魔法をかける。

「行ってくるよ。ハートの女王の法律第346条、午後5時以降は庭でクロッケーの練習をしてはいけない。に従って庭の様子も見てくるから、帰りは少し遅くなるよ」
「あぁ」

 薔薇の迷路の更に奥。この庭の中で唯一ハートの形に剪定されていない灌木にひっそりと咲いている白薔薇。今日は起きているだろうか。と迷路の中を迷う事なく歩き続けると、白薔薇に腰を掛けぼんやりと空を見ているアンの姿があった。
 一度、飾りのような小鼻をスン、と動かすと辺りを見回す為に首を左右に振るった。そうしてボクの姿をその視界に収めると、アンは嬉しそうに笑った。

 そんなにこのクッキーが食べたかったのか。とオンボロ寮に住んでいるどこぞのモンスターと同じじゃないか。なんて呆れていると、アンが大きく手を振った。

「会いに来てくれたのね! リドルくん!」

 アンは嬉しさの表れなのか、羽根を休めていた白薔薇から身体を離し、その蝶のような羽根を羽ばたかせてボクに向かって飛んでくる。
 前回の事が頭に浮かんだボクは、アンに向かって走り出した。

「アン!」

 両掌でアンを受け止めると、彼女はもぞもぞと動き出しボクを見つめると、安心したように笑みを浮かべた。

「嬉しいわ。会いに来てくれないのかと思ったから」
「……会いに来ないなんて言ってないじゃないか」
「会いに来てくれるとも言ってなかったわ」

 へらりと笑うアンの姿に、どこか胸を擽られるような感覚がした。
 こんな感覚を抱いたのはいつぶりだろうか。小さい頃、家の近くで初めて見た子猫以来だろうか。

 存外ボクはこの小さな妖精と会うのを、自分で思ってたよりも楽しみにしていたのかもしれないな。
 





Bambi