物語のように
先日、魔法薬学室で行われた栄養剤の実験は失敗に終わった。それもこれもエースとデュースが不完全な金の混合水を作成したからだが、それにしてもクルーウェル先生も意地が悪い。
確かに魔法士として活躍するのであれば、その製品の真贋を確かめる術は必要不可欠だが、先に言ってくれれば時間を効率よく使えたのに。とエースとデュースが作った金の混合水の総評をレポートに纏める事数ページ。
漸く満足してペンを机に置くと、まだ次の授業まで数分の時間が残っていた。
次の授業は魔法史だった筈。魔法史の教室は二年E組の教室からも近い。急いで移動する必要もないだろう。と鞄の中から教科書とノートを取り出して席を立った。
リブヴォールトの広い廊下。柱が剥き出しで壁が存在していないのにも関わらず、そよ風一つ感じない。外の風がどれだけ強く吹いていても……だ。高度な防御魔法が掛けられているのは間違いがない。明日にでも出来るか? と誰かに問われればボクはこう答えるだろう。「出来るわけがない」と。ただそれは“明日にでも出来るか?”という質問に対しての回答だ。出来ないままで終わらせるつもりはない。
カツカツと音を鳴らせて歩けば、後ろからガツガツと品のない歩き方をしてくる生徒が一人。この足音には聞き覚えがあると、足を速めれば鼻にかかる甘ったるい声が廊下に響く。
「あ〜、金魚ちゃんだ〜」
「げっ、フロイド……ボクをその変なあだ名で呼ぶのは止めないか!」
「だってぇ、赤くて小さのは金魚でしょ〜」
鼻にかかる声に不快感を感じながらも、歩く速度を加速させる。身長の高いフロイドは普通に歩いているつもりでも、すぐにボクに追いついてしまう。距離にして二メートル。次の時間まで時間がない今この男に捕まるわけにはいかない。捕まったら最後、間違いなく次の授業には遅刻する。
「ねぇ〜待ってよぉ」
「悪いが急いでいるんだ。要件があるならまた今度にしてもらおうか」
「えー、つまんなぁい」
最早競歩と呼べるスピードで歩く後ろに張り付くフロイドは、両手を頭の後ろにやって余裕そうにしている。反対にボクは息が上がり始めている。魔法史の授業が行われる教室まで後少し、教室の扉に手をかけて勢いよく開けると、既に中にいた生徒の数人が何事かとボクに視線を向け、後ろにいるフロイドを見てすぐに目を逸らした。
触らぬ神に祟りなし。まさにフロイドは災いの渦中の人物だ。
「金魚ちゃんさ〜こんな授業受けて楽しいの?」
「フロイド! キミ次は違う授業だろ。何故魔法史の教室に入って来るんだ」
「俺今魔法史受けたい気分〜!」
気分で機嫌がコロコロ変わるフロイドには呆れるしかない。ジェイドの方がまだ言葉が通じるだけマシというものだ。
……言葉が通じる上でこちらの意思を汲み取ってくれないのも問題しかないのだが。
いつまでも後ろに付いて来るフロイドを無視して教室の中に足を踏み入れる。他クラスなのに我が物顔で入って来るフロイドを可笑しそうに見ているのは、このクラスでたった一人ジェイドだけだ。
「フロイド、あまりリドルさんを困らせてはいけませんよ」
「え〜」
「さっさと自分の授業を受けるといい」
「つまんねぇの〜」
頬を膨らませたフロイドは、肩を落としながら魔法史の授業が行われる教室から出て行った。フロイドの背中を遮ったその扉がしまった瞬間、教室にいたボクを含めた生徒の大半が深い溜息を吐いた。何をしでかすかわからないフロイドの相手は気が滅入る。巻き込まれるのはごめんだ。と息を殺して気配を消すしかないのだが、気配を殺すにも体力がいる。
「フロイドには困ったものです」
「表情を作ってから言ってくれないか」
まるで困っていないと、目を伏せて笑うジェイドに呆れた視線を向ければ、彼は困ったような笑みを作った。それを横目に席について教科書とノートを机の上に置けば、丁度良くチャイムが鳴り、トレイン先生が愛猫を腕に抱き教室に入って来る。トレイン先生は信頼出来る先生だが、先生の愛猫のルチウスは言葉を選んでも煩い。
「では授業を始める。教科書の――」
トレイン先生の言葉に従って教科書を捲る。黒板に文字を書き連ねるトレイン先生の文字は規律正しく並んでいる。遊びの少ない文字は彼の送ってきた人生のように思える。掠れる文字をノートに写すと、ピリオドを打ったトレイン先生の手が止まる。
「この世には呪いという術がある。種類は沢山あるが、薔薇の呪いはお前たちも知っているところだろう。この呪いが発見されたのは五世紀以上前の事だ」
――今から五世紀以上前の出来事だ。当時薔薇の王国の伯爵だった、ランカスター家の一人娘が薔薇の妖精に呪いをかけられる事件が起きた。薔薇の妖精は伯爵令嬢を取り込み、蔓と棘で出来たドームを形成した。そこには赤黒く咲く薔薇があり、伯爵家は優秀な魔法士を雇い令嬢を助けようとしたが、薔薇の呪いは根深く、赤黒い薔薇の蔓を切っただけでドームの中にいる令嬢が血飛沫を上げ、蔓を赤く染め上げた。
呻き声も上げない令嬢。呪いを解明したくとも令嬢の顔すら見れないこの状況に、蔓を切っただけで令嬢の身体に傷が付くようでは解明する事すら出来ないと、優秀な魔法士が匙を投げた。
そこから何十年と月日は流れ、遂に伯爵家当主であるデオール・ランカスターが床に臥しても、薔薇は瑞々しさを保ったまま赤黒く咲き続けた。噂によると今でもランカスター伯爵のカントリー・ハウスで令嬢は赤黒い薔薇と蔓で出来たドームの中で眠り続けているらしい。
「この呪いを解明する方法は未だに見つかっていない。呪いとは期限が決まっている事が多く、大体の結末は“死”である。それに対し、ランカスター家の薔薇の呪いは、死ぬ事がないと言われている。事実五世紀以上も生きながらえているのだ。――ただの人間が。それ故にこう呼ばれている—―“妖精のギフト”と」
皮肉なものだ。妖精は好意で我々人間にギフト――祝福をしてくれるのに、人間にとって害にしかならない時もある。彼の令嬢も妖精に好かれ、破滅の道を辿ってしまっただろう。
「この出来事は教科書に記載される程、ツイステッドワンダーランド内を震撼させる事件となった。特に当時の薔薇の王国にとっては痛手となった。何せ薔薇の王国が何よりも愛する“薔薇”に呪われたのだからな」
それも今は昔の話ではあるのだが、当時薔薇を売りにしていた王国では大打撃を受けたに違いない。
トレイン先生の愛猫であるルチウスが「オァ〜〜〜〜〜〜」と耳障りな鳴き声をあげると、トレイン先生はまた黒板に向き合った。白いチョークが擦れて黒板が白色で埋まっていく。端までびっしりと文字で埋まると、先生は指を動かして授業の初めに書いたところを魔法で消した。
後ろで息を飲む音が聞こえたが、授業を真面目に受けていないのが悪いのだから自業自得でしかない。
「さて、解けない呪いもあれば、どんな呪いでも解く事が出来る魔法がある」
どんな呪いも解く事が出来る魔法。と言われて我々魔法を扱うものが真っ先に思い浮かべるのは、真実の愛のキスだろう。子供の頃、絵本で何度も何度も読み聞かせされた記憶がある。解けない呪いに比べて、真実の愛のキスなんて御伽噺にも程がある。
まさか、トレイン先生は真実の愛のキスの事を言っているのではないだろうな。と呆れを孕んだ目で加齢と共に出来上がっていった山脈のような隆起を持つトレイン先生の顔を見た。
「真実の愛のキスはどんな呪いをも解く事が出来る、と言われている。これは伝説級であるが、実例がなかったわけではない。例えば、今は亡きとある村の外れにあった城の呪われた城主は、呪いで醜くなった姿を町娘の真実の愛のキスで元の姿に戻る事が出来た。然し、この手の事例は数少ない為に伝説とされている」
夢のある話だとは思う。でもそれはフィクションであればの話しだ。こんな手法、現実的ではないし実践向きではない。魔法士としてやっていくにはあまりにも使えない手法だ。
だってそうだろう。呪いを解くのに、一々真実の愛とやらを育まないといけないのだから。
「珊瑚の海では、古より伝わる魔女の呪いがあり――」
授業は淡々と理路整然に進んで行く。たまにルチウスは耳障りな鳴き声で鳴く所為でトレイン先生の声が耳に入って来なかったが、黒板を板書していたから問題はない。
マジカルペンをノートに走らせていたが、ふと、教室の窓の向こうに広がる空を見た。青空の下雲が風に流されゆっくりと形を変えている。中庭に植えられている新緑の木が風で揺れている。学園の中にいる限り防衛魔法が張られている為に、外で風が吹いているのかもわからない。
アンは風に飛ばされていないだろうか。
いいや、彼女だって何日もあそこで過ごしているんだ。その中には風が強い日だってあっただろう。そんな日を乗り越えているのだから、今日みたいな風の日でもなんて事はないだろう……本当に? 泡のような軽さのアンは簡単に風に飛ばされてしまうかもしれない。
もし、風に飛ばされて白薔薇から離れてしまったら……。
嫌な想像が頭の中に幾つも浮かんでは、そんな事はないと内心首を振っていると、授業終了の鐘が鳴った。
黒板を見てみると、ボクがノートに板書していた所よりも少し先の内容が書かれていて、ボクはトレイン先生が魔法で消してしまう前にマジカルペンを走らせた。
黒板に書かれた内容を板書し終えた後、後ろの生徒と同じようにまさか、自分が息を飲む瞬間が来るとは……。と肩を落とした。
急いで書いた箇所はいつになく崩して書いてあり、これは書き直しが必要かな。とボクは呆れて笑った。